第13話 ワーケーションプロジェクト

 恭介が大分に赴任してから一年が経とうとしていた。新型感染症ウィルスの感染者は一旦減少したものの、梅雨明けを待っていたかのように夏の暑さとともに、都市部を中心に再び 拡大を始めていた。大分での感染者はごく僅かで、社内でも感染者は出ていなかったこともあり、一時は営業自粛だ、在宅勤務だと騒いでいたのが、みなマスクはしているもののそれ以外は新型感染症前と変わらず、ほぼ全員が出社している状態に戻っていた。それでも恭介は職場で唯一の関西からの単身赴任者であるため、社員や家族への感染リスクを考え、帰省は月一回程度に意識して減らしていた。

 佐知子とのメッセージのやり取りも相変わらずで、絵文字がたくさんの時もあれば二、三行のそっけない時もあり、たまの帰省の際も何となくぎこちないような、かといって喧嘩するでもなく微妙なバランスで持ちこたえている雰囲気であった。それでも恭介は大分へ戻ると否応なく仕事に向き合わなければならなかった。

 夏本番といった暑さが連日続いた八月のある日、恭介のデスクの電話が鳴った。

「お久しぶりです。県庁の篠崎です」

「これはこれは篠崎さん、お久しぶりです。新型感染症禍で県庁に行くのも控えていましたが、どうされていましたか」

「春先から新型感染症対策本部に駆り出されていたんですが、一旦解除になってようやく本職に専念できそうです」

「そうですか。しかし新型感染症ウィルスはどうなるんでしょうね」

「厚労省にも確認していますが、世界の状況から見るとまだ当分の間は収束することはなさそうですね。感染対策はもちろんですがどう付き合っていくかを考えないと」

「なるほど。ずっと自粛では経済が心配ですからね。大分のような観光産業で回っているところは特にそうでしょう」

「おっしゃる通りです。そこで県としても新型感染症禍で知恵を出してやれることをやろうといくつかの施策を考えています」

 恭介は篠崎の言葉を聞いて、長年の営業としての嗅覚でビジネスの匂いを感じていた。

「佐藤さんの会社ではリモートワークは実施されていますか」

「そうですね。以前から一部の部署で実施していましたが、春の緊急事態宣言からは全社的に制度化されました。大阪や東京の本社では今もほとんどの社員がリモートワークですね」

「さすがですね。これから当分新型感染症禍が続くことを考えると、リモートワークがキーワードになると考えています。ちょっと手伝ってもらえませんか」

 やっぱりそうきたか。恭介は心の中で小さくガッツポーズをしながら返事をした。

「もちろん、我々にできることがあれば何でもお手伝いさせていただきます」

「来週関係者を集めた会合を開きたいので、ご参加いただけますか」

「わかりました。私が出席させていただきます」

 恭介はスケジューラーに予定を投入すると、さっそくインターネットでリモートワークの事例を調べ始めた。

 翌週恭介は篠崎から指定された県庁内の会議室へ出向いた。会議室に入るとすでに数人が名刺交換をしたり立ち話をしたりしていた。

「佐藤さん、ありがとうございます。こちらへどうぞ」

 篠崎がわざわざやってきて席に誘導してくれたので、周りにいた数名と名刺交換をした。みな大分の地元企業の幹部たちだった。その中で一人だけ就職活動の学生のような、白いシャツに黒いパンツスーツの若い女性がいた。セミロングの黒髪がよく似合っていた。

「初めまして。佐藤と申します」

 最後にその女性に名刺を差し出した。

「夢の屋の女将の宮本と申します。よろしくお願いいたします」

「夢の屋?」

「はい、別府で温泉旅館をやっております」

「よく知っています。いや、実は年末に宿泊させていただきました」

「やっぱり。部屋に入ってこられたのをみて、すぐ思い出しました。素敵な奥様とご一緒でしたね」

「これは失礼しました。宿泊した時は着物姿が印象的だったので、今ごあいさつするまで気が付きませんでした」

「そう言われると恥ずかしいです」

 もう少し話していたかったが、篠崎が会議を始める声を上げたため全員席に着いた。

「本日は暑い中お集まりいただきありがとうございます」

 篠崎が話し始めた。

「春からの新型感染症ウィルスの感染拡大で、観光産業をはじめ県内の経済は壊滅的な打撃を受けています。感染者数は少し落ち着いたもののおそらく当分はこの状況が続くと予測されています。しかしだからといってこのまま何もせずに感染が収束するのを待っているわけにはいきません。こういう時こそ知恵を出して新しいチャレンジをしたいと思います」

 そう言うと後ろに座っていた事務職員が資料を配布し始めた。

『大分県におけるリモートワークの推進について』

 資料の表紙にはそう書かれていた。

「新型感染症ウィルス感染拡大で皆さんの仕事のやり方も大きく変わったと思います。一番の変化はリモートワークが広がったことではないでしょうか。新型感染症禍が継続することを考えると、リモートワークが今後のビジネスのカギになると考えていますが、いかがでしょう」

