第19話 新組織の立ち上げ

 八月になり恭介の大分での生活も三年目を迎えた。八月の定期異動では恭介に声がかかることはなった。人事異動は一期三年が定石なので声がかからなくて当然だが、少し前に本社の徳永と電話で話したときに徳永が言っていた「伊藤室長が定期人事で何か考えているようだ」いう言葉に、内心期待していたのは間違いない。大分での丸二年で売り上げも伸ばしているし、新型感染症禍でのワーケーション事業など、他の営業所に負けないだけの成果を上げた自負もあるが、こればかりは自分ではどうしようもないことだと分かっていた。

 来週から夏季休暇に入るというある日の午後、本社の徳永から恭介へ電話が入った。

「来週からお休みで大阪へ戻られると思いますが、一日早く大阪へ戻って本社へ寄っていただくことはできませんか」

「大丈夫だと思いますが、何かあったんですか」

 突然本社に呼び出されるのはあまり気持ちのいいものではない。大分異動前に徳永に呼び出されたことを思い出し少し警戒する言い方になった。

「伊藤室長がお話ししたいそうです」

「伊藤さんが?」

「はい、各営業所の営業部長に実情をヒアリングしたいということです」

 この時期に今更なぜそんなことを。恭介は意図を汲みかねて返事ができずにいると徳永が続けた。

「というのは表向きの理由で、本当は佐藤さん自身のことです。今回の定期異動では難しかったですが、次の一月定期異動に向けて、伊藤さんが新しい部署の立ち上げを考えていて、その相談のようです」

「しかし人事の話なら中本所長を通さないと」

「それはすべて決まってからで大丈夫です。今回はあくまで帰省に合わせた営業部長ヒアリングということでお願いします」

 新型感染症禍においてオンラインでの会議が主流となったため、出張する理由がなかなか難しくなってしまったが、帰省ついでにということであれば所長もうるさいことは言わないだろう。

「わかりました。お伺いいたします」

 恭介はそう答え、これは帰郷旅費じゃなくて出張旅費でいいんだよな、とせこいこと想像していた。

 所長の中本に何と言おうかといろいろ考えた結果、営業部長ヒアリングに加え次の定期異動に向けて管理者および一般社員の人事について徳永と内々に話をしてくるという名目で、大阪出張の許可を得ることができた。恭介自身の人事だけでなく、他の管理者や社員の人事に手を打つ必要があるのは事実で、営業所内の人事調整を恭介に頼っていた中本も認めないわけにはいかなかった。大分営業所は年々高齢化が進み、毎年の定年退職者で人が減る一方で、今回の定期異動においても営業所の中核となる若手・中堅社員の配置を強く要望したものの、新入社員二名が配置されただけで実質ゼロ回答であった。徳永にもずいぶんやりあったが、徳永が困ったように言ったのが、

「大分に行ける人材がいない」

という意味不明な理由だった。

「関西から出すにしても、九州の中で回すにしても、結局単身赴任でしか行けない土地だからね。中堅社員はちょうど結婚したり、子どもが生まれたりのタイミングと重なってなかなか難しいよ」

「そんなこと言ったら、我々はどうなんだ。人事異動は命令じゃないの」

「もうそんな時代じゃないよ。ライフスタイルにも配慮しないと、辞めれるのが一番困る」

 結果的に大分へ配置されるのは、まだ何のしがらみもない新入社員か、ある程度家庭が落ち着き単身赴任可能な四十代後半から五十代のベテラン社員だった。このままでは管理者の負担も増えるばかりなので、恭介なりの対応案をいくつか考え次の定期人事向けて伊藤や徳永に改めて話をしたかったので、ちょうどいいタイミングだった。

 夏季休暇の一日前に恭介は大阪へ戻り、約束の時間に西日本本社の伊藤のいるオフィスへ入った。

「佐藤さん、お疲れ様です。こちらへどうぞ」

 さっそく徳永が恭介を見つけ、声をかけてきた。

「やあ、久しぶりだね。ワーケーション事業の報道発表の時以来かな」

「そうですね。その後、あの旅館はいかがですか」

 恭介は夕希からの打診をその後あまり考えないようにしていた。しばらく時間をおいて考えようと思っていたが、徳永から夢の屋の話が出たので嫌でも頭によぎった。

「新型感染症が収まらないから影響が想像以上に大きいね。女将がいろいろと新しいことをかんがえているみたいだけど」

「観光業は特に厳しいですね。また何か一緒にできればいいですが」

 徳永について伊藤の部屋へ入ると、伊藤はすぐに立ち上った。

「やあ佐藤さん。わざわざ来てもらってすみません」

「いえこちらこそ、休み前に合わせていただいてありがとうございます」

 伊藤のデスクの前にある打ち合わせ机に、伊藤と向かい合って座った。徳永も恭介の隣に座った。

「佐藤さんは大分に行って丸二年ですね」

「はい、三年目に入りました」

「大分営業所はいかがですか」

「ほかの地方営業所もそうだと思いますが、圧倒的にリソース不足ですね。人数はいますが、高齢化して新しいことをやるのは難しいですね」

「それでもたった二年でいくつも大きな成果を上げられたのはさすがです」

「たまたま運がよかっただけです」

「それも実力ですよ」

 伊藤はアイスコーヒーのグラスに口をつけた。

「徳永君から大分異動のいきさつは聞いています。完全な濡れ衣にも関わらず、トップの意向だけで決められてしまった。今後はこういうことがないよう留意したい」

 当時当事者ではなかった伊藤から今更そのことを持ち出されても、恭介はなんと言っていいか分からなかったが、現人事担当役員の伊藤からそう言われると受け入れるよりなかった。

