第6話

 信号が変わって、人が歩き出す。あたしもその波に乗って、横断歩道を渡った。

 ふと、いつの間にか、またそこに向かって歩いているのに気付く。そう、あたしを狂った世界から解放してくれる、この世でたった一人の人の所へ。

 彼女と居ると、何故か不安が消える。残酷な心が、どうにか影を顰めてくれる。時々蘇ってあたしを狂わせる当時の記憶も、不思議と薄れてしまうのだ。


 社長に拾われて、あたしは辛うじて狂人にならずに済んだ。けれど、やっぱり正常ではいられなかった。時々狂いだし、狂人であるが故に人は、あたしに対して恐れを成した。

 Disastaerという名は、そういうあたしに相応しい名前なのかもしれない。平然と笑いながら、死より恐ろしい残酷な仕打ちをしてしまうあたしに。

 常に、自分より強い者はいない、そう自惚れていた。実際、一般人の中には、あたしに適う者など一人として存在していなかった。

 だから、他にも力を持っている奴がいる、それを知った時のショックは相当なものだった。

 愕然とさせられた事実。

 あの人の所有している能力者達は、一瞬にしてあたしの自惚れを打ち砕いてくれた。

 しかし次に、あの人はあたしの力を天才的な才能と言ってくれた。努力すれば、より強くなれる事も知った。そうした上で、あたしの存在を大きく認めてくれたのだ。

 救ってくれたのは、野本清次郎と言う、一人の男だった。


 「葉山縁君、だね」

 あたしが彼に会ったのは、それこそ調子に乗りまくっていた時だ。

 全てが思い通りで、不可能なことなど無いと信じていた頃。

 「あんた、誰?」

 じろり、男を上から下まで眺め回して問う。

 あたしは、自分がゆかりと言う名前だとは知っていたが、名字までははっきりと覚えていなかった。

 名字など、全く興味が無かったこと言うこともある。

 「そうそう、瀬戸縁と言った方が分かりやすかったかな?しかし君の両親は離婚しているのでね、母方の葉山で呼んだ方がいいのでは、と思ったんだよ」

 男はあたしの質問に答えず、そのまま一人で喋り続けた。

 「葉山と言えば、有名な資産家だ。葉山家は政界との繋がりも深く、実際君の家からは多くの政治家が出ているそうじゃないか。つまり君は、本来なら豪邸に住み、優雅な暮らしをし、有名なお嬢様学校にでも通っているような身分なんだよ。それがまた、何故こんな所でふらふらしているんだ?」

 「何言ってんの?」

 突然訳の分からない話しを始めた男に、不信感が募る。あたしは少し胡散臭気に男を眺めて、それからもう一度同じ質問をした。

 「あんた、誰?」

 「私は、野本清次郎だ」

 男は愛想良く笑いながら、胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。それを、まるで大人相手にでもしているように、あたしの方へ差し出す。


 Eengineering Technical Service co.(エンジニアリングテクニカルサ-ビスカンパニ-)

 総取締役社長、野本清次郎と名刺に印刷してあった。


 取り敢えず名刺を受け取り、それを無造作にポケットへと突っ込む。

 ちらりと男の顔を見て、思わず顔を顰めた。

 どうも、この男は変だ。何が変と言う訳ではないが、どこか奇怪しいのだ。

 相手の思考を読み取りながら、奇妙な違和感に首を傾げる。

 「社長さんが、あたしに何か用?」

 それでも、努めて平静に尋ねてみた。

 会社の社長が、一体何の用なのかと興味を持ったのだ。

 野本清次郎は、そんなあたしの態度を面白がっているように、笑みを絶やさぬままこちらへと顔を近づけてきた。

 何だろう?気味が悪くなって身を引こうとする前に、彼の言葉が耳に届く。

 「テレパストの君に、少し相談があるんだけどね」

 ぎくっと、顔が強張ったのが自分でも分かった。

 男は、相変わらずにこにこ微笑んでいるだけ。


 三十くらいだろうか、きちんとしたグレ-のス-ツを着込み、いかにもビジネスマン風の男だ。

 社長と言う役職の割りには、いささか歳が若い気がした。

 銀フレ-ムの眼鏡をかけ、髪なんか七、三分けで、社長と言うより一昔前のエリ-トを思わせる。そう悪い顔ではないのだが、一目見ただけでは覚えられないくらい、実に在りきたりで印象が薄かった。

