第16話 働き方改革

 つかの間の年末年始休暇を恭介は大阪の自宅で過ごした。子どもたちが小さい頃は家族で恭介と佐知子のそれぞれの実家へ帰っていたが、子どもたちが大きくなるにつれ段々と実家からも遠ざかっていった。まして新型感染症禍である。結局近場での買い物程度の外出だけでゆったりとした年末年始だった。

 月一回の帰宅の度、佐知子は機嫌よく笑ってよく喋るこもあれば、ほぼ無言の時もあったり恭介に対する感情の波は相変わらずだった。年末年始の休みもはじめの二、三日は口数も少なく、何を言っても反応が薄かった。そうなると恭介もだんだん言葉をかけずらくなり、やや拗ねたように洗濯物を畳んだり、食器を片付けたり一人でできることを黙々とこなしていった。そうしているうちに佐知子も少しずつ話すようになってきて、いつの間にか元通りになっていた。佐知子の感情の振れ幅が大きいのは若いころから変わらないが、単身赴任となり離れている時間が長い分、たまに家に戻った時につれない反応をされると恭介にとっては、大分で一人でいるとき以上に寂しい気持になった。

「いつも一人であれもこれもいっぱいいっぱいで何とかこなしているときに、たまにあなたが帰ってくるとなると、限界を超えたように気持ちが切れてしまうことがあるの。また一度スイッチが入るのなかなか切り替えられない。悪いとは思っているけどどうしようもないの」

 一度佐知子に何気なく聞いてみたら、佐知子は自分でもわからないと言いながらそう答えてくれた。単身赴任生活は恭介自身だけでなく、佐知子にとっても大きな負担がかかっていたようだ。特にお互いの気持ちの面での負担が大きく、それがかみ合わないときに顔を合わせると悪い雰囲気になってしまう。お互いわかっているはずだが、佐知子が言うようにどうしようもないのだ。

 新型新型感染症感染者は年末年始休暇の後、予想通り急増し、首都圏や関西圏を中心に緊急事態宣言が発動された。結果的にこの年は一年の大半の時期で緊急事態宣言もしくは蔓延防止措置が適用されることになった。一時期観光客が少し戻り始めていた大分の観光業界はまた閑散とした状態に陥っていた。大分の経済は宿泊やとそれに付随する飲食、交通など県外からの環境客からの外貨に支えられているため、新型感染症禍においても知事は観光や飲食店の利用を積極的にアピールを続けて、感染者が増加しても緊急事態宣言もしくは蔓延防止措置が適用を要請することはなかった。

メディアにも取り上げられ大々的に始めた県のワーケーション事業も、夢の屋でのトライアルは恭介も全面的に協力し盛況に終わったものの、都市圏の緊急事態宣言で移動が制限されたこともあり、その後手を上げる企業は出てこなかった。

「いくらワーケーションといっても、そもそも移動を抑制されたらどうしようもないですね」

 県庁で久しぶりに篠原を見つけると恭介は声をかけた。

「そうなんですよね。県としては緊急事態宣言を出していないので来県してもらって構わないスタンスですが、企業側がほぼ出張自粛ですもんね」

「弊社も大阪が緊急事態宣言になったので、本社は出張自粛のようです。私も帰省がしづらくて困っています」

「夢の屋さんもどうなんでしょう。やっぱり厳しいんでしょうかね」

「私も最近は伺えていないんです。新年度になりましたし、一度ご挨拶かねて様子を見てきます」

 そう答えたが、恭介は休日に何度か夢の屋を訪れていた。夢の屋が宿泊客減少を少しでも穴埋めするため、それまで実施していなかった日帰り温泉を始めたため、月に一~二回ほど恭介も夢の屋へ足を運んでいた。実は日帰り温泉のアイデアも、ワーケーション事業トライアルの際に、女将の宮本夕希と食事をしているときの会話の中で恭介が思い付きで話したことだった。本当は毎週でも行きたい気持ちがあったが、温泉は大分市内にいくつもあったし、そもそも宮本夕希も会うことが目的だとしたらそれは慎まなければならないと自身に言い聞かせていた。

 新しい年度が始まっても新型感染症は新種株を発生させながら、収束する気配すらなかった。大分県内の感染者も四月後半には急速に増え始め、そのタイミングで東京オリンピックの聖火リレーが大々的に実施され、その後ゴールデンウイークにかけてさらに感染者が増加することとなった。他県では公道でのリレーを中止するなど対策がとられていたなかで、大分では予定通り開催されたことから、聖火リレーと感染者増加の関連性は定かではないものの、飲食店への時短要請以外に策がないことに、さすがに県内からも不満の声が上がり始めていた。それでも大分営業所では不思議と社員の感染者が出ることはなく、ほぼ通常営業で新年度をスタートしていた。

