第21話 新型ウィルス感染
残りの夏休みの間、佐知子は何事もなかったかのように振舞っていたが、恭介にとってはかえってそれが怖くもあり、とはいえこちらから何か言うこともできず、そのまま夏休みが終ってしまった。家を出るときに佐知子からは、
「暑いから夏バテしないように気を付けて」
とだけ言われた。何となく後ろめたい気持ちと後ろ髪をひかれる思いを抱えたまま大分へ戻った。
仕事に戻って一週間ほどたった土曜日、恭介は暑さで目が覚めるとそのまま起き上がり、朝食の準備をしながら喉がイガイガとするのを感じた。エアコンをつけて寝ていたので、喉が乾燥したのかと思って洗面所でうがいをして、いつものようにテレビをつけてニュースを見ながらパンとコーヒーで軽い朝食をとった。土曜日はたいてい、午前中に洗濯や掃除をしたあと近くのスーパーへ買い物に行って、午後からは駅のほうまで歩いて本屋や温泉に入って時間をつぶすのがいつものパターンだった。その日も洗濯、掃除をすませると歩いてスーパーへ行き、土日の食料を調達した。帰り道、気温が高く日差しを受けて汗が吹き出し、体が熱い。喉が渇いてイガイガしていた喉にさらに違和感を感じた。部屋に戻りエアコンを強くして、麦茶を一気に流し込んだが、喉にはっきりと痛みを感じるようになっていた。しばらくエアコンの近くで座っていたが、いつまでも体が熱いままだ。今まで使ったことのなかった体温計を探して熱を測ってみると、三十八度を超えていた。
大阪から戻って一週間、新型感染症感染が疑われる症状だが、恭介はすぐには受け入れられず、ただの熱中症ですぐに熱が下がるのではないかと考え、ひとまず午後は昼寝することにした。しかし、徐々に喉の痛みが強くなり、体が熱くて少しウトウトした後は布団の上でゴロゴロするだけだった。夕方になり水分を取ろうと起き上がろうとしたが、体全体が重くだるくなかなか動けない。何とか起き上がり麦茶を飲んだが、それを飲み込むのすら苦しいほど喉の痛みが強くなっていた。体温を測ってみると熱は下がるどころか、三十九度に迫ろうとしていた。発熱、のどの痛み、倦怠感。症状だけみれば間違いなく新型感染症に罹ってしまったようだ。ワクチン接種の案内がようやく届き、九月の終わりに一回目の接種予約が取れたところだったが、まさかその前に発症するとは。
いやまだ検査したわけじゃないから、まだわからない。まずどうすればいいんだっけ。恭介は体温計の数字を見ながらしばらく呆然としていたが、まずはPCR検査で本当に新型感染症感染か確認する必要がある。大分県のホームページから病院への受診方法を調べた。恭介のようにかかりつけ医のない場合は、県の受診相談センターに電話すると、病院を紹介してもらえるらしい。さっそく電話をかけてみたが、案の定話中でつながらない。二十四時間対応と書いてあったので繰り返しかけるしかないかと、五分おきにかけてみたが一時間たってもつながらない。もう少し遅い時間ならつながるかもしれないので、その間に会社に連絡しておくことにした。
まだ新型感染症に感染したと確定したわけではないが、新型感染症感染だった場合、濃厚接触者の特定やフロアの消毒、本社への報告など、やるべきことが決められていた。社内チャットツールで管理者グループに現在の症状と新型感染症感染の可能性があること、相談センターへ連絡していることを送信した。すると数分後には総務部長の衛藤から返信があった。
『病院での検査が決まったら教えてください。陽性の場合は十日間の自宅待機となります。新型感染症感染の前提で、濃厚接触者の特定をしますので、過去五日間に遡って行動履歴と接触者のリストアップをお願いします』
と、きわめて事務的な内容だった。
企業としては事業の継続性が最優先なので、社内でこれ以上の感染拡大を防ぐことが重要であり、恭介の会社では保健所が定める条件よりも厳しい条件で濃厚接触者を特定することになっていた。恭介の席の周りの社員や一緒に会議に出ていた社員は濃厚接触者になってしまう。濃厚接触者と特定された社員は十四日間の自宅待機が指示され、自宅待機期間が終了する前日にPCR検査を実施し、陰性であることを確認する必要があった。自分自身以上に、周りの社員にも迷惑をかけることになるのが心苦しいが、ルール通り対応しなければならない。
