第15話 宮本夕希

 徳永が言った通り、西日本の全支店・営業所へ別府でのワーケーション参加の募集がかけられた結果、定員の十名を大きく超える三十八名から応募が集まった。篠崎や夕希と相談しし、十一月の第一週から第四週まで、一週間ごとに十名ずつ参加してもらうこととなった。

 夢の屋では新型感染症第二波のあと九月と十月を臨時休業し、その間にワーケーションに合わせた室内の改装やインターネット環境の整備を進めていた。その多くを恭介が案を出し、業者や従業員と調整し、夕希が決定するというやり方で、恭介はいつの間にかほとんどの従業員とも顔なじみになっていた。実際の作業はサポート部の構築部隊が対応したが、恭介は何かと理由を付けて、多いときは週に二度、三度と夢の屋に足を運んだ。

 中本には逐一状況は報告していたものの、

「営業部長自らずいぶんと熱心だね。他の案件も頼みますよ」

と度々嫌みと言えなくもない小言を言われたのは一度だけではなかった。調印式のあとには、

「よくやってくれた。あの女将さんを見たら、君があれだけ力をいれていた理由がよく分かったよ」

と真顔で言われた。短期間で実現に漕ぎ付けるため必死で各方面と話をして調整をすることが最優先だったが、その原動力の一つが夕希の存在だったのは否定できない。

 十一月の第一週、第一陣を迎え入れる前日に恭介は夢の屋で最終チェックに立ち会っていた。すべて和室だった居室はいくつかがフローリングに改修され、パソコン作業がしやすいデスクと椅子が置かれていた。新型感染症感染対策のため空気清浄機も完備した。当然ながら全室でWiFiによる高速インターネットが利用できる。サポート部の面々が速度テストを行っていたが、各部屋はもちろん、ロビーやレストランでも十分なスピードが出ていた。これならワーケーション中ずっと部屋にいる必要はなく、その日の気分で館内どこでも仕事ができる。

 サポート部の作業も終わり送り出した後、恭介も夕希に声をかけて帰ろうと夕希を探しているとあちらから声がかかった。

「佐藤さん、お疲れさまでした。ちょっとコーヒーでもいかがでしょう」

 夕希はそう言うと同時にレストランのほうへ向かったので、恭介は断るタイミングもなく一緒にレストランへは入った。

「本当にいろいろとありがとうございました。従業員もすっかり佐藤さんに頼りきりで」

 夕希はそう言いながら恭介の前にコーヒーカップを置いた。

「いえいえ、私は仕事でやっていますから。皆さんのお役に立てて何よりです」

「テレビや新聞で大きく取り上げていただいたので、年末年始や年明け以降の予約が一気に増えて、ここ数ヶ月のことを考えると信じられません」

「宮本さん自身もずいぶん取り上げられていましたね。美人女将として」

「やめてください。女性が一人でやっているのが物珍しいだけだと思います」

 そう言うとコーヒーに口を付け、遠くを見るように窓のほうを向いた。少しの間沈黙が流れた。恭介は夕希の横顔を見ながら、何か言おうと考えていた。適当な話題が見つからず、聞いていいのかどうかわからないまま、以前から聞きたかったことを聞いてみた。

「いつからここを一人で」

「もう十三年になります。元々は父と母が二人で大きくした旅館だったんですが、突然の交通事故で二人同時にいなくなってしまって。飲酒運転のトラックが突っ込んできて避けようがなかったようです」

「そうでしかた。嫌なことを聞いてしまいましたね。ごめんなさい」

「いえいえ、今となってはもう過ぎたことですから。当時私は福岡の大学を卒業してそのまま就職していました。両親がいなくなってこの旅館をどうするかという話になって、従業員の皆さんから戻ってきてほしいとお願いされました。私も高校を卒業するまでこの旅館で育って、従業員の皆さんのこともよく知っていましたし、私が戻ることで両親の残した旅館を続けられるならと思い戻ってきました。だから全然一人じゃないですよ」

「そうですね。変な聞き方をしてすみません」

 一人というのはそういう意味じゃないんだけどな、と恭介は思いながらも話を合せた。

「本当は福岡にいたときには将来を約束していた人がいたんですけどね。こっちに戻ることになって自然消滅してしまいました。相手にしてみれば旅館を一緒にやる程の覚悟はなかったんでしょうね。そういう意味ではそれ以来一人と言えば一人ですよ」

 恭介の想像を見透かすように夕希は淡々と言った。

「宮本さんほどの人なら周りが放っておかないでしょう」

「確かにいろいろと世話を焼いていただくこともありましたけど、旅館を守ることで精いっぱいでそんな気にもなれませんでした」

「もったいないな。まだまだこれからでも、十分魅力的ですよ」

「やめてください。もう三十八ですよ。佐藤さんがおじさんでも男性にそう言われると恥ずかしいです」

「おじさんですか。確かにそうですが面と向かって言われるとちょっとショックです」

 そう言って二人同時に笑い声を上げた。

 その後もしばらく他愛もない話をして、おかわりのコーヒーもなくなったところで恭介は会社に戻ることにした。外に出ると夕希は車のそばまでついてきた。

「新型感染症ウイルスはまだ先が見えないでしょうね。大変だと思いますが私にできることがあれば言ってください」

「本当にこの先どうなるか不安でしたけど、今回のことで少し自信になりました」

「そうです。周りの環境を嘆いたり不満を言っても何も解決できない。でもそれを受け入れる覚悟を決めれば、あとは前に進むだけ、何でもできるはずです」

「本当にありがとうございました。気を付けて帰って下さいね」

「こちらこそありがとうございました。明日から社の者が大勢でお世話になりますがよろしくお願いします。また様子を見に来ます」

「はい、ぜひ来てください。佐藤さんにいていただけるだけで、本当に助かるんです」

 そう言って夕希がじっと恭介を見るので、何と返事をしていいものか思案してたまらず目をそらしてしまった。

「佐藤さん、大分の二度泣きってご存じですか」

 一瞬の沈黙の後、ふいに夕希が聞いた。

「はい、大分に赴任してきたときに教えてもらいました。転勤するサラリーマンが一度目は大分に来るときなぜ大分にと泣き、二度目は大分を離れるとき離れたくないと泣くというやつですね。それだけ大分が良いところだと」

「そうです。でもあれって絶対嘘ですよね。やっぱり大分から離れるときは、やっと家族の元に帰れるって思うんじゃないですか。佐藤さんもそうでしょ」

「どうでしょう。その時になってみないとわからないけど、大分が良いと新型感染症のは間違いないから、離れるときは泣いてしまうかも。でも大阪に戻ったらそれはそれでうれしくてまた泣くかもしれません。三度泣きですね」

「佐藤さん、それはずるいです」

夕希は小首を傾げて微笑んだ。恭介がそのまま振り向いて車のドアに手をかけたとき、夕希の手が恭介の背中にそっと触れた。一瞬時間が止まったようにお互い何も言わなかったが、恭介はそのまま車に乗り込んだ。

 恭介は夢の屋を後にすると、別大国道を走って会社へ向かった。薄暗くなってきた別府湾の向こうに、大分市内の明かりが見えていた。ちょうど帰宅時間と重なり、高崎山あたりから大分市内に近づくにつれて三車線とも緩やかな速度になってきた。連なるテールランプを見ながら、夕希の最後の言葉と背中に触れた手の感触がよみがえり、あればどういう意味なのかと想像を巡らしていたが、そんなことはあり得ない、変な妄想は止めておこうと言い聞かせた。

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