「もういいんです。確かに当時は会社を恨みましたが、大分へ行ったことで面白い仕事もできましたし、地方の現場の実情もよくわかりました。これも経験だと思います」

「大分営業所にとっても、佐藤さんが新しい視点を持ち込んでくれたことは大きな財産になっているでしょうね」

 横から徳永が口を挟んだ。

「本題はここからですが」

 伊藤が恭介を真っすぐに見て言った。いよいよ来たか。恭介は伊藤が何を言うのか、恭介も真っすぐに伊藤を見た。

「来年東日本本社に新しい組織を立ち上げます。そこへ佐藤さんを推薦したいと考えています」

「東日本本社ということは東京ですか。新しい組織というのは何をするのでしょうか」

 次の異動の話があることは想像していたが、東京とは想定外だった。

「品質のいい海外メーカーが主流になり、機器メーカーとしてこれまで通り機器だけを売っていては立ち行かなくなるのは目に見えている。これからは機器そのものではなく、データを流通させる基盤、プラットフォームをいかに押さえるかだ。スマートシティや都市OSという言葉を聞いたことがあるだろう。実はわが社も数年前から研究所で開発を進めていて、いくつかの自治体で都市OSのプロトタイプの実証を行ってきたが、これを本格的に社会に送り出していく。そのための組織が東日本本社にできるというわけだ」

 営業の現場ではまだまだモノを売って稼ぐことに注力しているのが現実だ。それも会社の収益を支えるベースになっていることは間違いないが、伊藤の言う通り安くて品質の良い海外製品との競争により頭打ちになっていることから、新たな事業領域を確立していく必要があることは、一介の管理職である恭介でも十分理解していた。ここ数年行政のデジタル化が叫ばれてきたが、今後はさらにデータをオープンにして住民サービスや企業活動にも活用し、ゆりかごから墓場まで日本のどこに住んでいても同じサービスを受けられるようにしようというのが国の描くデジタル国家都市構想だった。それを実現するのがデータ連携基盤、いわゆる都市OSであり、ここ一、二年で各省庁が新たな事業を立ち上げていたことから、恭介も注目していた分野だった。

 とはいえ二つ返事で受け入れる気持ちにはなれなかった。

「大分にいるとなかなか縁のない話ですが、私自身興味のある分野ではあります」

「まだ各都道府県や基礎自治体の動きには温度差があるからね。こればっかりは我々事業者が先走ってもうまくいかない。自治体としっかり歩調を合わせてタッグを組む必要がある。その開拓チームを佐藤さんにお願いしたい」

「ありがとうございます。非常にありがたいお話ですが、少し考える時間をいただけませんか」

「何か気になることがありますか」

 横からまた徳永が聞いた。恭介は徳永のほうは見ずに、伊藤のほうを向いたまま答えた。

「今はやむなく単身赴任をしていますが、どうしても家のことでは妻に大きな負担をかけてしまっています。東京勤務となると、またしばらくの間単身赴任を続けることに不安があります。正直自分の仕事のために家族を振り回していいものか、今回の単身赴任生活でずいぶん考えさせられました」

「なるほど、わかりました。その点はどういうやり方があるか少し考えてみましょう。ちょうど社長もリモートワークで単身赴任解消をぶち上げたところだし、大阪で仕事をすることも可能でしょう」

「そんなうまくいきますかね。いきなりそこまでは難しいと思いますが」

 恭介が異動する前提で伊藤がそこまで考えてくれていることはありがたかったが、いくら社長が言ったからといって、東京に新しくできる部署に配属されて東京に行かないわけにはいかないだろうと思った。また単身赴任となるとやはり佐知子のことが気にかかる。

 新型感染症禍ということもあり、伊藤からも徳永からも飲みに誘われることもなかったし、本社ビルもリモートワークが主流で閑散としていたので、恭介はそのままビルを出た。すでに夕日が傾きかけていたが、まだ眩しくギラギラとした熱を発していて恭介の体から一気に汗が噴き出した。

「やっぱり大阪は暑いな。人も多いし」

 恭介は独り言をつぶやきながら、以前に比べるとずいぶん少なくなったとはいえ大分からすれば大混雑ともいえる人の波に沿って、阪急梅田駅へ歩いた。それにしても大阪の暑さは危険すら感じる暑さだ。天気予報の最高気温を見てもいつも大阪が一番高いが、実際の体感はそれ以上だ。いわゆるヒートアイランド現象で、地面からむせ上がるような熱波が息苦しくも感じる。大分は海が近いこともあり、気温は高くても海からの風を感じることが多いし、以前に数年住んでいた東京も暑かったが、意外と都心にも緑が多く木陰を選んで歩くことができた。大阪の暑さは年々酷くなっている印象すらしていた。

 阪急梅田駅の紀伊國屋書店に寄ったあと、八時を少し過ぎたころ自宅に着いた。

 玄関からそのまますぐ横にある洗面所に入り、念入りに手洗いうがいをしたあと、リビングへ入った。

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