第14話 本社調整

 翌日恭介は所長の中本と会議室で向かい合っていた。篠崎、夕希との打ち合わせした内容をかいつまんで説明した

「直接的な受注は大きくないですが、新型感染症禍の新たな取り組みとして話題性は十分です。一度本社と話をしてみたいのですが」

「話は分かったが、本社が簡単にOKするとは思えんな。小役人たちが何かと理由を付けて時間がかかるだけじゃないか」

「はい、なので所長から伊藤室長へお話しいただけませんか。詳しくは時間をとって私から説明しますので」

 中本の同期で同郷の伊藤は、この夏の人事で西日本営業本部長から西日本本社経営戦略室長に昇進していた。昨年S市案件の際にも特殊な決裁を通すために中本から口をきいてもらったことがあったが、その手をもう一度使おうというわけだ。

「君はそういうときだけ私をこき使うね。でもこの手の話はトップに話をしたほうが早いだろう。連絡してみよう」

 S市案件を覚えているのかいないのか、中本は以外とあっさり了承した。伊藤と話ができるのは自分だけという自負があるのだろう。

 その日の帰り際に中本が恭介のデスクへやってきた。

「伊藤に話したらぜひ詳しく聞かせてくれと言ってきた。政府から経済界にもリモートワークの更なる活用のプレッシャーが大きいらしく、かなり興味持っていたぞ」

「わかりました。すぐに説明の時間を調整します」

 よし、これはいけそうな気がする。恭介はスケジュールを調整するため、その場で本社の伊藤の秘書へ電話をかけた。

 翌週伊藤経営戦略室長への説明がオンライン会議で行われた。大分営業所からは中本と恭介が出席した。打ち合わせ時間より早めに接続し待っていると、本社側のオンライン会議が接続され映像がディスプレイに映し出され、伊藤ともう一人が座っていた。

 中本が声をかけた。

「伊藤さん、今日はすまんね」

「いやいや中本さん、久しぶり。電話では何度か話したけど、顔を見るのは久しぶりだね」

「元気そうでなによりです」

「そちらこそ変わらないね」

 そんなやりとりが一通り続いたあと、伊藤と座っていたもう一人が発声した。

「佐藤部長、ごぶさたしています」

 ん、誰だ。カメラの映りが悪くてよくわかなかった。

「人事部にいた徳永です」

「あ、あの時の」

 恭介は思わず顔をしかめたがすぐに平常心を装った。いわれなき投書の件で恭介を本社へ呼び出しヒアリングしたのが徳永だ。恭介は全面否定したものの、結果大分への異動のきっかとなったことは間違いない。

「私もこの夏の人事で経営戦略室へ異動になりました。佐藤部長も大分でご活躍のようで」

「ぼちぼちやってます」

 お前には言われたくないと心の中では思いながら、努めて自然に答えた。彼も仕事でやったことだし、いつまでも根に持つことでもないが、恭介とは相容れない人種だと今この瞬間でも感じていた。早く本題に入ろう、恭介は資料を映し出した。

「早速ですが説明させていただきます」

 恭介はこれまでの経緯、特に篠崎とのやり取りについて詳細に説明し、本件に取り組む意義を切々と話した。

「なるほど、佐藤部長は県の篠崎部長と旧知の仲だったんですね」

 説明が終わると伊藤がまずそう言った。

「はい、それもあってまずわが社に声をかけていただきましたので、何とか依頼に応えたいと考えています」

「そういうつながりは大事にしたいですね」

「しかし、社員に別府へ行ってもらうとなると会社としてもコストがかかることだし、それに対する受注が旅館の環境整備だけというのはねえ」

 徳永が口をはさんだ。相変わらず小さなことにこだわる男だ。そう思いながら恭介は反論した。

「確かに直接的な受注は大きくありません。しかしこの新型感染症禍で世の中の価値観や働き方への考え方が大きく変わりました。大手シンクタンクの調査では、リモートワークを活用した社員ほど会社への満足度は高くなっていますし、学生の企業を選ぶ基準としてもリモートワークができるかどうかが上位になっています。この取り組みによって、わが社がいち早くこの変化に対応できることを世の中にアピールできます。直接的な受注以上に大きな効果があると考えています」

 恭介は話すにつれてつい力が入ってしまった。

「佐藤部長の言う通りだ。政府も民間企業のリモートワークを積極的にすすめようとしている。わが社のような全国企業が率先して対応することは意味がある」

 伊藤が賛同してくれたので、恭介はここぞとばかり考えていたことを吐き出した。

「リモートワークが当たり前になれば、毎日オフィスに出てくる必要はなくなります。すでにオフィスのスペースを半分にした会社もあるくらいです。さらに言えば、どこにいても仕事ができるなら望まない転勤や単身赴任も解消できます。例えば本社の業務を大阪でなく、九州の自宅からでも実施することは可能です。新型感染症禍はまだ当分続きます。これからは社員のライフワークバランスを十分に考える必要があります」

