第8話 大型案件受注
十月、県内のS市での大型入札案件の準備に入っていた。導入から数年が経過していた市役所内の庁内LANシステムについて、今後さらに加速する電子化に対応するため一から見直すことに合わせ、電話設備もIP化するという大掛かりなものだ。社の基幹事業であるNW機器、電話設備を扱う今年度の大分営業所の最重要案件であることから、恭介が着任する前から営業部、サポート部一体となって検討を進めてきた。
民間企業向けの営業の大きな違いはやはり入札である。自治体の財源はすべて税金であることから、事業者の競争を促し一円でも安く調達すること、また特定の事業者に恣意的な発注がなされないよう公平性を担保するための仕組みだ。どの事業者にもチャンスがあるかわにり、最安値でないと受注できないことから、事業者としては利益をぎりぎりまで削らざるを得ないため、恭介の会社でも自治体案件への対応については度々議論になっていたが、受注すれば売り上げは大きく伸びることや、広く実績をアピールできることから、赤字にならない限りは対応しているのが実情だ。
大型の公共事業、道路や橋の建設などにおいては、今でも談合や贈収賄のニュースが度々取り上げられている。恭介自身、自治体営業の経験が長く、かつては自治体担当者に取り入ってかなりグレーな営みによって実績を上げてきたことも事実ではあるが、断じて黒と言われるようなことはしていなかった。社会的にもコンプライアンスの遵守が企業の評価に直結する時代である。社内でも自治体の営業担当者には、入札の仕組みや過去の不適切事例を紹介するなど、年に数回の研修も実施し、決して疑義を持たれるような行動をすることのないよう口酸っぱく言い続けている。
本案件については昨年度の自治体内での予算化の段階で、営業担当者に提案依頼があったため、社として最適と考える構成と費用を提示済みであった。また、調達方式についても、単純な価格入札ではなく、技術面や保守運用面も含めた総合評価コンペ方式を提案している。自治体業務のインフラとなるものなので、安かろう悪かろうでは何かあったときの影響が大きいためだ。自治体は同じように他社にも提案依頼をし、それをもとに予算化、調達仕様書の作成を行う。提示した内容について、自治体の担当者に何度か説明を行いメリットを訴求してきたが、調達仕様書に社の提案がどこまで採用されるかは、正式に調達公告が出るまではわからない。
「部長、調達公告がでました!」
営業課長の西川が書類を手に小走りで恭介の席へやってきた。
「おっ、出たか。予定通りの時期だね。どう内容は」
恭介は受け取った調達仕様書をめくりながら聞いた。
「詳しくはサポート部に見てもらいますが、我々の提案が採用された部分もありますが、そうでないところもあります。いいとこ取りをした感じです」
「調達方法は」
「コンペによる総合評価方式です。プレゼンは二週間後です。」
「よし、作戦会議だ。提案内容と仕様書の差分を確認して、最終的な提案内容、価格を詰めよう。関係者を集めてくれ」
次の日、朝のミーティングが終わるとすぐに営業部、サポート部のメンバが集まった。サポート部長の後藤も出席している。西川が切り出し、会議が始まった。
「昨日、S市の調達公告が出ました。昨年度から提案を続けていましたが、調達仕様書の内容をサポート部に分析してもらっていますので、さっそくお願いします」
「はい」
サポート部若手SEの中村が立ち上がり、大型モニタの前に立った。彼は社内でも数人しか取得していない、NWエンジニアとしての社内資格の最高ランクを昨年取得したエースである。次の異動では本社へ引き抜かれるは間違いないと言われている。
「仕様書を読み込みましたが、電話設備についてはほぼ我々の提案内容が採用されています。庁内LAN部分は、各社の提案がミックスされたように見えますが、対応できない内容はありません。コンペですので、これまでの我々の提案をすれば問題ありません。ちょっと厳しいのが保守運用の部分です」
「保守運用?」
「はい、S市はこの部分をかなり重視しているように見えます。ヘルプデスクの常設や定例報告、故障申告から三十分以内の駆けつけ・復旧手配など、すべて対応しようとするとかなり費用が上がります」
「予算額は確認できてるのか」
恭介は西川に聞いた。
「はい、今年度のS市の予算書に上がっていましたので。もちろん他社も見ているでしょうけど」
「S市のこれまでの入札案件の落札率の実績はどれくらいですか」
「少額案件は除いて、過去五年の同種の案件でみると、八十七パーセントから九十パーセントの間が多いです」
「なるほど。そうすると、今の見立てでは予算額×八十七パーセントに収まらない感じですか」
今度は中村のほうに向きなおして恭介は聞いた。
「そうですね。電話設備や庁内LANの機器類の粗利をぎりぎりまで削っても予算額に収まるかどうか」
「いやいや、それじゃ勝てないじゃないですか。去年からずっとやってきたのに」
西川が声を荒げた。こいつはすぐにカッとなるのが難点だ。突破力があり営業としては優秀だが、マネージャーとして必要な冷静さに欠けるところがある。
「ここで喧嘩をしている暇はない。情報を整理して、みんなでアイデアを出し合おう」
恭介は西川のほうは見ずに、全員を見渡すようにして言った。
「私に一つ考えがあります」
中村が話しながらPCを操作して大型モニタに資料を映し出した。
「運用保守について、今はわが社の社員で対応するつもりで見積もっていましたが、単金が全国統一なのでどうしても費用が高くなってしまいます。これを単金の安い地場企業に任せることで費用を圧縮できます」
