第30話 A high-table collaborator

 マサキさんとの食事から帰ると、お互いに関連しそうな論文を共有し、一旦は落ち着いた。この共同研究が絵空事に終わらず続いていったのは、実は高級なのおかげだった。


 St Catherine's Collegeの食堂は、かなり立派な建物であり、五百から千くらいの席がある。聞くところによると神戸製鋼からの出資で建てられたもので、オックスフォード神戸奨学金もこの繋がりに由来する。

 この食堂では、夕飯に二つのタイミングがある。午後六時から七時の間がカジュアルなものだ。早めに行かないとかなりの長蛇の列を待つ羽目になるので、よく食堂が開く五分前くらいから扉の前で待機していた。

 木の大きなお盆をとってキッチンの方に入っていくと細長いテーブルがあり、その上にはビュッフェのように料理が入った大きな長方形の容器が並んでいる。テーブルの向こう側を数人のキッチンスタッフがぐるぐると行き来しており、列の先頭まで来ると手が開いたスタッフから声をかけられる。スタッフは大きな皿を手にとり、僕がこれと、これと、と欲しいものを伝えると、それを皿に乗せていく。これが四、五ペアくらいのスタッフと学生の間で並列で行われるので、大忙しである。学生の頼むものによっては、位置関係が前後することになる。

 大皿の区画を抜けるとフルーツやデザートが置いてあるところに出て、レジまで到達するとスタッフがお盆の上のものを数えて値段を伝えてくる。ここでは現金もクレジットカードも使えず、学生証、それもCatzの学生証でなければ支払いをすることができない。もちろん、事前にオンラインでチャージしておく必要がある。よく残高が足りずにスマホでサイトを開き始める学生がいて、僕も数回それをやらかしたことがある。邪魔だからキッチンから出ろ、チャージしたら伝えろ、と追い出されるのだ。

 コロナが流行っている時期はCatzの学生のみ、というタイミングもあったが、平常時は僕の学生証で払えば、基本的にはゲストを連れてきてもいい。何人かで入って、一つの学生証を会計が終わるごとにパスしていく、というような光景になる。


 七時から八時はフォーマル・ディナーと呼ばれる別の食事で、こちらは座っていると三皿がサーブされる形式だ。こちらは予約が必要で、は日替わりで決まっているのだが、選べるがひたすら多くて面食らうことになる。   

 予約をしようとするとベジタリアン、ミート/フィッシュ、ヴィーガン、ハラール、ナッツフリー、貝類なし、ペスカタリアンのオプションが表示され、さらにモノによってはグルテンフリーと乳製品なしも選べる。少し面白いのは、選択肢が重ねがけできたりできなかったりすることだ。アレルギーなどで同時に発生しうるグルテンフリー、乳製品なし、ナッツフリー、貝類なしは重ねがけできず、一つまでしか選べない。ハラールとペスカタリアンはアレルギー系と同時には選べないのだが、ベジタリアン、ミート/フィッシュにはグルテンフリーと乳製品なしのオプションもあり、ヴィーガンにはグルテンフリーのオプションだけがある。オプションと表現したが、「ベジタリアン」「ベジタリアン(グルテンフリー)」「ハラール」などのボタンが全て同じレイヤーに存在するので、単にずらっと並んでいるだけだ。

 ヴィーガンは定義上乳製品を食べないのでヴィーガンと乳製品なしの重ねがけは最初から排除されていて、ここだけなぜか効率化されている。まあレイヤーが分かれていないのは開発側の都合で、オプションを入れるのは食堂側だろうから、納得感だけは妙にあるのだが。

 この国ではやはりベジタリアンとヴィーガンはかなり市民権を得ていて、どのレストランに行っても必ずメニューにそれぞれ一、二個のマークが付いていて、これはベジタリアンも食べられる、これはヴィーガンでも食べられる、ということを示している。僕が大学に入ったばかりの頃は、ベジタリアンの友人が東京でそういう店を見つけるのは難しいと言っていたが、十年近く経った今は日本であっても少し違ったりするのだろうか。