 篠崎は参加者を見渡してそう言うと、篠崎の正面に座った初老の男性がは発言を求めた。恭介も何度か顔を合わせたことのある、商工会議所の役員もしている地元の精密機械製造会社の社長だ。

「篠崎さん、都会ではそうかもしれませんが、大分ではどうなんでしょう。うちは製造業なのでそもそもリモートワークはできません。やらなきゃいけないのは分かりますが、大分くらいの感染状況だとなかなか浸透しないんじゃないですかね」

「おっしゃる通りだと思います。業種業態によってリモートワークが合う、合わないはあると思います。製造現場では難しくても、総務系業務なら可能でしょうし」

「それもやろうとしたけど、リモートワークができない現場仕事の社員から不満が出たのでやめました」

 別の出席者からも声が上がった。

「そうなんですよね。業務によってできる人、できない人がいたり、自宅にパソコンがない人はどうなるのかとか、いざやろうとすると難しいんですよね」

「県がそのあたりをサポートしたり、補助金を出してくれるといいと思いますが」

 ほらきた、恭介は心の中でつぶやいた。中小企業の経営が苦しいのは理解するが、新しい時代の流れに乗る努力をせずすぐに行政に頼ろうとする。しかし始まりからこれだけ否定的な意見が続いて大丈夫なのか。

「県としてリモートワークを推進しようとする中小企業の導入サポートや、パソコン機器等の購入に対する補助はすでに検討中です。今年度後半にはご提供できる予定です」

 篠崎は何事もなかったかのように、発言した二人を見て答えた。なるほど、篠崎のことだからこのような展開は当然考えていて、その答えまで準備していたということか。ということは、篠崎の本当の狙いは別の所にある。篠崎を見るとちょうど恭介と目が合った。どうやら恭介の想像は当たっているようだ。篠崎が求めているものかどうかわからないが、恭介は機会があれば提案してみようと持ってきたアイデアをぶつけてみることにした。

「少しよろしいですか」

 恭介は手を上げて発言を求めた。

「佐藤さん、お願いいたします」

 篠崎から指名されて恭介は話し始めた。

「弊社もリモートワーク環境の整備が一気に進みましたが、先ほどご意見があったように、大阪や東京に比べると大分ではその利用は限定的です。ただ今後のさらなる感染拡大を見据えて準備しておくことは必要ですので、県で支援策を立ち上げられるのは他県に先駆けた取り組みだと思います。県内経済の立て直しという意味では、冒頭篠崎部長からもお話しがあったとおり、さらに新たなアイデアへの取り組みにチャレンジしてもいいのではと思います」

「なにかいいアイデアをお持ちですか」

 篠崎が期待を込めた視線を送っている。恭介は自身で調べてきた資料に目を落としながら続けた。

「やはり大分においては別府をはじめとする観光業の復活が不可欠です。観光業とリモートワークを組み合わせることができないかと」

「観光とリモートワークを組み合わせるとはどういうことでしょう」

「はい、みなさんワーケーションという言葉をお聞きになったことはありませんか。ワークとバケーションを掛け合わせた造語です。観光地などで昼間はリモートワークで仕事をしてその後はバケーションを楽しむという、新しい仕事のスタイルです。すでに実証を始めている地域もあります」

「なるほど、それは面白そうですね。夢の屋の宮本さんいかがでしょう」

「そうですね。インバウンドのお客様は当分期待できないですし国内のお客様もわずかですので、そのような形ででも宿をご利用いただけるのであれば非常にたすかります。個人的にはとても面白いアイデアだと思います」

 宮本はやや緊張した声で、篠崎と恭介を交互に見ながら話した。

「他地域での事例を見ると、バケーションも兼ねていますので、一週間程度の長期滞在で宿泊施設と料金設定しているようです」

「県で県内外の企業のニーズを聞いてみます。大分には温泉という全国有数の資源があるので、十分可能性はあると思います」

「実際ワーケーションをきっかけに移住する方もいるそうです。そうなれば一石二鳥でしょう」

「人口減少も県の大きな課題ですので、移住政策と絡めるのもありですね。いいお話をありがとうございます」

 篠崎はそういうと全体を見渡して会議のまとめに入った。

「本日様々なご意見をいただきました。中小企業へのリモートワーク導入への支援策は引き続きご意見いただき遅くとも十月をめどにスタートさせたいと思います。また今日アイデアをいただいたワーケーションについては、県としても調査の上具体的な進め方を検討させていただきます。以上、いかがでしょう」

 参加者は一同うなずいている。

「それでは本日はありがとうございました」

 篠崎がそう言うと、みなバラバラと立ち上がって会議室から出て行った。恭介は資料や手帳を片付けながら篠崎と話すタイミングを見計らっていたが、篠崎のほうから話しかけてきた。

「佐藤さん、いいアイデアをありがとうございました」

「あんな感じで良かったんですかね。篠崎さんが中小企業への補助金だけで終わるはずはないと思って、思い切って発言しましたが」

「もちろんです。補助金は補助金で必要ですが、新しいことをやるためにうるさ方たちを黙らせる見せ球です。ワーケーション是非やりましょう」

「もしかして初めからそのつもりで夢の屋の女将を呼んだのですか」

「まさか、ワーケーションは私もすこし調べていましたが佐藤さんが具体的な事例を紹介していただいたので助かりました。別府の観光協会に誰か参加してほしいと依頼したら彼女が来たんです。面倒なことは若手に押し付けられたでしょうね。次は個別にお話ししましょう」