 そんな中、毎年六月上旬に行われる前年度決算の記者発表の席で、社長が「リモートワークを前提とした働き方へ」「転勤・単身赴任をなくす」と公表したことが新聞やニュースで大きく報じられた。新型感染症禍で本社を中心にリモートワークが進んでいるのは確かだが、あまりにも突然のことで恭介たちも寝耳に水の発表だった。

「これってどういうことですか。私たち現場の営業や保守はどうなるんでしょう」

「佐藤部長のように県外から来られている方は、皆さんいなくなっちゃうんですか」

 社員からも相次いで不安の声が上がった。労働組合から社員へも何の事前情報もなかったようだ。新型感染症発生以降、世の中の生活様式が大きく変わったことは間違いないが、一方で都市部と比べると地方都市での仕事のやり方はそれほど変わっていないのも事実だった。それを突然このような報道がされると社員が戸惑うのは当然だ。

「所長、今回の社長の発表の詳細を知りたいんですが」

 記者発表の翌日、恭介は中本のデスクへ行って尋ねた。

「私も昨日初めて知ったから、社長が話した以上のことは分からないんだ」

 中本は当たり前のようにそう答えた。

「今だって管理者の半数は単身赴任者ですよ。単身赴任がなくなったら営業所が成り立たないでしょう。私が大阪にいて営業部長やるなんでおかしいでしょう」

 恭介が着任した時には単身赴任の管理者は恭介一人だったが、その後定期異動での入れ替わりがありいまでは半数が単身赴任者となっていた。恭介自身もともとはリモートワーク推進派だった。コロナ禍となりリモートワークの仕組みがが始まった時には大阪の自宅でリモートワークをやっていた。しかし実際にやってみると、当然のことながら職場の様子が見えない。ちょっとしたことでもいちいち電話しないと聞けない。一対一だとそれでもいいが、複数人で話したいと思うとわざわざオンライン会議を設定しないといけないし、オンライン会議だとどうしても活発な議論になりづらい。ましてや大分では都市部に比べて感染者も少なく、社員のほとんどは出社していたし、対応している顧客の担当者もそうだった。

「おっしゃる通りだが」

 中本が間の抜けた返事をした。だめだこりゃ。自身は大分に自宅があり、定年まであとわずかとなると関心が薄くなるのも分からなくはないが、約百名の社員を抱える営業所のトップであることは自覚してほしいものだ。やはり情報は自分で集めるしかない。デスクの電話の受話器を上げようとしたとき、逆に電話が鳴りだしたので恭介は慌てて電話に出ると、大分県庁の篠崎だった。

「ニュース見ました。さすが大企業ですね。ぜひ詳しい話を教えてください」

「篠崎さん、情報が早いですね。我々も何も聞かされていなくて、寝耳に水なんですよ」

「そうなんですか。転勤しなくていいなら、これを機にぜひ大分への移住をお願いできないかとおもいまして。昨年のワーケーション事業のように、次は移住施策で連携協定とかいかがですか」

 アイデアマンで行動力のある篠崎とはこれまでもずいぶんいろいろな仕事を一緒にやってきたことで、何かと声をかけてもらえるのはありがたいのだが、さすがに今回ばかりは今の段階でビジネスにつながる感触が全くない。

「連携協定を締結していただいた企業の方が移住される場合の特別な補助を検討しています。ぜひお願いします」

「具体的なことはこれからのようですので、分かり次第またお話しさせていただきます」

 恭介は篠崎との電話を切ると、続けて西日本本社経営企画部の徳永へ電話した。しかしコールはするがいくら待っても誰も出ない。しばらく時間をおいてかけても同じだった。仕方なく以前聞いていた携帯番号へかけてみると数コールで徳永が出た。

「ああ佐藤さん、お疲れ様です」

「ああお疲れ様。ところでオフィスへ何度もかけたけど全然つながらなかったんだ」

「私もそうですがほぼ全員が在宅勤務ですからね。一応電話番で一、二名は出社するか、転送するようしているんですが」

「なるほどね。ほんと地方とのギャップを感じるよ」

「で、どうされましたか」

「どうもこうも、昨日の社長の記者発表の件だよ。リモートワーク前提とか転勤や単身赴任をなくすとか、あまりにも突然で社員も動揺している。あれはどういうことなの」

「今日は朝からその件で、広報にもかなりの問い合わせや取材依頼が来ているようです。社員もそうですが、佐藤さん自身にとっても大事な問題ですもんね」

「私のことはいいんだよ」

 と言いながら、これだけ必死になって情報を集めようとしているのは、やはり自身の今後がどうなるのかということが引っかかっているのだろう。

「どうやら政府から経済界に対して、新型感染症対策のためのリモートワークの一層の促進を求められていて、各社様子見だったところうちの社長が先陣を切ってぶち上げたようです。社長の意図は今すぐというわけでなく、今後リモートワークがより広がれば、転勤も単身赴任もなくすことが可能になる、ということを言いたかったようですが、転勤、単身赴任がなくなるというところだけが大きく取り上げられてしまいました」