 知らない人のために一応補足しておくと、ベジタリアンもヴィーガンも基本的に肉や魚を食べないが、ヴィーガンは肉でなくとも動物由来のものを食べないので、卵や乳製品も食べない。ネットで調べるとハチミツも動物由来なのでヴィーガンは食べないと書かれているのだが、僕の会ったとあるヴィーガンは「昆虫は痛みを感じる機能がないので食べてもいい」と言っていたので、ここにもグラデーションがあるのだろう。ペスカタリアンについては僕もイギリスに行くまで知らなかったのだが、こちらは魚介類は食べるということらしい。

 話題が逸れてしまったが、このフォーマル・ディナーは月曜から木曜まではカジュアル・フォーマルとよばれ、みな普段着で訪れる。金曜のフォーマルはたしかゲスト・フォーマルとよび、スーツにアカデミック・ガウンを着てゲストを迎え入れるはずだ。はず、というのは、僕はあまり着飾るのが好きではないので、カジュアル・フォーマルにしか行ったことがないからだ。他のカレッジのフォーマルにゲストとして行ったことは何度かあるので、似たような感じなのだろうと思う。

 オックスフォードでは、フォーマルにお互いに誘い合うのが人気の行事で、沢山のフォーマルに行ったことがある種のステータスにもなっているようだ。学部生なんか も、どこそこのカレッジは美味しいことで有名で、あそこのシェフは元々ミシュランの——などと噂をするのが好きで、そもそもカレッジの希望も出さずに出願した僕は話に全然ついていけない。

 ただ、日本から来てくれた友達なんかはカジュアル・フォーマルに誘うと敷居もそんなに高くなくて雰囲気もそれなりにあるので、喜んでくれることが多い。Catzのフォーマルのについては僕のおよび知るところではないが。


 カジュアル・フォーマルでも雰囲気がそれっぽくなるのは、のディナーによるところが大きい。食堂を上から見ると、ほとんどのこういった建物と同様におおよそ長方形になっている。食堂のテーブルはこの長い辺に平行になるように縦向きの細長いテーブルがいくつも置いてある。これもちょうどハリー・ポッターに出てくるホグワーツの大広間みたいな感じだろうか。そして、ホグワーツでいう教職員テーブルのところ、キッチンと反対側の食堂の短い辺に沿って、床が一段上がったところに横向きの二十人がけのテーブルが一つだけある。これをハイ・テーブルという。Catzのフェローと呼ばれる教授たちはターム期間中ここで毎日食べる権利があるようで、一段高いところでアカデミックガウンを着て背もたれがものすごく大きな椅子に座って食事をするわけだ。

 下の段のフォーマル・ディナーの学生の着席は七時から順番なのだが、十五分ごろに生徒たちは起立をさせられ、ガウンを着た教授たちがゾロゾロと入ってくる。移動が終わると、そのうちの一番偉い先生が木のハンマーで大きな音を立て、何かをラテン語で唱える。そうするとみな着席し、食事が始まる。アメリカの学生がこの光景を見てショックを受けていた。なかなかに階級を意識させるつくりになっている。

 ハイ・テーブル・ディナーには専用のウェイターがいて、食事のグレードもフォーマルよりも高い。初めからワイングラスが置かれていて、これを逆さに向けておかないとワインを勝手に注がれる。

 なぜそんなディティールを知っているのか。僕と、それからマサキさんは、カレッジ奨学生として、ターム中は週に一回ここで食事をする権利を持っていたからだ。奨学生は四、五人しかおらず、フェローの人たちに話しかけられることもあれば、端っこに陣取って日本語で議論することも多かった。


 僕たちの共同研究のほとんどは、アカデミックガウンを着て、大仰なテーブルを挟んで進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る