第22話 SDGs
秋が深まり朝晩がずいぶんと冷え込み、冬が近づいてきているのを感じる季節となった。社内も年末に向けて慌ただくなりつつあったある日、総務部長の衛藤が恭介のデスクへやってきた。
「毎年お客様へ送付している年賀状ですが、今年から環境に配慮して全社的に取り止めることになりました」
「そうですか。それはいいことですね」
「それで、そのことをお客様に通知するためにハガキを送ることになったので、送付先のリストをチェックしてもらえませんか」
恭介は衛藤を見つめたまま、何を言っているのか意味が理解できなかった。
「何を言っているんですか。環境に配慮して年賀状を止めるのに、そのことをハガキで送るなら同じことじゃないですか」
「そうなんですが、本社からハガキの例文と一緒にそう指示が来ていて」
衛藤から渡された本社の通達文書には、環境に配慮して全社的に年賀状の送付を止めること、そのことを各営業所にてお客様へハガキを送付するよう指示されていて、ご丁寧にその例文まで記載されていた。
その例文には、
『弊社グループでは環境保護に配慮し、書面での年始のご挨拶を遠慮させていただくこととなりました』
と書かれていた。環境に配慮するならそもそもこのハガキは何なんだ。
実は恭介は大学時代の専攻が国際開発論という、当時はまだマイナーだった学問を専攻していた。先進国と発展途上国、それを取り巻く国際社会におけるさまざま要因によって引き起る諸課題、貧困問題や地域紛争、食料問題、環境問題などを幅広く学んだ。同じころ国連気候変動枠組条約会議が始まり、その第三回であるCOP3が京都で開催された際にはすでに卒業していたが、学生時代のゼミの仲間たちとボランティアに参加したりしていた。そんな経験から恭介はここ最近の世界的なSDGsの動向について、本やインターネットで勉強を続けていた。正直言って国連気候変動枠組条約会議そのものは各国の極めて政治的な意図が絡み合い実効性に乏しいが、一方でヨーロッパを中心に民間レベルでは各企業が自らの事業においてSDGsを実行しようとしているのがよくわかる。
フェアトレードチョコレートなどは日本でも増えてきた。例えばグッチやプラダ、アルマーニといった高級ブランドが動物保護の観点から毛皮製品の製造をやめ、合成毛皮やエコファーに切り替えている。イギリスの化粧品ブランドで日本にも展開しているTHE BODY SHOPはすべて製品を植物性由来の原材料で製造している。スウェーデンのトリワという時計メーカーは違法銃器を溶かし不純物を取り除いた金属で腕時計を製造し、その売り上げの一部を武器で負傷した被害者への支援に寄付されている。
また最終的な商品だけでなく、その製造過程においてもそれが求められている。アップルはiPhoneのカラフルな本体は環境由来の塗料が使われていて、日本の小さなメーカーも選定されている。その分商品の価格は若干割高にも関わらず、消費者、特に若い世代はむしろそういう商品を好んで買う傾向にあるそうだ。エシカル消費と呼ばれるものだ。欧米では本気で環境に配慮した企業でないとサプライチェ―ンにすら入れないし、消費者に選んでもらえないところまで進んでいる。
一方で日本ではまだそこまでの動きが感じられない。各企業がSDGsを掲げてはいるものの、SDGsをネタに何かビジネスができないかという発想になってしまっている。各社の幹部はこぞってスーツの襟に十七色の丸いバッチを光らせているが、あのバッチはお金を出せば誰でも買えるもので、それを付けていることに全く意味はない。現に海外で付けている人はいないし、むしろ胡散臭く見られるだけだ。
恭介自身の会社も同様で、やっていることと言えば社内での紙の使用数をカウントしたり、電気を新電力に変えたりという程度。肝心の通信機器製造においてサプライチェーンまで環境に配慮しているとは聞いたことがない。そんな実態だけに、今回の年賀状の件は恭介にとっては我慢ならない話だった。
「これを受け取ったお客様がどう感じるかです。言っていることとやっていることが全く合っていないですよね。大分の企業の幹部の中にはSDGsに関心の高い方もいらっしゃるでしょう。全国規模の会社であるわが社がそういう会社だと思われるのは非常に残念です」
「そうは言っても本社の指示なので」
「であれば本社に上申してください。ハガキを送るということは紙だけでなく、それを配達するためにCO2を排出することにもなります。環境保護というなら、お客様へのお知らせは一斉メールにするとか。営業担当からお話しすることも可能です」
「わかった、わかった。とりあえず一度本社に聞いてみますよ」
衛藤はもう勘弁してくれという顔で自席に戻っていった。恭介は衛藤に言った『残念』という気持ちが率直な感情だった。衛藤はいまいちピンときていないようだった。おそらく所長に言っても同じだろう。全国的にも名前が知られている会社でもこの程度のレベルなのかと思うと、恭介は一人恥ずかしい気持ちに苛まれ、その日はいつもより早く会社を出て帰宅した。
翌日恭介は衛藤に呼ばれ打ち合わせコーナーに行くと所長の中本もいた。
「昨日佐藤さんからご指摘いただいた年賀状の件ですが、本社に確認したところ、やはりビジネス上の通例としてハガキを送付するべきとの回答でした」
想像していた通りの回答だった。
「そうですか。社長や幹部の皆さんもそうされるのですか」
「はい。社長名でも出すそうです」
「なんとも恥ずかしい会社ですね」
恭介は我慢できず、批判を覚悟で本音を言った。
「佐藤さんのおっしゃることは全くその通りですが、お客様全員にメールを送るというのも手間がかかります。来年からはゼロになるわけですし、今回は通例に従うということでお願いします」
中本がまるで説得するように言った。
「ビジネス上の通例は分かりますが、私が言っているのは環境に配慮するという理由、とハガキを送るという行為が矛盾しているということです。そこで提案ですが、どうしてもハガキを送るなら、『環境保護に配慮』という部分を『社会状況を考慮』のような文言に変更できませんか。それなら何もおかしくないでしょう」
昨日の時点で考えていたことだが、あえて衛藤には言っていなかった。本社とそういう代替案を考えてくれるのではないかと少しでも期待した自分が甘かった。
「確かにそうですね。本社から来ているのはあくまで例なので、これくらいの変更は現場判断でやっていいでしょう」
中本が衛藤を見て言った。
「わかりました。佐藤さんのご意見を踏まえ、本社の例文を修正してハガキを作成いたします」
恭介の本当の想いは、それを本社にまで上申して全社的に例文を修正してもらうことだったが、衛藤に言っても無駄だという思いと、たかがハガキで自分一人が騒いでいるだけにように感じて一旦その場は収めることにした。三十年近く働いてきてこれまでも何度もおかしいと思うところはあったが、今回ばかりは変化に対応できずに絶滅した恐竜のように感じざるを得なかった。
数日後、社内のイントラネットで各営業所からがアップしている社内報を見ていると、とある営業所で紙使用量削減を社員に取り組んでもらうために、標語コンテストを実施したところ社員から百以上の標語が集まったというニュースがあった。そこまでならよかったのだが、なんとその標語で日めくりカレンダーを作ったと、営業所長が自慢げにカレンダーを掲げた写真が大きく載せられていた。紙削減の標語を集めて紙のカレンダーを作るなんてブラックユーモアのセンスは抜群かもしれないが、あまりにも馬鹿げているしうれしそうに写真に納まる営業所長の見識が疑われる。
そんなことを考えているのは自分だけかもしれないと思うと、恭介は初めてこのままここの会社で働き続けるべきなのか迷いを感じたと同時に、夕希からの誘いにまだ返事をしていなかったことを思い出した。
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