さらに心配だったのが大阪にいる家族の体調だった。新型感染症ウィルスの潜伏期間は五日から一週間と言われている。大分に戻ってから一週間は過ぎていたものの、大阪にいるときに感染していたとしたら、一緒に家にいた佐知子や子どもたちにも影響があるかもしれない。佐知子にもスマホのメッセンジャーで連絡を取った。
『昼頃から熱が出て、倦怠感と喉の痛みが激しいので、新型感染症かも。そちらはみんな体調に変化はないかな』
しばらくして佐知子から返信があった。
『それは間違いなく新型感染症ね。私も子どもたちも今のところ大丈夫です。こっちから行くわけにもいかないので、水分や栄養とれるように必要なものをAmazonで送ろうか』
『それはとても助かる。ありがとう。陽性だったら十四日間隔離になって、買い物も行けなくなるので。でも一体どこで罹ったのかわからない』
『休み中にも出かけていたし、移動で飛行機にも乗っているから、どこでも罹ってもおかしくないでしょ。』
六月終わりから都市圏を中心に蔓延防止措置が適用され、七月から八月にかけて四度目の緊急事態宣言に移行していたので、誰が罹ってもおかしくないとは分かっていても、出かけるときは必ずマスクをして、飲みに行くこともなく、うがい手洗いも欠かさずしていたので、自分が罹ることはないと変な思い込みをしていたが、佐知子の言う通りだ。
『受診相談センターの電話がつながらないので、根気よくかけてみます』
そう返信すると、受診相談センターの番号をリダイヤルした。やはりつながらなかったが、リダイヤルの数を数えるのも面倒になったころ、突然電話がつながり相手の声が聞こえた。話そうとするが喉の痛みが邪魔をしてうまく声が出せない。
「・・・発熱があって、喉の痛みと倦怠感が。新型感染症の症状があるんですが」
「発熱と喉の痛みと倦怠感ですね。初めにご相談者様のお名前、住所、連絡先をお伺いできますか」
喉の痛みに耐えながら何とか伝えると、そこからさらに質問が延々と続いた。
「症状が出ているのはご本人様でしょうか」
「生年月日とご職業は」
「現在の体調について、体温は何度でしょうか」
「その他、症状があればお伺いできますでしょうか」
「いつ頃から症状はありましたか」
「新型感染症感染者と接触をした心当たりはありますか」
恭介は、一つ一つゆっくりと答えていった。症状がもっとひどい場合、この電話をすることすら難しいのではないかと思うほど、現在の症状を細かく質問された。
「かかりつけ医はございますか」
「いえ、単身赴任で一人なので、この辺の病院はわかりません」
「承知しました。それでは受診可能な医療機関をお調べします。少々お待ちください」
電話がつながって話し始めてからすでに十分以上、最初に住所を言ったのにいちいち調べないと分からないのかと若干イライラしていたが、これを一人ずつ対応していたら電話がなかなかつながらないのも無理ない。
「お待たせしました。医療機関を二つご紹介しますので、メモをお願いします」
病院名、住所、電話番号を聞いてメモを取った。
「受診する前に必ず医療機関に電話してから受診してください。検査するかどうかは医師の判断になります。ご案内は以上ですが、何かご質問はございますでしょうか」
「もう土曜日のこの時間ですが、電話はつながるんでしょうか」
「それは医療機関によって異なりますのでこちらでは分かりかねますが、日曜日は休診のところが多いので、その場合は月曜日の受診になりますね」
極めて事務的な回答を聞いてごもっともだと思いながら、このまま月曜までどうすればいいのか分からなくなったが、それを聞いても仕方がないと思い、礼を言って電話を切った。
