第10話 年末休暇に向けて

 十二月の始めの週末、恭介は大阪の自宅に帰省していた。恭介の会社では単身赴任者には、帰省のための旅費が半年で7回分まで支給されることになっていた。月1回におまけがついたような半年7回という中途半端なルールには以前から不満が多かったが、恭介自身がその身になり、月一回だけの帰省では精神的にも肉体的にもきつかった。他の多くの単身赴任者と同じように自腹で交通費を負担して、可能な限り月二回は帰省するようにしていた。家のことを任せきりにしてしまっている佐知子の負担を少しでも減らしたいのはもちろん、家族と一緒に過ごしたい思うのは当然のことで、できることなら毎週でも帰省したいくらいだが、帰省すればするほど家計を圧迫することになるというジレンマがあった。働き方改革が叫ばれる時代に、単身赴任という制度そのものを止める企業も増えてきているようだ。恭介の会社のように全国に拠点を持つ場合はやむ得ないのも理解はしているものの、その分帰省したいときに帰省できる仕組み、帰省先でも仕事ができるような仕組みを導入しないと、これから先は若者からも敬遠される会社になってしまうのではないかと恭介は実感していた。

 それにしても大分から大阪への交通アクセスがもう少しよくなればいいのだが。大分から大阪へは飛行機を使うのが一般的だが、地方路線のため便数が少く最終便は夜の七時前とかなり早い。飛行機の場合、手荷物検査もあり三十分~一時間前には空港に着いておく必要があるが、大分空港は大分市内からバスで一時間ほどかかるため、夕方五時くらいにはバスに乗らないといけないことになる。一七時半までが業務時間なので、飛行機に乗るのは物理的に不可能である。都合がつけば午後から半日有給休暇を使うことも可能だが、突発的な業務もあり予定が立てづらい。飛行機だと伊丹空港から自宅までがさらに一時間かかるため待ち時間も含めたトータルでの所要時間は約四時間。土曜の朝一番の飛行機という手もあるが、自宅に着くともうお昼でせっかくの休みが半日終わってしまうので、できるなら金曜日中に帰りたい。もう一つの手段である電車だと約四時間半かかるが、本数もそれなりにあっていつでも飛び乗れるので時間の融通がきくのと、費用も飛行機より安い。電車であれば大分駅から特急に乗り小倉で新幹線に乗り換えればいいので、必然的に電車での帰省が多くなっている。ちなみに以前は大分空港と市内を国内唯一のホバークラフトが運航されていて約三十分で繋いでいた。地図で見ても分かる通り空港から大分市内へは陸路だと大きく回り込でいるが、別府湾を突っ切れば一直線である。数年後には復活の計画があるらしいので、そうなれば飛行機を使う機会が増えるかもしれない。

 恭介はリビングで佐知子の肩を揉みながら話しかけた。

「年末別府温泉でも行ってみないか。仕事先の旅行会社で割安で手配してもらえるんだけど」

「そうなの。別府温泉、一度行ってみたかったのよね。こんな機会でないと行けないもんね。美咲はどうせバイトだし、堅太郎は全日本の合宿に選ばれそうだし。誰もいないら私もパート早めに休んで温泉もいいわね」

 年末のあいさつ回りで旅行会社からぜひ社内で宣伝してほしいと依頼されていた。それだけでなく大分地場の酒蔵や農協、デパートなどあいさつに行くたびに必ず物販のパンフレットやカタログを渡された。小さな市場なので地元企業との付き合いは持ちつ持たれつである。恭介も可能な限り協力していた。

 長女の美咲は大学生になり、学校とバイトでいつも忙しそうにしているが、行動は基本的に本人に任せている。堅太郎は幼少から水泳を続けている。三歳で初めてプールに入ったときは大泣きしていたが、小学校一年の時には四泳法をマスターし、小学校、中学校でも大阪府下ではそれなりの成績を残していたが、高校生になり体ができてくると泳ぐたびに面白いようにタイムが伸び、全国で戦えるところまできていた。直近の秋の国体に出場し五輪標準タイムに迫る成績を残したことで、年末に東京で行われる五輪代表候補も含めた全日本の合宿に呼ばれることが確実らしい。最近のタイムの伸びから、翌年に迫った東京大会ももしかしたらもしかするかも、と言われている。

「じゃあ、旅行会社に聞いてよさそうな旅館を探しておくよ。レンタカーも予約しておかないと。たまにはゆっくりしてもいいだろ」

 肩を揉んだまま後ろから声をかけた。佐知子の髪の毛はこまめに染めているとはいえ、白いものがずいぶん目立ってきている。ずいぶん苦労かけたな。ようやく子どもたちも手がかからなくなってきたので、ちょっと贅沢してもバチは当たらないだろう。

 恭介は大分に戻るとさっそく取引先でもある旅行会社に連絡し、旅館とレンタカーの予約を依頼した。

「奥様とですか。いいですね。ちょうどおすすめの宿があるので、お部屋もグレードアップさせていただきますよ。いつもお世話になっているので、追加料金はいただきませんから」

「それはありがとうございます。単身赴任で面倒掛けているので、こんな時くらい奥さん孝行しておかないと」

「そういうことならお任せください。しっかり手配させていただきます」

 旅行会社の店長がいろいろ気をまわしてくれたおかげで、最近リニューアルして話題となっている、普段はなかなか予約の取れないの温泉旅館に宿泊できることになった。年末も差し迫り慌ただしく毎日が過ぎていったが、世界では異変が起きていた。中国でこれまでに地球上で発見されていなかった未知のウィルスへの感染者が発生していた。これがこの後全世界を、いや人類を危機に陥れたといってもいい新型感染症、COVID―19である。

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