第3話



 というわけではなく、想定よりも倍近くの速さで開いた。

 

「紗耶! よかった、電話出ないから心配した!」

 

 扉の先にはユイ――もとい恋人の唯斗が立っていた。


「なんだ、ユイか……。少し焦った。あまり驚かせないで」

 

 実はこの間の件があってから顔を合わせるのは久しぶりだった。思わず視線を逸らしてしまったのを、スマホを確認するふりをして誤魔化す。


 スマホを見ると二件、ユイからの不在着信通知が来ていた。


「いやいや、それこっちのセリフだよ。ほんとにもう、大丈夫? 怪我とかない?」


 そう言って、ユイは私の事を一周回転させながら無事かどうかを確認する。なんともないと分かると、安堵のため息をついた。


 こういうところは面倒見が良いを通り越して過保護だと思う。良くない態度を取ってしまったのに、いつもと変わらないユイにほっとした。


 いつもきちっと閉められてるネクタイは、第二ボタンあたりまで緩められ、そのうえ第一ボタンは開いている。涼しい季節であるというのに、スーツの上着は手に持たれ、汗もかいていて首筋をつたっていた。若干息も上がっている。


 急いで来たことがよく分かる姿をしていた。


「……仕事は?」


 スーツということは、仕事だったという事だ。仕事をほっぽってくる程の事ではないし、ユイにそんな無責任な事はできないと思っているのだが、見当違いだっただろうか。


「今日は外回りで直帰。さっきちょうど終わったところだったんだよ」


 なるほど。だから返信も早かったのか。


「ところでさ、こっち綺麗だね。片付けたの?」


 ユイもこの部屋が綺麗だということに気がついたようだった。


「いや、片付けてない。部屋も綺麗なままだし、無くなった物も増えた物もない」


「それって、この前僕が帰ってからこっちでまともに生活してないってことでもある?」


「うっ」


 図星を突かれて俯いてしまう。


 するとユイの手が視界に入り、そしてそのまま頭の上に優しく置かれ、撫でられる。顔を上げたが、目があってすぐに下を向いてしまった。


 困っている時の息が、頭上でする。

 

 

 ユイは私のことをよくわかっている。もう7年近く一緒にいるから余計にそうなのかもしれない。この仕事もそうだし、生活力の無さや、性格、体調、好きなものや嫌いなものなど色々。たまに私以上に私のことをわかっていたりする。


 私は急に触られると結構驚く。だから私が意識していない時、触れる前に声をかけたり、視界に手を入れてくれたりと配慮してくれている。


 だからきっと、ユイにはお見通しなんだろう。


 

 「まあ、何ともなくてよかった」


 軽く頭をポンポンっとするとユイは中に入っていった。アトリエ片付けるかーと言いながら鞄などを置く後ろ姿は、なんだか元気がない。ユイはきっと、誤解している。


「ユイ、あの――」


「ごめん、紗耶。この前のことまだ早かったよね。一旦、無かったことにしてくれて良いからさ……」


 私の弁解を遮って、ユイはそう言った。


 声はだんだんと小さくなっていく。こちらを見ているはずなのに、目線は下の方を見ていた。


 まるで傷ついて、答えを聞くのを怖がっているようだった。実際、そうなのだろう。


 答えを決めるのも、その答えを伝えるのも、怖い。答えを出せば、私はユイを縛ることになる。


 けれど出さなければいけないのは明白だった。先のばしにして傷つけないためにも伝えなければいけなかった。


 深めに息を吸って、ゆっくりと吐く。


 ほとんど決まっている、この前のプロポーズの答えを伝えるために心の準備をした。


 そして、ちゃんとユイの目を見る。


「ユイ。私はユイと――」


 意を決して話し始めた。しかし、あるものに気がついてしまった。


 床に、雫が点々と不規則に落ちていた。それも透明ではない。色が、ついている。


 それはアトリエからベッド下へと、道を作るようにできている。


 先ほどまでは無かったはずだ。私にもし付いていたなら部屋中にあるはず。


「紗耶?」


 ユイは困惑したような、不安そうな顔をして、私の目線の先を追った。

 


「もしかしたら、私たち以外にいるかもしれない」


 



 

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