すでに夜の七時を回っていた。おそらく今日の診察は終わっている時間だが、教えられた病院の電話番号にかけてみた。一つ目はすでに診察は終了したというテープの声が流れた。二つ目の病院にかけると電話がつながった。
「相談センターから紹介してもらったのですが、発熱があって受診したいのですが」
「発熱ですね。お名前と住所、連絡先をお願いします」
この後、症状や感染者との接触の心当たりなど、先ほど相談センターに聞かれたことと同じやり取りをもう一度繰り返した。
「新型感染症の感染の可能性がありますので、検査いたします。ただ今日はもう診察が終了していて明日は休診ですので、月曜日の朝九時に当院までお願いします。必ずマスクをしていただき、外の検査受付テントへ直接お越しください」
「わかりました。ありがとうございます」
「お大事に」
やっぱり月曜日か。明日一日どうしようか。今の状態では買い物にでるのもつらい状態だ。幸い熱中症予防で経口食塩水やゼリー状のサプリメントの買い置きがあったのと、レトルト食品が冷蔵庫にいくつか残っていた。喉の痛みが激しく固形物は食べられそうにないので、その日はゼリーを流し込んでひたすら水分を取るしかなかった。
佐知子と衛藤部長に、月曜日の朝受診して検査することになった旨、スマホから連絡した。佐知子からすぐに返信があり、
『大丈夫ですか。とりあえずお粥とか栄養ゼリーとか飲み物とか適当にAmazonで送りました。こちらから行くこともできないので、いるものがあればまた送ります。食べられなくても水分だけしっかり取って』
と、さっそく荷物を送ってくれたようだ。この後買い物に行けるかどうかもわからないので、これは助かる。
その後、今週のスケジュールを見返しながら行動履歴をまとめ、打ち合わせやお客様訪問で一緒だった社員をリストアップして、濃厚接触者の可能性がある旨を衛藤部長へ送付した。しばらくして返信があり、
『濃厚接触者については上長を通じて自宅待機を指示しました。また明日朝から事務所内の消毒作業を実施します』
と相変わらず事務的な内容だった。所長の中本にも新型感染症感染の可能性が高いことを連絡しておいた。家族への影響はなさそうだが、職場には大きな影響が出てしまいそうだった。誰が罹ってもおかしくないとはいえ、これまで職場内でも感染対策を口うるさいほど言っていた自分が感染してしまったことは後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
その夜はエアコンを付けていても体が熱く寝苦しく、ウトウトしては目が覚めて水分を取り、ゴロゴロしながらまたウトウトしてを繰り返していた。目が覚めるたびにスマホで時間を確認したが、前に確認してから一時間ほどしか進んでおらず外もまだ真っ暗だった。何度目かに目が覚めたとき、少し外が明るくなっていた。時間を見ると六時を過ぎたところだった。部屋の空気を入れ替えようと、エアコンを止めて窓を開けた。一晩中エアコンを付けていたのに、来ていたTシャツが汗で濡れていた。恭介はTシャツを着替えるついでにシャワーを浴びると、ずいぶんスッキリとした。昨日より体の熱さがましな気がして熱を測ってみると、三十七.七度と三十八度を少し下回っていた。寝起きだからかもしれないが、このまま下がってくれるといいけどと思ったが、喉の痛みは昨日と変わらず、体のだるさは昨日以上に感じられた。また寝る気にはならず、冷蔵庫から冷えたゼリー状のサプリメントを飲みながら、テレビを付けた。
今日一日寝たり起きたり、大人しくしておくしかないのか。明日病院で新型感染症感染が確定すればこの部屋で十日間の隔離となるので、もう開き直って過ごすしかなかった。まだ読んでいない本が何冊かあったのと、あとはAmazonプライムで映画でもみて過ごすしかないな、など隔離の過ごし方をあれこれ想像していた。もちろん体調が回復すれば隔離中でもリモートワークで仕事に復帰すればいい。
