第32話 What it's like to study abroad

 卓球は日本の方がレベルが高い――といっても、僕より強い選手もこの国には沢山いる。オックスフォードのファースト・チームの人たちは基本的に僕よりも強い。

 キャプテンはアジア系のイギリス人で、小さい頃から卓球をしていたらしい。というやつだ。僕と同じタイミングで博士を始めたのだが、例によってイギリスは学部修士が短いので、歳は僕よりも二つ下である。彼は課題練習が好きなタイプで、あまり練習中に試合をしたがらない。火曜日はキャプテンは打たずにずっとコーチをしているので、彼の実力は謎に包まれている。

 二番手は、オーストラリア出身の長身の選手だ。手足がとても長く、鋭角のドライブはサイドラインを切ってくるので台から下がると追いつけない。高校時代はジュニアのナショナルチームにも入ってという噂だ。既に博士四年目で、学年も歳も僕より二つくらい上だったはずだ。

 ファースト・チームのあと二人は、最年少と最年長。片方は学部一年生でまだ十台の若者らしいが、チームに入って数週間で怪我をしたらしく、まだ一度も見たことがない。逆に最年長の選手——ラクマルは逆に三十台後半、スリランカ出身で医学の博士課程をやっている。


 僕が初めて行った練習は、金曜日のコーチのいないセッションで、参加者はまばらだった。トライアルには参加したものの、まだ僕は卓球部の雰囲気がどういうものなのか、皆どのくらいのかわからず戦々恐々としていた。

 そのセッションに唯一いたファースト・チームの選手がラクマルだった。彼のドライブは回転量が非常に多く、バウンド後にグッと伸びてきて、ブランク明けの僕のカットでは吹っ飛ばしてしまう。セッションの最後に試合形式で一セットやった時も、僕のロングサーブを回り込んでクロスに打ち抜かれ、軽く負ける。他のチームメイトには僕のサーブはよく効いたが、やはりファースト・チームの選手となると別格だった。

 ところで、卓球部の練習ではよく、最後の方に一列に並んだ台に二人ずつ入って一セットの試合をやって、勝敗に応じてどんどん相手を変える、というのをよくやる。テーブルのを最初に決めて、一番上のテーブルで勝った人と一番下で負けた人はそこに残って、それ以外の人は、勝ったら一つ上に、負けたら一つ下に動く。この練習は僕の中高では「アップダウン」と呼ばれていたが、イギリスでは——あるいはオックスフォードでは——「トップテーブル」と呼ばれていた。一番上がトップテーブル、一番下がボトムテーブルだ。

 関係があるようであまりない話なのだが、日本で有名な「大富豪」というゲームは僕が小さい頃読んでいたトランプの本では「大貧民」と呼ばれていた。こっちでも確か一度遊んだのだが、何と呼ばれていたか覚えていない。プレジデント、とかだったかもしれないが……。そしてトランプは、トランプではなく、カードである。


 僕のデビュー戦は、セカンド・チームとしてのホームマッチだった。相手はウォリック大学の、これまたセカンド。ウォリック(Warwick)の二つ目のダブリューは、これまた読まない文字シリーズだ。こういうのは特に地名に多い気がする。

 相手チームにも日本人が一人いて驚く。話を聞くと、学部でも一度ウォリックに留学していて、その時も卓球部に入っていたらしい。企業から送り出してもらって、修士を取りに再び渡英したようだ。

 団体戦は四人対四人で、僕個人としては四人とも相手にすることになる。初戦は左利きで、パワーがありそうなタイプだ。サーブが効いて、最初の二セットを連取。ただ、カットの調子がよくない。相手はだんだんこっちの出すサーブに慣れてきて、カットを打ち抜かれ始める。だだっ広い体育館に四台しか置いていないので下がり放題で、ダイナミックなラリーが続くが、もう息が続かない。体力が落ちすぎている。そのまま二対三で逆転負け。

 ロックダウン中の運動不足もあって今の一試合だけで既に死にそうだ。このペースであと三人試合するのはヤバい。

 バックスの団体戦は、四人対四人で回すので間髪入れずに次の試合が回ってくる。特に今回のようにフルゲームになったりすると、他の試合は終わっていて自分たちだけ試合が続いている格好になるので、結構ハードなのだ。

 そのあとは三対〇での勝利と、一対三での敗戦があった。この三人目に試合をした相手はイヴォという選手で、ブロンドで高身長のイケメンという感じなのだが、とにかくドライブが速い。最初のセットだけはサーブで何とか誤魔化して取ったが、カット戦になると反応できないスピードのボールが来てダメだった。ラクマルより速いかもしれない。これでもセカンドなのか。

