第29話 ラーラと皇帝

 目覚めるとラーラは身を起こしあたりを見回した。

 見たこともない広い部屋で天蓋付のベッドにいることに驚き、すぐにベッドから飛び出すと、窓へと足を進めた。

 そこからは明るい庭が見え、巧みに意匠が施された植木や色鮮やかな花々が咲き乱れていた。


 部屋をあたらめて見まわしてみると、毛足の深いカーペットが敷かれ織物で模様が描かれた壁布で覆われ、一目見て庶民が使うようなものではない手の込んだ細工の施された一組の椅子とテーブルが置かれていた。

 天井からは豪華なシャンデリアが下がり、暖炉もあった。

 金で装飾された額に入った大きな鏡があり、それはラーラの姿を映したが、あれほどの戦闘の傷跡も無く、まるで魔族領での休日のように健康な姿がそこにあった。

 褐色の肌は濡れたように輝き、金色の瞳は透き通り、赤い髪は梳かされて艶やかだった。ラーラは自分の姿を見ながらカイルを想った。

 そこには戦闘用の装備した四天王の姿はなく、見たこともない薄手の白い柔らかな生地のドレスを着た一人の魔族の淑女がいるだけだった。


 これでは死ぬことも出来ぬと呟いたが、そう言えば陛下から決して死んではならぬと命じられていたなと思い返し、椅子に腰を下ろすとぼんやりと宙を見つめた。

 しかし、不思議なのは牢ではなく、宮殿のような所に自分がいるのかが謎だった。

 ラーラはひとしきり考えを巡らせたが、何もさせてもらえそうもないなと、また窓際に行き、庭を眺めるしかなかった。


 しばらくすると、ドアをノックする音がした。

「入ってもよろしいかな」

 ラーラは深呼吸を一つすると答えた。

「どうぞ」

 ドアが開くとわずかに白髪が見える男が入ってきた。どこかで見たことがあるような気がした。

 ドアが閉まり、男はラーラと対面すると言った。

「ひさし、いや、初めてお目にかかる。帝国皇帝バルビローリだ」

 ドア越しでない声を聞き、その面影を辿り、ラーラはあっと心の中で声を上げた。


「私は初めてではない。勇者だったあなたを見た。私は将軍付きの副官として魔王の間にいた」

「そうであったか。ラーラ殿に覚えられているとは光栄なことだ」

「無礼とは思うが、魔族は魔王陛下以外の前で頭を下げることはない」

 バルビローリはそれは構わない、気にしないでいいと言った。

「しかし、わからぬのはこの扱いだ。

 何か企んでいるとしても、私はその手には乗らぬ。囚われの身とは言え、これでも魔族軍の一角を担う者だ」

 ラーラは顔を上げ、そう言い放った。


「まあ、座ろう。口に合うかわからぬが、茶を持って来させる」

 そういうと、ドアが開き一目で経験が豊富とわかるメイドがやって来るとテーブルにカップを置き、にこやかに微笑み一礼して下がった。

「少々手荒だったが、帝国はラーラ殿を招いただけで捕虜でも虜囚でもない。

 ちなみにここに連れてきた騎士も女性であるし、傷を回復させた魔術師もだ。

 その後は先ほどのメイド長が取り仕切り王宮のメイドらがラーラ殿の世話をした。

 男たちには指一本も触れさせてはいない。

 そのことはこのバルビローリが皇帝の名にかけて保証する」

 ラーラは驚きを隠すように茶を一口飲むといい香りだとつぶやいた。

「気に入ったかな。であれば、帰る際に土産として持たせよう」

 うむと言いかけ、なに!とバルビローリの顔を見た。

「私は帰れるのか」

「言ったが、なにか問題でもあるのか。

 ラーラ殿と帝国兵五百名の命を交換させてもらう」

 そういうことだったのか、とラーラは力が抜けたように椅子の背に体を預けた。


「そのためにはラーラ殿を無事に帰すことが絶対条件となっている。

 魔王エスペランザからそのように通告があったので、帝国としては、ラーラ殿にはなんとしても元気で帰ってもらわねば困るのだ」

 それを聞くとーラは、何をはばかることなく背を丸めて顔を覆い号泣した。

 バルビローリはこれを見守った。

 ああ、これがラーラが皆に愛されるゆえんなのだと、その健気さを思った。

 そして再び会うことも無いだろうと寂しく感じた。


「失礼した」

 ラーラは袖で涙をぬぐうとそう言って晴れやかな表情で顔を上げた。

「合意の親書が届き次第、魔族領に帰還する用意をするが、これにはまだ数日かかる。退屈とは思うがしばし待たれよ」

 ラーラはそれに頷いたが何かを思い出したように訊ねた。

「私を捕えたあの黄金の騎士は何という名だ」

 おお、とバルビローリは笑みを浮かべた。

「あれは剣聖ロレーヌという者だ」

「まことに強い剣士だった。何とかしようと頑張ったが、歯が立たなかった」

「あれは女傑でな。少女の頃にもういい大人だった私に膝をつかせたほどだ。

 しかし、ロレーヌはラーラ殿が自分の一撃を見事に防いだと言って驚いていた。

 今回、三軍のギール殿と闘った私の息子ですらその一撃を防ぎきれずに血だらけになったと言っていたからな」

 これにはラーラも微かに笑いを漏らした。

「しかし、今度まみえる時があれば、ただでは済まぬと伝えてくれ」

 バルビローリは伝えておこうと嬉しそうに答えると、では帰参の日までのんびり過ごされよと告げて部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る