昼過ぎに佐知子が送ってくれた荷物が届いた。おかゆなどすぐに食べられるレトルト食品や飲み物がありがたかった。熱は昼頃に三十八度に上がったものの、夕方には下がり始め、夜になると三十七度台前半に落ち着いてきた。喉の痛みと倦怠感は変わらずだったが、熱が少し下がった分楽に感じ、その夜も何度か目が覚めたものの前日と比べるとその回数はずいぶん少なくなった。
月曜日の朝、連絡していた病院へ行くと、外のテントで名前を確認された後、看護師から発症からの経過を詳しく聞かれ、土日の状況を伝えた。その後、そのままテントでPCR検査を受けた。長い綿棒のようなものを鼻の奥へ入れられ、鼻の奥の壁を拭うように綿棒が動いた。一瞬ではあったが予想以上の痛みを感じた。結果が出るまで数時間かかるので結果が出たら電話で知らせると言われたため、そのまま家に戻った。戻ってすぐに、検査を受けたこと、結果は時間がかかることを会社と佐知子へ連絡を入れた。
結局電話があったのは十五時を過ぎたころだった。
「検査結果は陽性でした。結果を保健所に引き継ぎますので、この後の指示は保健所からの連絡をお待ちください。お大事に」
検査結果は想定通りだったが、病院は検査をするだけで特段治療はなく、さらに保健所から連絡を待たないといけないらしい。
「保健所からはいつ頃連絡がありますか」
「保健所も逼迫していて、順に連絡されているのでこちらではわかりかねます」
症状からして感染は間違いないだろうとは思っていたが、ここまでしないと確定しないのかという思いと、これを日本全国で感染者一人ひとりにやっているのかと思うと、病院や保健所がパンクするのは当然だろうと感じた。取り急ぎ会社と佐知子に陽性だったことを連絡した。
『隔離期間は保健所からの指示に従うことになりますので、保健所から連絡があればまた教えてください』
衛藤部長からそう返信があった。佐知子はパート中のためしばらく返信はできないだろうと思っていると、営業課長の西川からチャットが届いた。
『新型感染症感染大変ですね。ゆっくり休んでください。飲み物や食料、必要なものがあれば差し入れしますので、遠慮なくおっしゃってください』
一人で病気になった時、こういう気遣いが心にしみる。こういうところが西川の良いところだ。
『ありがとう。妻が適当に見繕って送ってくれたので何とか生きています。いざという時にはお願いするかも』
『わかりました。何かあれば何でも言ってください』
西川とのやり取りの後、改めて熱を測ってみると三十八.八度まで下がっていた。喉の痛み、倦怠感は少しましになってきたが、体の節々に痛みが出てきた。ネットで調べるとり患後の症状として筋肉痛や関節痛が出ることもあるらしい。少なくとも重症化はせずに快方に向かっていると考えていいだろう。そう思うと少し気分も楽になってきた。そうしているうちに保健所から電話がかかってきた。名前、生年月日、住所など一通り確認された後、
「発症が二十一日土曜日ですので、そこからから十日間、三十一日までが隔離期間となりますので、外出は一切控えていただくようお願いします。定期的に電話にて症状を確認させていただき、問題なければ三十一日で解除となります」
「単身赴任で一人なんですが、大阪では自治体から隔離期間中分の食品や飲み物が届くようになっていますが、大分ではどうなでしょう」
「大分市からの支給がありますが、基本的には住民票のある方のみです」
「一人では買い物にも出られないので何とかなりませんか」
「少々お待ちください」
しばらく保留音で待たされた後、
「それでは五日分お送りします」
と回答があった。ないよりはいいが、十日間一切外出を控えるように言っておいて、五日分だとあと五日はどうすればいいのかと言いたかったが、ネットでなんでも手に入る時代なので、それ以上追及するのはやめておいた。
大阪では感染した場合は十日分、濃厚接触者は十四日分の食品が、大阪府と市町村それぞれから届くらしい。大阪の自宅の近所で、一人が感染し家族全員が濃厚接触者となったご家族がいたが、家族の人数分食品が届き、食べきれないくらいと言っていた。自治体によってそのあたりの対応はまちまちのようだ。
