第9話 ゴルフコンペ

「ゴルフコンペ?」

 十一月になり朝晩冷え込んできたものの、温暖な気候のお陰で昼間はまだ暖かい日が続いていた。総務部長の衛藤が一枚の紙を持って恭介の席にやってきた。

「そうです。毎年年末に忘年会も兼ねて社内、関連会社を集めてやっています。佐藤部長も参加お願いします。」

「いやいや、私はゴルフやらないので。夜の懇親会があるならそちらには参加します」

「そうなんですか。歴代の営業部長はみんな参加されていたので。所長が毎年張り切っていて、営業所からの参加者が少ないと機嫌が悪いんですよね。何とかなりませんか」

「そう言われても全くやったことないですし、道具も何もないですからね。所長が何か言われたら直接話しますよ」

 やっぱり来たか。恭介は衛藤に話をしながら思っていた。これまでどの職場でも必ずと言っていいほどゴルフの誘いがあった。社内にはゴルフになると仕事以上に真剣になる人も多く、特に役職が上がるほどその傾向が強く、中にはゴルフをするかしないかで人事評価を決めるような管理者もいた。恭介はそんなことで評価されないならそれでいいと、ゴルフはやならい主義を貫いてきた。理由は簡単で、ゴルフにお金をかけるくらいなら他のことに使いたい、仕事とプライベートはきっちり分けたい、ただそれだけだ。最近ではゴルフも安くなったと言われるが、それでも一回行けば諸々で一、二万円は必要になる。道具やウェアも揃えないといけない。恭介は周りと比べても早くに結婚し、子どもも生まれたため家族が最優先で、そういった遊びにお金をかける余裕が全くなかったし、やりたいとも思わなかった。ましてや平日に仕事を休んだり土日を潰してゴルフに行くくらいなら、家族といっしょに過ごしたいに決まっている。要は各個人の優先順位の問題で、個人の趣味で楽しむことは否定しないが、職場で強制されるいわれはないという考えだ。

 麻雀も若いころよく誘われたがこれも頑なに断ってきた。必ず現金を賭けることになるからだ。麻雀に行く人からは「昨日は2万負けた」といった会話が聞こえてくる。ゴルフにしても麻雀にしても、どこからそんなお金が出てくるのか恭介からすれば不思議で仕方ない。同じ会社で同じような給料をもらっているはずなのに。

 以前の職場ではこんなこともあった。ミーティングの場で上司である部長からお客様との接待ゴルフと懇親会の話が出た。お客様との関係強化のため何名か出られないかという。

「費用は会社負担、交際費だから安心してほしい」

 その言葉に恭介は頭の中でブチッと何が音を立てて切れたのがはっきり分かった。

「交際費ってどういうことですか。営業が地べたを這いずり回って、汗水たらして稼いだお金を、上の人たちがゴルフや飲み食いに使うんですか。おかしいでしょう。そんなにゴルフしたいなら自分のお金でプライベートで行けばいい」

「何を言っている。お客様とゆっくり話をするためじゃないか。そんなことでお客様とどうやって会話するんだ」

「大体ゴルフしたからってどれだけ受注が取れているんですか。公共事業は入札だし、民間企業も今はコンプライアンスが重視されていますから、発注の意思決定のプロセスは厳格化されています。ゴルフしたからって受注がもらえるような時代じゃないですよ。むしろ昼間しっかりいい提案をすることが受注への一番の近道です。そうすれば無駄なお金も使わなくて済む」

 恭介は業務時間内できっちり成果を上げるのが一流だと考えている。仕事関係の懇親会もできることなら参加したくないのが本音だ。ゴルフ、麻雀、飲み会はサラリーマンの三大時間のムダイベントであり、そんなことに必死になっている上司や同僚を内心バカにしていた。恭介は勤務時間が終わってまで会社の人間と一緒にいたくなかったし、もっと家族やプライベートな時間を大事にしたほうがいい仕事ができると信じていたが、日本ではまだまだ仕事中心に生きているサラリーマンが大半だった。

