第6話 引っ越し

 その週は各課からユーザや社員の状況を個別に聞いたり、主だったユーザには挨拶に行ったりしてあっという間に時間が過ぎた。前職では製造業に特化した営業担当だったが、ここでは業種に関係なく大分県下の自治体から民間の中小企業に至るまですべてが対象となる。民間企業といっても、大分で従業員が千人をこえるような企業は片手で数えるほどしかなく、売り上げの八割強は自治体からである。これは地方の営業所ではどこも同じ状況である。もともと恭介は入社以来自治体営業に長く携わっていたため、そのあたりも所長の中本から期待された所以でもある。

 お盆が近づき恭介の会社も一週間の一斉休業となるが、ちょうと会社が借り上げたマンションに入居できることになったため、恭介は引っ越しを済ませてから帰省することにした。土曜日の朝、ホテルをチェックアウトし駅前のドトールコーヒーでモーニングを食べ、十時の開店と同時に不動産屋へ行き鍵を受け取った。あてがわれたのは会社のある場所から東のほう、大分川の河口近くにかかる舞鶴橋に程近い物件だった。恭介は真夏の日差しを受けながら歩いて新しい住処へ向かった。日差しは厳しかったが海が近いせいか風があり、大阪市内のようなヒートアイランド的なうだるような暑さは感じなかった。それでも元来汗かきの恭介は半分くらいのところで汗だくになり、たまらずちょうどあったコンビニに入った。冷房の効いた店内を少し回って涼んだあと、飲み物や昼食になりそうなものを買い込んだ。入居するマンションは四階建ての比較的新しい物件だった。恭介の部屋は四階だったが、新しい物件にも関わらずエレベーターはなかった。鍵を開けて部屋に入った。それまで締め切ったままの部屋はむっとして澱んだ空気だったが、急いで窓を開けて風が入ると急に目を覚ましたように部屋が明るくなった。壁もフローリングも白で統一された小ぎれいな部屋で、窓の目の前には大分川が悠々と流れていた。不動産屋でもらった物件資料には2Kという間取りになっていたが、玄関から手前にミニキッチン、クローゼットのついた広めの部屋と窓側にもう一部屋あり、一人で住むには十分すぎる広さだ。

 引っ越し業者が荷物を持ってくるのは午後の予定だったので、恭介はさっそく不動産屋からもらったライフラインの連絡先に順に電話をしていった。電気はブレーカーを上げるだけで使えるようになったので、すぐにクーラーの電源を入れた。水道も使用開始の電話のみ。やっかいだったのがガスだ。都市ガスがなくプロパンなので、業者を呼んで開栓作業をしてもらわないと使えない。ところが指定された業者に何度電話してもつながらない。しばらく時間を空けようとお昼を簡単に食べた後、期待せずにかけるとようやくつながった。

「引っ越ししたのでガスの開栓をお願いしたいのですが」

「あー、今日は担当の者がずっと外なので、行けたら行きますけど。なんせ一人でやってるんで」

「そこを何とかお願いできませんかね」

 いやいや、ガスが使えないとお湯がでないから風呂にも入れないじゃないか。恭介は内心イラっとしながらも、何とか今日中にお願いしたいと頼み込んだ。幸いここは大分、温泉はいくらでもある。お湯が出なければ銭湯にでも行けばいい。そう考えると気持ちも落ち着いた。

 そうしているうちに引っ越し業者がやってきて、荷物を次々と運び込んでいった。一人分だけの荷物はものの十五分ほどで部屋の真ん中に並べられた。よしやるか、恭介は一人でそう気合を入れて、まずは大物のデスクの組み立てから取り掛かり、その後電化製品を並べていった。電化製品といっても小型のテレビ、冷蔵庫、レンジといった最低限必要なものだけを揃えていた。そこから恭介は段ボール箱を開け中のものを出して、一つずつクローゼットやキッチンなど必要なところに収めていった。なんとかすべての段ボール箱が空になった時には四時に近かったが、ちょうどその時携帯電話の着信音がしたので出てみると、ガス業者がこれから来るという。午後からの作業で汗だくになった恭介はとにかく早く汗を流したかったので、丁寧に礼を言った。

 ガスの開栓作業は思っていた以上に時間がかかったが、無事に済んでようやくシャワーで汗を流しながら、恭介はふと晩御飯はどうしようと考えた。平日は歓迎会続きで気にしていなかった。これまで食事のことは佐知子に頼りっぱなしだったが、今日からは自分で何とかしなければならない。学生時代に一人暮らししていた時はどうしてたっけな。とりあえず駅のほうに行ってみるか。加えて、洗濯機だけはこちらに来てから買うことにしていたので、家電量販店にも行きたかった。ネットで調べてみるとこれも駅ビルにあるようだ。引っ越し荷物といっしょに送っていた自転車で大分駅へ向かった。

 大分駅ビルの「JRおおいたシティ」はJR大分駅としての機能に加え、ホテルやショッピングセンタ、レストラン、スーパー、映画館などが入る一大複合施設となっている。とりあえずここに来れば何でも揃いそうだ。駅の南側にある家電量販店に行き、一番小型で安い洗濯機を店員に頼んだ。少し前に自宅の洗濯機を買ったときには翌日には配達、設置してもらったのでそのつもりだったのだが。

「在庫が福岡から取り寄せなのと、配達班がいっぱいなのでお届けするのは二週間後になりますね」

「えっ、二週間後ですか」

「そうですね、二週間後ですね」

 恭介は思わず声に出して聞いたが、店員は何か問題があるのかとでも言いたげに淡々と手続きを進めていった。ガス業者といい、家電量販店といいなかなかテンポが合わないな。次はコインランドリーを探さないと。地方都市はそういうものかと思ったが、これまでの自分が急ぎすぎなのかもしれない。恭介はどこかでおいしいものでも食べて帰ろうかと考えていたが、どっと疲れを感じたので駅ナカで弁当を買って帰ることにした。時間はまだ六時半を過ぎたところだったが、すでに割引シールが貼られていて、その分ビールを買い足して恭介は少し得をした気分になった。

まだ先は長い。急ぐことはないか、ぼちぼちいこう。そう思いながら恭介は自転車をこいだ。

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