またチャットの着信がなった。見るとまた西川からだった。
『飲み物とか食べられそうなもの適当に入れて、佐藤さんのお家のドアノブにかけておきました。お大事に』
慌てて玄関のドアを開けるとスーパー袋がかかっていた。いくらあっても助かるので、ありがたく受け取った。
『ありがとう。とても助かります。大分市からも送ってもらえそうだし、これで何とかなりそうです』
そう西川に返信した。仕事上は少し生意気なところがあるが、こういうことが自然にできるのは人として素晴らしいと素直に思った。
夜になると熱も平熱に下がり、関節痛が残る程度になっていた。土曜日に発症して三日間でこれくらいの症状なら軽症といっていいだろう。あと一週間の隔離状態が続くことを考えると憂鬱だったが、四十代でも重症化している人もいることを考えるとこの程度の症状で治まったことに安堵していた。症状さえ治まればリモートワークで仕事をすることも可能だ。
恭介は翌日もう一日休んだあと、リモートワークで仕事に復帰した。その日はちょうど週一回の管理者会議の日だったので、リモートで会議に参加した恭介は冒頭感染で迷惑をかけたことを詫びた。
「この度は私の感染で濃厚接触者のみなさんはもちろん、消毒作業等々ご迷惑をおかけしました。誰が罹ってもおかしくないとはいえ、これまで社内で感染対策をうるさく言ってきて、自身も十分気を付けていたにもかかわらず感染してしまったことに忸怩たる思いですが、普通に生活していても感染する可能性があるということがわかりましたので、引き続き皆様も十分に気をつけて下さい」
自分でも言った通り誰が罹ってもおかしくないので、悪いことをしたわけでもないので謝ることではないと思いながら、やはり周りの社員にも不安を与えたことは間違いないので謝るべきだろうと思いそう発言した。
隔離生活に耐えられず宿泊先のホテルから脱走するニュースが流れていたが、体調も回復してくるとさすがに部屋から一歩も出ずに一日過ごすのが辛くなってきて、脱走したくなる気持ちも分かるような気がした。コンビニは買い物に行くくらいは大丈夫だろうとは思ったが、何となく気がとがめたので保健所の言う通り真面目に隔離生活を過ごした。
定期的に保健所から電話があり所在や症状を確認され、保健所から設定された隔離期間の最後の日も同じように確認があった後、
「以上で隔離期間は終了です。引き続きお大事に」
の一言を持って、無事隔離生活が終了した。終わったーと叫びたい気分だった。とりあえず外に出ようと、恭介はすぐに着替えると玄関を開けた。十七時半を過ぎたところでまだまだ日差しは暑かったが、十日間エアコンを付けっぱなしの部屋にいた恭介はその暑さも心地よく感じ、大きく手を広げて背伸びした。自転車に乗って駅まで行くと、駅ビルの中にあるスーパーで大きめの弁当とサラダ、炭酸水を買った。十日間市からの支給日や佐知子が送ってくれたレトルト食品を食べて過ごしたので、とにかく今はお腹いっぱい食べたかった。本当はビールも飲みたかったが、アルコールは新型感染症感染後の後遺症に影響があるとネット記事に出ていたのでやめておいた。どこまで信用できる情報か分からないが後遺症は出ないに越したことがない。
買い物から戻って佐知子にも連絡を入れた。
『ようやく今日で隔離終了しました。症状は軽かったけど、思った以上にしんどかったです。そちらも十分に気をつけて下さい』
『しばらくは体力回復が必要ね。まだしばらく暑いので熱中症も気を付けて過ごしてください』
しばらくして佐知子から返事があった。
翌日恭介は二週間ぶりに会社に出社した。隔離中もリモートワークで状況は把握していたものの、出社して顔をみて仕事できることにほっとした気持ちだった。恭介の大分生活は三年目に入っていた。
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