「もしそうなれば、これまでの日本型経営スタイルが大きく変わることになるから、それだけ関心が高いんだろけど。現場の社員は、会社は営業所をなくそうとしているんじゃないかと心配している」

「おっしゃる通り、営業や保守の現場をなくすわけにはいきません。今後の見通しとしては、リモートワークを前提とする部署を設定して実施していくことになるでしょう。現実的には一部の本社組織だけでしょうね」

「全社的に見ればごくわずかだね。それをさも会社全体がそうなるような言い方はどうかと思うけど。いずれにしても社員に向けては少し説明しておく必要がある」

「今私が言った内容は話してもらって結構です」

 これで社内向けには話ができそうだと考え、篠崎からの電話の件も徳永の耳に入れておこうと思い切り出した。

「それから、県庁の篠崎さんからもさっそく電話があったよ。移住施策で連携できないかと言っている」

「移住?」

 大分県はかねてから人口減少への対策として県外からの移住を推進している。ここ数年は移住地域人気ランキングの上位にランクされるほどになっている。自治体によっては移住者へ住居や一時金を用意し仕事も斡旋するなど、積極的に取り組んでいるところもあり、転入超過となる自治体もあるほどだ。

「転勤や単身赴任がなくってどこでも仕事ができるのなら、大分に住んでリモートワークしてほしいということみたいだ。また連携協定をやりたいだとさ」

「篠崎さんにずいぶん気に入られましたね。それなら佐藤さんが移住しますか」

 徳永が笑いながら言った。

「笑い事じゃないよ。徳永さんも一度住んでみれば」

 大分は良いところだ。海も山も自然が豊かで、食べ物はおいしい。気候も温暖、しかも温泉がそこら中にある。しかし大阪や東京での生活に慣れ、いつでもアウトレットやショッピングモールへ行ったり、電車に乗ればどこにでも遊びに行ける都市部の便利さと比べると、退屈極まりないのも確かだ。特に車を持たない恭介からすれば、休みの日に行けるところも限られていて、買い物するところもいつも同じだ。恭介の唯一の趣味でもある読書をするにも、大きな本屋も少ない。このまま大分に住み続けたいかと言われると、ノーと言うのが本音だ。大分へ移住してくる人も近隣県からが多く、もちろんアウトドアなど地方での生活に魅力を感じ都市部から移住してくる人もいるが少数派である。都市部からの移住者が地元の人とうまくなじめず、トラブルとなるケースもあるようだ。無理に外から人を呼ぶより、子育て環境をよくして出生率を上げるほうが効果的だと恭介は思っていた。

「確かに遊びに行くには良いところだと思うけど、住みたいかといわれるとね」

 徳永も同意した。

「いくらネット社会といってもリアルな便利さには勝てないと思うけどね」

 恭介は周りにいる地元社員に気を使ってやや声を落としてそう言った。

「それよりももっと地場人材を積極的に採用して育成すれば、いずれ単身赴任も必要なくなると思うけど。外からきたから感じるけど、やはり地元のことは地元の人間が一番よくわかるんじゃないの」

 かつては地域採用があり年配の社員は地元出身者がいるが、恭介より下の年代は全国一括採用なので、どうしても東京や関西出身者が多数を占めてしまう。結果として生活の拠点は都市部にできてしまい、地方への異動は単身赴任とならざるを得ないし、異動しても数年でまた別のところへの異動となる。

 大分に来てみると地元企業のお客さまはほぼ地元出身者である。当たり前と言えば当たり前だが、ずっと大分にいるお客さまと数年ごとに変わる営業担当者ではそう簡単には本音で付き合ってもらえない。大分に来た当初はお客さまとの仕事の進め方がなかなかスムーズにいかないことに違和感を感じていたが、関西ではお客さまも数年ごとに異動して担当が変わることは普通で、お互いその間でいかに成果を上げるかという点では利害関係が一致していたから話が早かったのだと、一年以上たってようやく理解できた。

 全都道府県に拠点を置く全国型企業として、各地域での人材確保を進めるなら、地域で採用し地域を拠点活躍する社員を育て、必要なタイミングで本社や都市部で勤務するようなこれまでと逆の流れを作る必要があるだろう。

「東京や関西はいいけど、それ以外の地方都市で我々のような全国企業が生き残っていくには、やはり人材確保が一番の課題だと思うよ」

「そうはいっても労働人口が減ることは間違いないので、そのうち集約という話も出てくるかもしれませんね」

「各県に拠点があることがわが社の価値だから、そうならないことを願いたいね」

「地方勤務を経験されたからこそのご意見ですね。まあ、これを機に佐藤さんも単身赴任解消されるといいですね」

「あなたに言われたくないな」

 大分への異動の経緯を思い出して少しムッとした言い方になった。

「伊藤室長も次の定期人事では何か考えているみたいですよ」

 徳永は恭介の言葉には反応せずにそう言った。

「まあ期待しないでおくよ」

 笑いながら恭介は電話を切ったが、戻りたいに決まっているじゃないか、心の中ではそう叫んでいた。

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