第23話 ある思い

 年に二度ある定期異動のタイミングの一つである一月が近づいてきたが、夏に伊藤から聞かされていた新組織の話はまだ聞こえてこなかった。それとなく本社の徳永に聞いてみたが東日本本社や幹部との調整に時間がかかっていて、一月の定期異動には間に合わない可能性が高いということだった。ただ伊藤は新組織の目途が立ち次第、配属者は次の八月の定期異動を待たずに異動させる方針だとも言っていた。

「佐藤さんにその一員として来ていただくことに変わりはありませんから」

 徳永は念を押すように電話の向こうからそう言った。

 近いうちに夢の屋に行って夕希に話をしないといけないと思い、年末の挨拶も兼ねて日程調整しようとしたが、夕希も忙しいようで連絡が取れないまま年末年始休みに入ってしまった。

 年末年始休暇は大阪の自宅に戻り、特にすることもなくゆっくりと過ごすことができた。佐知子とは夏以降夢の屋の話をすることはなかったが、日本酒を飲みながらおせちをつついていたときに、佐知子がふと聞いてきた。

「そういえば一月の定期異動は何もなかったの」

「夏に聞いていた新組織が遅れているらしい。でもそこへ来てほしいと言われている。組織ができ次第、次の八月まで待たずに異動になりそうだ」

 佐知子から仕事のことを聞いてくることはあまりなかったので、ちょっとびっくりしたが、佐知子の気になっていたことをお酒の力も借りて聞いたのかもしれない。

「やっぱり東京に行かないと行けないの」

「その辺が議論になっているみたい。大阪にも拠点を作るのかどうか」

「ふーん」

 やや赤くなった目で恭介をじっと見ている。

「で、例の温泉旅館はどうなったの」

 核心を突くように恭介を見たまま言った。

「どうもこうも何もないよ。せっかく新しい組織から声をかけてもらっているし」

 恭介は何事もなかったようにそう返事した。実際正直な気持ちだった。

「本当に。前に聞いた時にはずいぶん迷っているように見えたけど」

「佐知子も子どもたちもいるし、今さらこの歳で会社を辞めようと思わないよ。新しい組織もやりがいありそうな仕事だし。会社に不満がないわけではないけど、辞めてしまったら二度と戻れないしね」

 佐知子は黙って聞いていた。

「ただ、最近初めて辞めようかと思うことがあった」

「えっ、何があったの。どうしたの」

 佐知子が興味津々で食いついてきたので年賀状の顛末を聞かせた。

「あなたらしいけど」

「たぶん自分以外の人からすれば全く気にならないことなんだろうけど。本社すらそんな考えで平気でハガキを送る会社が恥ずかしくて恥ずかしくて、年末のご挨拶でお客様を回ったときに何を言われるかドキドキしてた。結局誰にも何も言われなかったけどね。そうすると社内の人は、ほらやっぱり何も問題なかったじゃないかって。これでこの会社はこのままで本当に大丈夫だろうか、このまま働き続けられるだろうか真剣に考えてしまった」

話しているうちにだんだんと興奮してしまった。

「前にも言ったけど、あなたの人生だからあなたの好きなことをやればいい。家族にも十分尽くしてくれたし」

 堅太郎の進学問題も、エージェントによる受け入れ調査の結果、九月から十月にかけて十校からオファーがあり、中には学費の一部だが奨学金付きのものもあった。そこまでくると佐知子も腹を括ったようで、堅太郎と一緒になって学校のホームページをみたりして学校選びに意見していた。オファーのあったなかから、競技実績、専攻科目、生活環境、学費などを比較検討した結果、カリフォルニアのコミュニティカレッジを選んだ。所属選手の大会での実績が高く、堅太郎の希望した温暖な気候と、佐知子がこだわった寮のある学校の両方を満たす学校だった。事前に堅太郎が調べていた通り、その学校からも多くの学生が四年制大学へ奨学金を得て進学していた。恭介もいろいろと調べてみたが、アメリカの大学スポーツはプロ並みにシステム化されていて、選手はコーチが入部を認めた少人数のみ、勉強も一定上の成績を取ることが試合にでる条件にもなっているので、日本の大学のようにスポーツだけやっていればいいというものではなく、勉強も競技も相当な努力が必要となるが、その分結果を出せばしっかりと評価される。堅太郎が言うように日本の大学が古臭く感じてしまう。

