第3話
あの人は、信じられないくらいお人好しだ。
倉田竜二、本名真木修司、二十四歳。
ETSの、腕利きのエンジニア。
彼と最初に出会った時、背すじが冷たく凍ったのを覚えている。
こんな気持ちが残っていたなんて、正直言って信じられなかった。
あたしは、社長に拾われてからたった一年で、エンジニア達から恐れられる、天才能力者として知られるようになっていたのだ。何も怖くなかったし、誰にも負けない自信があった。
それこそ、あの男の事なんてすっかり忘れていた筈なのに・・・・。
当時彼は二十一歳、そしてあたしは十四歳だった。
本社のエンジニアやピジョン(主任)達の監視、有力企業や政界人の情報収拾、裏切り者の摘発等々。それが、その時あたしが社長に命じられてしていた仕事だった。
たまたま、とあるチ-ムに、社長から直々に頼まれた仕事を持って行った時の事だ。
そのチ-ムは、本社では飛び抜けて優秀なチ-ムだったわ。大きな仕事を任せるには、打ってつけの。
あたしは社長に命じられるまま、そのチ-ムと接触した。
そう、竜二は、偶然にもそのチ-ムの一員だった。
激しい衝撃と、吹き上がるような憎しみ。
以前、狂おしいほどの思いで探し続けていた男と全く同じ顔が、そこにあったのだ。
父は再婚だった。あたしも、それは知っていた。あの人は何も言わなかったけれど、あたしはテレパスト、隠しても分かる。
真木とは、あの人の先妻の名字。真木修司は、その人との間に生まれた子供。
異母兄。まさか、世の中で一番会いたくなかった人に、こうして巡り会ってしまうなんて・・・・・。
あたしはそれまで、自分の立場を私用に使った事はなかった。しかし、その時ばかりは立場をフルに利用し、真木修司について色々調べさせて貰った。
出たものは、ごく普通の物語。
貧しいが、肩を寄せ合って幸せに生きていた家族に、一つの不幸が訪れる。親友の保証人となった父親に、思わぬ出来事。友の裏切り。
一夜にして多額の借金を負わされた男は、泣く泣く妻子と別れて行方を晦ます。
やがて流れ者になった男は、ひょんな事から金持ちの令嬢と知り合う事になった。そしてとんとん拍子に結婚、多額の金を意のままに使えるようになる。
令嬢は、男を愛していた。しかし、男は令嬢ではなく金を愛した。やがて二人の間に子供が生まれたが、男はその子には見向きもしない。
運の悪い事に、その子は奇妙な能力を持っていた為、男の思う事すべてが手に取るように分かってしまうのだ。
人の多い駅前通りを、あてもなく彷徨い歩きながら、あたしはふと昔の回想などをしてしまった。
荒れ狂っていたあたしを拾ってくれたのは、ETSの社長、野本清次郎。
あれから四年もたつなんて、なんだか信じられないくらいだ。
テレパス、一般にそう呼ばれているあたしの能力は、物心付く頃から手足のように存在していた。
少し意識を向けただけで、何でも分かってしまう。
母の不安も、父の不満も、隠された悪意もみんな。
父があたしを触る時、決まって彼は違う男の子の顔を思い描いた。そして母ではない、優しそうな女性の顔も。
人に触れられるのは、テレパストにとって苦痛以外の何物でもないが、それでもあたしは父に気に入られようと我慢した。そして父も、僅かだがあたしの存在を気にとめてくれていた。
しかし、最初はそれでも触れてくれていた父が、あたしがつい口に出した言葉で、二度と触れてはくれなくなった。
『パパ、パパの心の中に居る男の子は誰?』
子供の頃の、無邪気な何気ない一言。しかしそれは、全てを破壊した。
化け物を見るようなあの人の目、今でも覚えている。
心の中であたしを気味悪がり、側に来ると物を投げて追い払う。そんな事があればあるほど、彼は心の中に住む男の子の事ばかり考えるようになった。
母は父を愛していたので、父が冷たくなっていく事に耐えられなかったのだろう。次第に様子が奇怪しくなり始め、日に日にわめいたり叫んだりするようになり、時には刃物を持って父を追い回す時もあたった。
父は尚更家に帰りたがらなくなり、母は益々奇妙な行動を取るようになる。
ある時など、母はあたしの首を締めて殺そうとした。直観と言うものだろうか、母は父が家に帰らないのはあたしのせいだと、本能的に感じているようだった。
勿論、それだけではないだろう。でも、それは要因の中の一つだった。
日を追う毎に狂っていく母と一緒に居て、あたしがまともでいられた筈がない。あたしは、常に母の近くにいた。母しか、あたしの側にはなかった。
やがて気がつくと、自分が誰なのかも分からなくなっていた。