 最後の相手は日本人の彼だ。オックスフォード側はこの時点で僕の勝利を含めて三勝しかしておらず、団体の負けが確定していた。彼はまだオックスフォードの誰にも負けていない。他の人と試合しているのを見ていると、彼はフォアが裏ソフト、バックが表ソフトの異質タイプだ。これと同じ組み合わせなのは、日本人選手でいうと伊藤美誠。


 裏ソフト、表ソフトってなんだという人のために軽く説明しておこう。覚えているかわからないが、卓球部のトライアルの時に、僕がバック面に貼っているのが粒高というラバーで、ゴムでできたレゴブロックの突起を細長くしたようなものだ、という話をした。

 卓球のラバーと聞いて読者が想像するのは裏ソフトという種類のラバーで、スポンジの上に平らなシートがくっついており、摩擦が強く、回転が良くかかる。ラバーは基本的に表面のゴムシートとその下のスポンジの二層構造になっており、同じシートでもスポンジの厚さが変わると跳ね方が全然違う。一ミリのスポンジを急に二ミリにした日にはボールが飛びすぎて慣れるまでにだいぶ時間がかかるのだ。

 表ソフトというのはまさにシート表面が浅いレゴブロックのようになっていて、裏ソフトほどの摩擦はない。回転を自分からかけることが難しくなる代わりに、相手の回転の影響も受けない。裏ソフトで前進回転をかけてドライブを打つと美しい弧を描くのに対して、表ソフトでは直線的な軌道になる。伊藤美誠のバックハンドから出されるスピードボールは、世界の選手にとって脅威なのだ。

 表、裏、というのは、ゴムシートだけ取り出してみるとちょうどお互いにひっくり返ったような見た目をしているからだ。元々は表ソフトをスポンジなしで使うことから始まって、ある日誰かがそれを裏返して使い始めた、というようなことを聞いたことがあるが、本当の歴史についてはきちんと確認した方がいい。

 そして粒高は表ソフトの粒が細長くなってさらに摩擦が少なくなったもの。実は他にもアンチという裏ソフトと同じ見た目だがシートの摩擦が非常に小さいようなラバーもあり、粒高と似たような性質を示すのだが、競技人口としては粒高の方が圧倒的に多い。アンチを使っている人は今まで二人見たことがある。対戦したことがあるのは一人だけで、粒高と似ているが違って結構相手にすると頭が混乱してミスを連発する。この一人はかなりの有名人だ。デュースまではいったがセットは取れなかった。王子サーブとアンチラバーといえば知っている人もいるかもしれない。今はもうアンチを使っていないかもしれないが。


 ウォリックの日本人選手は、表ソフトを粒のように守備的に使うタイプで、これはあまりイギリスにはいないかもしれない、というようなプレースタイルだった。彼の表と僕の粒でナックル(無回転)ボールの送り合いが続く。僕がしびれを切らして回り込んでフォアで強打をして、彼の表ソフトのブロックが僕のがら空きのフォアサイドに刺さる展開が何回かあった。これ待ちなのか。

 どちらも守備型なので、ラリーが長い。どちらかが攻撃しても、ブロックやカットが一本挟まるだけで、またナックルの応酬になる。やはり向こうが打ってこないなら、こっちが打ち勝つしかない。下がるのをやめて、相手の左右に連続でドライブを入れて、揺さぶる。一セット目は長いデュースの末もぎ取った。

 戦い方をこうと決めてからは割と楽になった。相手は守備的なので、安心して三球目に強打を振れる。相手がレシーブからバンバン打ってくるタイプだとこれもまた話が変わってくるのだが。あとの二セットは一セット目よりはすんなり勝って、試合の長さの割に終わってみればストレートだった。

 握手をすると、向こうからいやー悔しいですと話しかけてきてくれた。

「バックスも来ますか?」

「え、バックスってこれじゃないんですか?」

「あ、バックス・インディビジュアルズのことです。来月末にある個人戦です」

「あー、グループチャットでなんか言ってたかもしれません。特に予定もないので行くと思います」

「お、また会えるといいですね、Facebook交換しときましょう!」


 団体戦は負けたが、個人としては二勝二敗で、ちょうど良いレベル帯で学生リーグも楽しめそうだ。友達作りもスポーツからと相場が決まっている。

 でもまずはこの鈍った体を叩き直さないと。

 ここは卓球発祥の地——卓球留学、開幕である。

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