 さらに今は単身赴任の身でもある。大学生と高校生の子どもを抱え、ただでさえ二重生活で家計は圧迫されている。このわずか数か月間で、食費と電気、ガス、水道などの光熱費だけでも思った以上に生活費がかかっていた。光熱費は最低限必要なので、節約するのはどうしても食費になる。お昼は会社からの補助があるが、夜は一人分だけ料理するのも面倒なので、コンビニで総菜や冷凍食品を買って帰っていた。最近のコンビニ食はずいぶんおいしくなったが、その分値段も張り、二、三品買うと千円近くになってしまう。これだけで一ヶ月で三万円程になる。これに光熱費を払い、会社でどうしても必要な付き合いを入れると、それ以上余分なことに使う余裕はない。恭介は毎日の買い物でも百円単位で値段を気にして買い物をするようになっていた。そこには単身赴任のために、佐知子に家のことをすべて任せてしまっている後ろめたさが常にあった。大分に来てから、佐知子とは朝晩必ず携帯電話のメッセジャーでやり取りをしていたが、二、三週間に一度は『一人でパートも家事も子どもの面倒も、何もかもは無理です』『なんでも私に押し付けないでください』と送られてきた。恭介は何も言えずに、ひたすら『ごめんなさい』『ありがとう』を繰り返すしかなく、その度に夜眠れなくなった。

 周りには単身赴任生活を満喫している人もいたが、どうやったらそんなことができるのかこれも不思議で仕方なかった。周りからはせっかく大分に来たのだからと言われるが、そもそも大分は交通機関が少なく、車も持たない恭介にとって、わざわざレンタカーを借りてまで出かけることなど考えられなかった。安い時給でも毎日パートで働き家計を支えてくれている佐知子のことを考えると、一人で無駄なお金を使う気にはとてもなれないでいた。唯一の趣味である読書もブックオフでリサイクル本が買えたし、たまに温泉へ行くことで十分だった。まるでお金のなかった学生の時みたいだな、コンビニで買い物する品物の会計を計算しているとき、お金がなくても何とかなっていた学生時代のことをよく思い出した。

 翌週の所長と各部長が集まる営業所会議の場で、中本がゴルフコンペについて切り出した。

「毎年多くの社員、関連会社の方に参加いただいている。幹事としての腕の見せどころなので、今年もぜひお願いします」

 腕の見せどころはそこじゃないだろ、仕事で見せろと思いながらも表情には出さずにつとめて冷静に恭介は発言した。

「恒例行事ということなので反対しませんが、開催するなら社員に参加を強制することのないようお願いいたします」

「そうは言っても幹事である営業所からの参加者が少ないのは示しがつかないです。そもそも営業部長が参加しないなんて前代未聞ですよ。業務を円滑に進めるための大事なイベントなのに、そんなことが許されるんですか」

「許す許さないの問題ですか。私が参加しようがしまいが、これがないと業務が円滑に進まないなら、むしろそのほうが問題でしょう。私が言いたのは、参加を強制することはしないでほしいということです。参加するかどうかは個人の自由です。やりたい人でやってもらう分には何も言いません。それでも参加者が集まらなければ、誰も望んでいないということです。その時は止めればいい」

「何もそこまで言わなくても。楽しみにしている人もいるんだし」

「だから楽しみにしている人たちでやってくれればいいです。仕事は仕事できちんとやりますから。最近はゴルフハラスメントやアルコールハラスメントといった言葉もあるくらいですから、所長も気を付けたほうがいいですよ」

「わかったわかった。大変な時代になったもんだ」

 この人にハラスメントは理解できないだろうな。恭介はそう感じていたが、言いたいことは言ったので、それ以上突っ込むことは止めて、話題は次の議題へ移っていった。

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