中村がキーボードをぽんと押すと、大型モニタに映っていた棒グラフがすっと短くなった。それを見てサポート部長の後藤が口をはさんだ。
「しかし、スキル的には大丈夫なのか」
「はい、これまでにも何度も協業しているZ社があります。私の目から見ても問題ないレベルです。本格的な運用保守を任せるのは初めてですが、我々もサポートできるので大丈夫です」
「確かにZ社なら任せられる。本社はS市にも近い」
後藤はうなずきながら恭介のほうをみて同意を求めた。
「わかりました。サポート部がそう言ってくれるならそれで検討しましょう。地場企業を育てるのも大手企業の役割ですし」
恭介はうなずいた。中村がさらに付け加えた。
「ただ、それでも予算に収めるのが精一杯です」
「今回想定される競合はどこ」
「いつも競合になるF社は来るでしょう。ただうちと同じように費用面は厳しいと思います。あと市役所と支所や小中学校とのネットワーク回線をおさえているNTT西日本も間違いないと思います。NTT西日本の得意分野ですし、おそらくそことの勝負になると思います。」
中村の説明はポイントを押さえている。
「電話設備はうちからNTT西日本に卸してるよね。そうなるとこの部分では差がない。あとは庁内LAN機器か」
「庁内LAN機器は自社製品で粗利も最低限まで下げていますので、これ以上は下げられません」
「うーん」
恭介が天井を見上げると、しばらく会議室に沈黙が流れた。
「NTT西日本は自社製品は持っていないですけど、どこの製品をつかうんですかね」
S市の営業を担当している若手社員が聞いた。
「NTTはメーカー各社と付き合いがあるからね。うちには声がかかってないな。最近は海外メーカーのP社とも販売パートナーになってたな」
後藤がしたり顔で解説した。
「そういえばうちも海外メーカのC社の輸入総代理店になってましたよね。わが社の製品より安くて機能もいいですよね。そちらの検討はどうなんでしょう」
恭介はちょうと向かいに座っていた後藤をまっすぐ見て言った。
「そうですね。確かに安いですが、まだ社内の技術者が少なくC社からサポートをもらっている状況なので。粗利も少ないですし」
後藤が自信なさげに答えたが、そこに中村が対抗した。
「私もいろいろ考えましたが、佐藤部長がおっしゃるとおり、価格を下げるにはその手しかありません。幸い私はC社のトレーニングも受けていますし、先ほどお話ししたZ社にも技術者がいますので対応できます」
「しかし、わが社のSEの工数までみれば利益はほぼゼロだ。会社としてそれでいいのか」
後藤は譲らなかった。恭介も後藤の言い分はよくわかる。むしろ管理職として真っ当な意見だ。しかし、大分営業所として、今後の大分県下でのビジネスを考えると、この案件はなんとしても受注したい案件である。恭介はもう一度天井を見上げたとき、一つのアイデアが浮かんだ。
「うちはC社の総代理店ですから、販売手数料も高く設定されていますよね」
「はい、最高ランクのゴールドパートナーですから」
「その手数料収入も含めて収支をみましょう。そうすれば提案額ももう少し下げれるのではないですか」
「そんなことできるんですか。決裁通るんでしょうか」
中村が目を大きくして恭介を見た。
「これは西日本本社の営業本部長決裁だったね。大丈夫、中本所長と伊藤営業本部長は同郷の同期でツーカーの仲だから。所長に動いてもらおう」
恭介はいたずらっぽく笑いながらメンバーを見渡して言った。。中村の目がさらに大きく開いていた。
「こんな時こそ所長に仕事してもらいましょう」
西川が笑って言った。お前が言うな、と心の中で言いながら、恭介はさっそく中本を捕まえるため会議室を出た。
恭介の予想通り、中本の事前の根回しにより西日本本部長の決裁はあっけなく通った。プレゼン当日は中本所長以下、恭介、後藤、中村、西川のフルメンバーで参加し、中本のあいさつの後、恭介が提案内容についてよどみなく説明し、質疑応答の際は中村がその技術力の高さを見せつけつつ、分かりやすい説明で市側の審査員をおおきくうなずかせた。
事前に予定されていた結果通知の日、恭介は朝から極力予定を入れず自席で待っていた。営業課長の西川に連絡が入る予定だった。お昼近くになってややそわそわし始めたころ、西川が恭介の席へ小走りでやってきた。
「まだ連絡がありません」
「なんだ、驚かすなよ。連絡がないと他の仕事が手に付かないよ」
「そうですね。お昼ご飯に行こうかどうしようか悩んでます」
お前は食べ物の心配かよ、と突っ込みたくなったがそれも西川らしい。その時西川の携帯が鳴った。
「はい西川です。お世話になっております。はい、はい、そうですか。ありがとうございます。はい、よろしくお願いいたします」
西川が恭介をみてガッツポーズを見せた。
「受注です!」
「よっしゃ!」
恭介は西川に手を差し出しがっちり握手をした。
「先ほど市側で決裁が終わったそうです。正式な決定通知書はこれから送付なので、その前に一報をいただけました」
さっそく中本、後藤、中村やメンバーに朗報を伝え、営業所内に歓声が沸いた。長く営業の現場にいる恭介は、何度経験してもこの瞬間がたまらなく気持ちよかった。しかし大事なのはここからだ。決められた納期までに完了しなければならない。
「後藤さん、中村さん、これからよろしくお願いします」
恭介は今後を託す気持ちで、後藤や中村だけでなくサポート部のメンバー全員に頭を下げた。
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