 「相談って?」

 あたしは、警戒しながら男を睨んだ。

 賑やかな歩行者天国、溢れるばかりの人。その中で、彼はあたしに声をかけて来た。

 それこそこっちは、ジ-ンズのTシャツ姿。人込みに紛れてしまえば、すぐ分からなくなってしまう恰好だ。

 大丈夫、何かあったら逃げてやる。

 あたしは、心の中でそう呟いた。


 「私と一緒に、少しドライブでもしないか。こんな場所でするには、いささか込み入っている話しなのでね」

 スケベ爺いの誘いなら、よく有る話しだ。あたしが子供と知っていても、そういうやつらは平気で声をかけてくる。

 冗談じゃない、誰がこんなおっさんと・・・・・。

 普段なら、力を使って痛い思いをさせていただろう。

 けれど、その時は何も出来なかった。

 その人があたしをテレパスと知っていた事や、穏やかそうな顔とは似合わぬ鋭い眼光に威圧されていたからかもしれない。

 いや、それよりも、その男の思考に恐怖心を抱いたのではないだろうか。

 男の思考は、確かに読んでいた。しかし、それはごく事務的な思考の繰り返しであって男自身の意識とは別の物だった。

 そう、あたしはさっきからの違和感を、ようやく知る事が出来たのだ。

 彼は、何も思ってはいない。気持ちという部分が、彼の思考からは欠落していた。

 読み切れない男の意識、その事に対して激しい恐怖を抱く。

 あたしは、咄嗟に彼から逃げ出そうとした。と、すかさず男に腕を掴まれる。

 「逃げる事はないんだよ。私は、話しをしようと言っただけだ」

 重圧感のある声が、更にあたしの上へ重くのしかかってきた。

 「どっ、何処へ行くんだよ」

 少し、声が震えた。あたしは生まれて初めて、自分以外の人間に恐怖した。


 「おやおや、女の子がそういう言葉を使うのは良くないね。君は、最初から躾けをしなおす必要があるらしい」

 暴れるあたしをものともせず、彼はそのまま近くの駐車場まで、ずるずるとあたしの腕を引っ張っていった。

 華奢な身体からは想像も出来ない力で、乱暴に車の助手席に放り込まれる。そして彼は何もなかったように涼しげな表情で、するりとドライバ-ズシ-トに収まった。

 車が、密度の高い駐車場を後にする。白のセダン、車の名前は知らないけれど、それは男と同じくらいよくある形だった。

 後はただ、交通量の激しい道を、ひたすら真っ直ぐ走り続ける。


 「話しは簡単さ、君に是非我が社の手助けをして貰いたい。社員として、その才能を使って欲しいのだ。なに、そう難しい仕事ではない。君の才能なら、充分やっていけるだろう」

 しばらくして、男はそう言った。前方に視線を向けたまま、いかにも軽い調子で。

 「何言ってんの?」

 あたしは、震える声を押さえて、殊更面倒臭気に言う。

 「勿論、君には拒否する権利がある。我が社は、民主的な一般企業だからね。しかしそうなると、君を守る義務もなくなる。君が今まで行った悪事の数々を、黙って見過ごすのは社会的にも問題があると思うが、どうだろう?」

 男は、そう言って笑った。上の立場に立つ者の、余裕ある笑みだ。

 あたしは、男の言葉の意味を考え、それが柔らかではあるが完全なる強制なのだと気付いた。

 「脅すの?」

 言葉が、強い調子を帯びる。

 冗談じゃない、誰がこんな奴のいいなりになるものか。

 あたしは、自由なんだ。今までだって、そしてこれからも・・・・・。

 「そう受け取ってもらっても、別に構わないよ。君が我々を否定して、惨めな生活を続けるのも自由だ。それが、望みとあらばね。君には、二つの選択がある。異端者として一生日陰者で過ごすか、才能有る社員となって表舞台に立つか。決めるのは、君自身だ」