「わかりました。よろしくお願いいたします」

 翌週恭介は社用車を走らせ別府の夢の屋へ向かっていた。篠崎から連絡があり、夢の屋で女将を交えて打ち合わせをしたいとのことだった。篠崎は女将もワーケーションに興味を持っている、若い人が来てくれて逆に良かったとも言っていた。県庁での打ち合わせの後、所長の中本には一通り説明した。

「まだどうなるかわからないので、しばらくは私が対応します」

と言うと、

「最近はいろいろ考えるもんだね。まあ任せますよ」

と気のない返事だった。ビジネスとしてどうなるかわからないのは間違いないが、恭介自らが対応すると言い切ったのは女将の宮本夕希の存在が気になっていたことも間違いではない。変な下心があったわけではないが、若い女性と仕事ができることに心躍るのは中年男性の性だろうか。あくまで仕事だと、恭介は自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。

 鉄輪地区の湯けむりの間を抜け、見覚えのある路地を入り夢の屋の駐車場に車を止めた。建物の中に入るとすぐに夕希が出迎えてくれた。今日は半袖のサマーセーターにタイトスカートというラフな格好だった。

「篠崎さんも先ほど来られました。こちらへどうぞ」

 ロビー奥のレストランに案内されると、篠崎が一枚板の大テーブルでアイスコーヒーを飲んでいた。

「こんにちは」

「ああ佐藤さん、わざわざありがとうございます。それにしても本当にいい雰囲気ですよね。すこし早く着いたので、ちょっとのんびりしてしまいました」

「そう言っていただけるとうれしいです」

 夕希が恭介の前にもアイスコーヒーを置きながら言った。

「ワーケーションにはもってこいの場所ですよ。さっそく打ち合わせ始めましょうか」

 篠崎は自身の用意してきた資料を恭介と夕希の前に並べると同時に話し始めた。

「こういうスキームを考えてみました。まず県でワーケーション実証事業を立ち上げます。ここで実証事業のフィールドとなる宿泊施設と、ワーケーションに参加する企業を募集します。宿泊施設は夢の屋さんを想定していますが、環境整備のための補助金を一定額支給し、インターネット環境やワーケーションに必要な設備を準備してもらいます。ワーケーションに参加する企業は夢の屋さんに宿泊費用を払って参加いただきますが、これは夢の屋さん側で料金設定していただいて結構です」

「なるほど。宿泊施設側はある程度の環境整備のための投資が必要になるので、その点を補助していただけるなら参加しやすいと思います」

 さすが篠崎だと思いながら恭介が反応すると、夕希が不安そうに二人をみて言った。

「当館を使っていただくのはありがたいですが、環境整備といっても何が必要なのか私にはわからないのですが」

「そこは弊社がサポートしますよ。必要な設備、費用を見積もらせていただきます。いいですよね、篠崎さん」

「そこは民間同士の話なので私が口を出すところではありませんが、佐藤さんにいただいたアイデアなので佐藤さんにもいいことがないとね」

「ありがとうございます。少しでも仕事の話があると私も社内で説明しやすくなります」

「当館もあまりに大きな投資は難しいと思います。こんな状況ですので、休業補償をいただいてしばらく休館することを考えていますので、その間に準備できればと思います。そこはご相談させてください」

「まずはスモールスタートでいいと思います。何パターンか考えてみます」

 恭介は夕希をみて言った。新型感染症禍でマスクをつけた状態が日常になり、表情がわかりにくくなったのが難点だが、夕希の目はやさしく笑っているのがわかった。

「あとの問題はワーケーションに参加する企業です」

 篠崎はそう言うと恭介のほうに向き直した。

「佐藤さんの会社で何とかなりませんか」

 そうきたかと、恭介は心の中で叫んでいた。

「大分をアピールするためにも、県外の企業、それも名前の通った大企業であればあるほどいいと考えています。その点佐藤さんの会社なら完璧です」

「趣旨は十分分かりましたが、さすがにそこまでの話になると本社も絡みますので、私の判断では即答できません。持ち帰らせて下さい」

「ぜひ前向きにご検討ください。できれば秋から冬の温泉シーズンにやりたいですね。ご了承いただけたら、県、夢の屋と三者で実証事業をやるとメディアにも大きく出していくつもりです。いい宣伝になると思います」

「私も何かうまくいくような気がします」

 篠崎も夕希もすでにその気になっていた。夕希の目はやはりやさしく笑っていた。恭介の頭の中でこのために必要な社内の調整先がいくつも浮かんでいた。何か新しいことをやろうしたときに、小回りがきかないのが大きな組織の弊害だが、あまり時間はかけられない。作戦を練るしかないな。恭介は考えを巡らせながら別大国道を大分市内に向けて車を走らせた。

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