 佐知子も日本との違いを理解し、むしろ気に入ったたようで、

「これでアメリカに旅行に行きやすいし、楽しみが増えたわ」

 といつのまにか推進派に寝返っていた。

 年が明けて、都市部を中心にまた新型感染症の感染者が増加し始めた。もう第何派なのか数えるのも嫌になってきて気分が滅入りそうだったが、何とか月一回の大阪への帰省は続けていた。伊藤から直々に新たな組織への立ち上げが新年度度同時にスタートできそうだとのメールが届いた。本部は東京に置くものの、大阪との二拠点体制としてそこを恭介に任せたいとの内容だった。徳永は東日本側の室長付となるとのことだった。徳永自身はまだ独身のため東京への異動は希望通りだったそうだ。。所長の中本にも連絡があったようで、中本から引継ぎに向けて業務整理しておくように耳打ちされた。伊藤が東西に自身の補佐役として徳永と恭介を置くことを強く要望した結果だと聞かされた正式な辞令はまだ先だが、どうやら今度こそ本当に実現されるようだった。

 イレギュラーなタイミングでの異動は後任配置が難しいが、後任は神戸営業所営業課長の中野に内定した。中野は恭介より六年後輩になるが、十五年ほど前に神戸営業所の係長だったときに新入社員で配置されたのでよく覚えていた。若手の頃から営業的な元気よさだけでなく自分なりに考えて戦略的に動けるタイプだったこともあり、その後いくつかの営業所や東日本本社でも成果を上げて、同期の中でも早くに課長として神戸営業所へ戻っていた。残念ながら単身赴任させてしまうことになるのと、中野も地方での勤務は初めてになるので同じような苦悩をすることになるだろう。

 あとは辞令を待つだけとなり安堵する一方で、恭介の中である思いが膨らんでいた。

 営業所長や部長級の幹部管理職は、本社や各地の営業所を転々と異動することが多いため、通常三年を目安に異動となる。短いと一年半から二年で異動するケースもある。幹部管理職として様々な部署で経験を重ねることは必要なことだと恭介自身も考えていたが、大分で顧客と接するにつれて考えに変化が起きていた。

 これまで恭介は関西や東京といった大都市圏での業務が中心だったため、自分たちと同じように対応する顧客の側も頻繁に異動があり、対応者が変わることは当たり前のようにあった。しかし大分の顧客は役所も民間企業も、担当者から幹部に至るまでほぼ全員といっていいほど地元大分の人であるため、多少の部署の異動はあっても大分から出ることはまずない。顧客の側はずっと大分にいる人で、こちらは二~三年ごとにコロコロ変わる。果たしてこれで本当に顧客との関係を発展させられるのだろう かという思いが、大分で三年目を迎えたころから恭介の胸に芽生えていた。

 思い返せば大分に着任した際の挨拶周りで「二年か三年でしょうから、頑張ってください」「前の人は二年でしたね」などと言われたことが一度や二度ではなかった。その時はそういうものだと思っていたが、わが社に対する嫌味が含まれていたのではないだろうか。最近も三年目を迎え「佐藤さんもそろそろですね」と言われることも増えてきた。全国型企業である以上各地への異動はやむ得ないことではあるものの、地元企業から「どうせ二、三年で変わる人だ」と思われているのであれば、そもそも大きな仕事や新しいことを一緒にやろうとは思わないだろう。着任当時のテレワークや、最近だとスマートシティやカーボンニュートラルといったトレンドに合わせた提案への反応がイマイチなのもそういうことなのかと思い始めていた。

 さらに地縁血縁といった地方特有のしがらみも見えてきた。顧客との会話の中で「うちの社長と〇〇の社長は高校の先輩後輩」とか、「△△社長の奥さんと××社長は中学校の同級生」「〇〇市長のお父さんと××社長のお父さんが同じ小学校」とういう話をよく聞く。都市部だと大学が同じということはよくあることだが、小学校や中学校の話になることはまずない。聞けば聞くほどあらゆるところで何かしらのつながりがあるのではと思ってしまうほどであったし、むしろ特に営業という仕事においてはこのような話を知っているのと知らないのとではアプローチの仕方が変わってくる。

 実際地元企業同士は資本(株式)を持ち合っていることも多く、ある意味地元のつながりのなかで助け合い共存共栄しているともいえる。そのようなビジネス環境でわが社のような全国型企業がどうやって生き残っていくのか。地域密着を掲げ地域事業のさらなる拡大を標榜するのであれば、真剣に考える必要があるのではないか。恭介は大阪から戻る飛行機で新組織への期待に胸が膨らむのと同時に、窓の下を流れる薄暗い瀬戸内海をぼんやり眺めながら大分への思いを巡らせていた。

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