「そのあたりは我々が考えることですので参考にさせていただきます。そうは言っても佐藤部長のような営業部隊は現場にいないといけないですしね」

 徳永が恭介への嫌みのように画面越しに言った。

「営業もリモート端末さえあればどこでも仕事はできます。極端な話オフィスに来るのは週一~二日でもいいんです。私も大阪の自宅からリモートワークすることもありますから」

「いやいや近々にわが社もそこまで考えないといけないね。リモートワークを中心とした働き方を打ち出せればインパクトは大きいです。徳永さん、ちょっと具体的に検討してみてください。まずは大分でのワーケーション参加から始めるということで進めていきましょう」

 伊藤はおだやかな口調だが徳永の嫌みを押さえつけるように、恭介のアイデアを後押ししてくれた。

「ありがとうございます」

「ありがとう。伊藤も大分のワーケーションに参加したらいいんじゃない」

「それもいいね。何といっても別府温泉がいいね。中本にも会いたいし」

 はじめは社内の打ち合わせということで、さん付けしていた伊藤と中本も打ち合わせの終わりにはお互い呼び捨てで呼び合っていた。徳永が出てきたことは想定外だったが、彼のネガティブな発言が逆に恭介のアイデアを押し上げたようだ。

 オンライン会議がおわり恭介は中本に頭を下げた。

「所長、ありがとうございました」

「これで私の仕事は済んだかな。本社内は伊藤がうまくやってくれるよ。あとはよろしく頼みますね」

 恭介がデスクに戻ると同時に電話が鳴った。

「先ほどはお疲れ様でした。徳永です」

 まだ何か言いたいことがあるのか。恭介は内心腹立たしかった。

「何か問題でもありましたか」

「いえ、大分でのワーケーションは西日本の全支店・営業所へ募集をかけますがよろしいですか」

「そんなに大々的にやっていいんですか。受注額は小さいと言いましたよ」

「そんなことはいいんですよ。新型感染症禍に対応して会社も変わらないといけない、そう思って経営戦略室を希望しましたが、私が考えていたこと今日佐藤部長に全部言われてしまいました。そこまで考えていらっしゃったとは思っていませんでした。さすがです」

「そうなんだ」

 恭介は状況がよく呑み込めず中途半端な返事しかできなかった。

「とにかく、すぐに動きますので大分側の受け入れ準備をよろしくお願いします」

 そういって電話は切れた。なんだいいやつだったのか、いやすぐには信用できない、でもやってくれると言うならまあいいか、巡りめぐってそう思ことにした。

 新型感染症ウィルスの新規感染者が少し落ち着いた十月末、大分県と夢の屋を交えた三者間にて「リモートワーク・ワーケーションの推進に向けた実証における連携協定」が締結された。篠崎のメディア戦略により、県庁の講堂にマスコミ各社を集め、多くのカメラの前で調印式が行われた。調印式のために、西日本本社から経営戦略室長の伊藤自ら大分へやって来た。恭介がオンライン会議で説明してからわずか一か月、異例の短期間で本社の決裁が降りたのは伊藤が推してくれたからであることは間違いない。そのような経緯もあり、通常は営業所長名義で行う協定の調印を、今回は所長の中本が旧知の伊藤に花を持たせようと伊藤に声をかけたのだった。

 三者のロゴが市松模様に並べられたボードの前で、篠崎、夢の屋の宮本夕希と並んで伊藤はサインしたばかりの協定書を掲げ、満面の笑みでカメラのフラッシュを浴びていた。

「伊藤さんも社内外にいいアピールになったんじゃないですか。元々目立つのが好きな人ですから。こういう時流をとらえる嗅覚はさすがですよ」

 伊藤のかばん持ちで一緒に来ていた徳永が恭介の耳元で囁いた。

「今回は中本さんのファインプレーだと思うよ」

 恭介は徳永のほうは見ずに言った。

「それにしても佐藤さんも強運の持ち主だ。あんな形で大分へ来たのに、たった一年でこんな大きな実績を作るなんて」

「よく言うよ」

「尊敬しているんですよ。伊藤さんもなんであんなデキるやつが大分にいるんだと言っていました」

「いまでも納得はしていないが、いつまでも文句言っても仕方ないからね。どんな環境でも与えられた場所でベストを尽くす。そうすれば物事は自然といい方に動き出すもんだよ」

 恭介は自分に言い聞かせるようにそう言った。正直縁もゆかりもない大分へ来たときは、こんな地方都市で何ができるのだろうと思っていたのは確かだ。しかし、営業所の仲間にも恵まれ、篠崎や夕希と出会い、自分ができることを精一杯やってきた結果が、今回の協定締結につながったのだと思うと我ながらよくやったと思う。

 その日の夜は伊藤、徳永、中本と恭介の四人で、今回のプロジェクトの成功を願って盃を交わした。伊藤と中本は旧知の仲ということもあり、終始ご機嫌だった。そろそろお開きという頃、いつもは恭介が帰宅したら送るメッセンジャーが、めずらしく佐知子から届いた。

『ニュースで調印式が映ってたよ。ワーケーションって面白そう』

 恭介のようなオフィスワークの仕事を家族に説明するのは難しいが、このように目に見えるのうれしいものだ。恭介は佐知子へ親指を立てたスタンプを返信した。

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