テレパストがよく陥る同調現象だ。人の思考に嵌まり過ぎて、自分がその人物だと思いこんでしまう。
あたしは母となり、母と同じように苦しんだ。そして、母と同じように父を愛した。
でも、全てはあたしとは違う人の心。
こうやって冷めた目で自分を見て、過去を回想出来るようになったのだから、あたしも結構変わったわね。
とにかくあたしは、気がつくと何時のまにか、とんでもない所に閉じ込められていた。
そう、精神病院だ。
同じ時期に母も、違う精神病に入れた事から、それを実行したのは父だろうと想像がつく。
母は建前でごく普通の一般精神科病棟へ、私は行方不明として、極秘に特別収容所のような病院に押し込まれた。
高額な費用と引き換えに、二度と出れないと言う条件付きの、人のゴミ捨て場がそれだった。
狂うという行為は、時として気持ちの良い場合もある。あたしの場合、その殆どが疑似体験ではあったが、それでも狂った者の気持ちは充分味わう事ができた。
有りもしない楽しい事ばかり浮かんできて、笑い転げる事もあれば、凄い恐ろしい妄想に取りつかれてわめき散らす事もある。
それはそれで、怖い体験だった。
でも、本当に怖いのは狂っている時ではなく、正気に戻った時。狂うのが怖いんじゃない、狂ったらどうしようと思う事が何より怖いのだ。
あの頃は、入って来る情報をシャットアウトする術を知らなかったから、随分凄い体験をさせて貰ったわ。
取り合えず正常な時は、どうやってここから逃げて、どんな風に復讐するかばかり考えていた。このままそこに居たら、間違いなくあたしは狂ってしまうって、よく分かっていたから。
逃げ出したら、どうしてやろう。あたしをこんな目に合わせた奴に、どうやってあたし以上の苦しみを与えてやろう。
考えれば考えるほど、恐怖は薄れていった。
しばらくそこで過ごしているうちに、あたしは偶然もう一つの力を知る事になったわ。
透視能力は前からあったけれど、それとは違う。あくまでもテレパスの延長であり、テレパスよりもっと強力な力。
それは、相手の五感を意のままに操作する能力。
コントロ-ルと呼ばれているそれが、どういうきっかけで扱えるようになったかは、はっきりとは覚えていない。あの頃の記憶は、正直言って断片的なものでしかないから。
多分、半分くらいは頭が奇怪しくなっていたんだろう。
ともかく、その力を知ったあたしは、どうにかしてそこから逃げ出す方法はないか考えた。最初にそこに入れられた時は五つで、それから五年も過ぎていたのだ。
十歳になっても、あたしは何も知らなかったし、読み書きすら出来なかった。
自分が人間だってことさえ、殆ど忘れていたのかもしれない。
真っ白い部屋、窓もなければ明かりもない暗い場所、そこにぽつんとベッドが置いてあるだけ。病院って言うより、そこは牢屋だった。トイレさえ、その部屋でしなければならない。
今時、あんな所なんてあったのかと思うくらい、随分酷い所だった。
見張りが一定時間を開けてやって来るだけで、人の出入りなんか殆どなかった。その見張りが医者もどきの男と一緒に食事を持ってくるんだけど、会話らしい会話をした覚えもなかった。
聞こえてくるのは、ただ心に響く狂った意識だけ。
地獄より、まだ酷いわ。肉体的苦痛だけなら、精神まで侵される事はない。痛いぶん、まだ生きているって実感も出来る。
あたしは時々、自分が生きているか確かめる為、わざとベッドの角に自分の足を打ちつけたものよ。
そうやって、どうにか自分を正常に保ち、逃げるチャンスを伺っていた。
待ってみるものよね、チャンスっていうのは必ず巡って来るもの。
ある日、何時もとは違う人が見回りにやって来た。三十くらいの、あまりぱっとしない男。
相手の意識を読んで見ると、どうも前の人の代わりで来る事になった様子。これからはその人がこの病棟を受け持つようだった。
一見普通の男だったが、実は彼はちょっとした変人だった。早い話し、ロリコンの変態。
青白い顔に痩せすぎの身体、眼鏡をかけた神経質そうな男だった。
あたしはその男を観察して、彼の異常な心を覗き見する事を、唯一の暇つぶしにしていた。
そいつが来てしばらくは、何事もなく過ぎていった。あたしも、別段期待はしていなかった。
しかしその男が来て数カ月後、あたしの運命は流れを変えた。
※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物等はは、実際には存在しない架空の物語です。
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