 表舞台だって?会社に束縛される事が、どうして表舞台になるのだ。

 あたしは別に、惨めな生活なんか送っていない。今の状態に満足しているし、これからだってずっと同じ生活を続けるつもりだった。

 この男は、何も分かっちゃいないのだ。

 あたしは男の言葉を嘲笑って、ふんっと顔を背けた。

 「おっさん、あんた、頭が奇怪しいんじゃない?」

 逃げる機会を探しながら、わざと乱暴に、それでいて投げやりな調子で言う。

 車の中じゃやばいけど、外に出れば絶対逃げ出してやる。

 大丈夫、あたしには力があるんだ。あたしを甘く見る奴なんか、地獄に落ちればいい。

 「子供の振りをするのは止めたまえ。私は、テレパストというものを良く知っている。大人の思考を読んで過ごして来た君達が、決して子供であり得る筈が無いと言う事を」

 「へぇ-っ」

 僅かに目を細める。

 野本清次郎という男の顔を、改めてまじまじと見つめ直した。

 「あたしの事なんか知らない癖に、何でそう言い切れる訳?」

 「これでも、能力者達の上に立つ者だからね。君達の考えそうな事は、荒方想像が付くよ」

 能力者?

 能力者とは、あたしのような力を持った人間の事だろうか?それでは、あたしのような人間がまだ他にいると言う事?

 野本清次郎の言葉を、もう一度頭の中で繰り返す。


 ・・・・嘘だ!


 あたしは特別なんだ。そんな事がある訳がない、あってはいけないのだ。

 一番身近な家族からも、あんな扱いを受けたあたしだ。生きていく為には、自分を納得させる事の出来る理由が必要だった。

 あたしは違う、あたしはこんなやつらとは違う。あたしは優れているから、みんなが妬んで排除しようと我策するのだ。

 「どうだ、一つ賭をしてみないか?賭けるも賭けないも、君の自由だ。方法は簡単、君はただ逃げるだけでいい。我々の手から逃げきる事が出来れば、君に完全なる自由を約束しよう。我が社は、君の今までした事やこれからする事全て、全力で揉み消してあげる事を約束する。必要なら、君を葉山縁として資産家の娘に戻してあげてもいい」

 男の言葉を噛み締めながら、ゆっくりと顔を窓の方へ向ける。

 今更、あたしがどうやって普通に生活出来ると言う?そんな事は、もうどうでも良かった。家柄なんか無くても、あたしは充分人を従える事が出来たし、有り余る程の金を手にする事も出来た。

 しかし、あたしは野本清次郎の言う、能力者達の会社に少なからず興味を抱いた。

 本当にそんなやつらが存在しているなら、是非見てみたい。どうせ詐欺まがいの連中に違いないが、それでもそういう大きな会社があたしの為に動くと言う話しは、結構魅力的であった。

 「何処へ行くの?」

 流れる景色を横目に、そう尋ねてみる。あたしの疑問に対して彼は、ただ笑っただけだった。行けば分かる、と言う事らしい。


 まあいいさ、悪い賭けではない。

 あたしが、負ける筈はないのだ。この男だって、あたしの本当の力を知れば、腰を抜かして驚くだろう。平伏して、命乞いをするかもしれない。

 そうだ、その時になって自分の過ちに気付いても、もう遅いのだと知るがいい。

 どんなに後悔したって、あたしは決して許してなんかやらない。

 次第に早くなる景色の流れを目で追い、あたしは一人北叟笑んだ。


 ・・・・・まさか、後悔するのが自分の方だったなんて、少しも思いもせず。




 ※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物は、実際に存在しない架空の物語です。

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