昔、ラジオが好きだった

土橋俊寛

昔、ラジオが好きだった

一日に何時間もテレビを観るような子供のことをテレビっ子という。私の家では朝はNHK、夜はTBSかテレビ朝日が点いていることが多かったが、ほとんどはニュース番組が流れていたように思う。あとは母が好んで観ていた刑事物のドラマ。幼少の私にとっては別段面白い番組ではなく、だから私はテレビっ子ではなかった。これと同じ意味合いの表現を使うなら、私はむしろラジオっ子だった。ラジオを聴くのが好きな子どもだったのだ。


小学生の高学年からラジオ、とりわけAM放送を聴き始めた。私が高校を卒業するまで過ごした長野県では、首都圏の主要ラジオ局、例えばニッポン放送や文化放送、TBSラジオなどが受信できないが、地元の地方局がいくつかの番組を「ネット」で放送していた。テレビの系列局と同じような関係があったのだろう。


ニッポン放送をキー局とする「オールナイトニッポン」や伊集院光さんがパーソナリティを務める「深夜のバカ力」などを楽しく聴いていたが、のめり込んだ番組はSBC信越放送で土曜日の夜九時から放送していた「坂ちゃんの子の刻倶楽部」である。これは確か二時間番組で、だからこそ「子の刻倶楽部」なのだろうが、普通なら開始時刻を番組名にするのではないかと少し不思議に思った記憶がある。当時はクラスメートにラジオ好きが何人かいて、翌週の教室では「子の刻」話で盛り上がったりもした。


多くのラジオ番組は、リスナー(聴取者)からの投稿を募るさまざまな「コーナー」が柱だったように思う。それらのコーナーを支えるのは「ハガキ職人」と呼ばれる常連の投稿者で、繰り返しハガキが読まれる職人に対しては尊敬の念を覚えた。自分の投稿したハガキが初めて読まれた時は聴いていて鳥肌が立った。一分にも満たないその時間を誇らしく感じた一方で、「これでみんなに名前が知られちゃったな」と思うと照れ臭くもあった。もっとも、投稿には本名ではなく「ラジオネーム」という筆名を使ったのだから、こんなのは単なる独りよがりだったのだが。


ラジオパーソナリティとリスナーのやり取りで成立するこの種の番組とは別に、ラジオドラマにも熱中した。中学生から高校生にかけてよく聴いたのはNHKの「青春アドベンチャー」である。最も記憶に強く残っているのはマイケル・クライトン原作の「ジュラシック・パーク」。インターネットで検索してみると、放送期間は1993年6月14日から7月2日にかけてで、同名の映画が日本で公開された7月24日よりも時期が早いことに感心する。その後私は映画も観に行き、実物さながらの恐竜たちが躍動する(もちろん実物の恐竜は見たことがないが)映像技術に感動したが、ラジオドラマの方が好みだなと思ったのを覚えている。


映像の無いドラマの良さを改めて実感したのは、沢木耕太郎さんの『凍』を基にしたノンフィクションドラマをしばらく前にPodcastで聴いた時だった。語られる場面を自分なりのイメージとして思い浮かべられることが良さだと私は思うのだが、これは私がラジオっ子だったことと関係しているのだろうか。(そう言えば、大学生の頃にはまったゲームも「リアルサウンド~風のリグレット~」という音声だけのゲームだった)


驚いたことにNHKの「青春アドベンチャー」は今も続いているようだ。久しぶりにいくつか聴いてみようと思う。

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昔、ラジオが好きだった 土橋俊寛 @toshi_torimakashi

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