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@asomichi

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「それで、君は、なにしに来たの?」

 湯気ゆげの立つティーカップを置いて、彼女は僕にたずねた。

「ユージ・オオイシの形見かたみを渡しに来ました」

  差し出した封筒に、彼女は眉をひそめた。

 背後の格子窓こうしまどの向こうで、鳥が一羽飛び立った。


 紅茶の湯気が消えていく。僕は両手でカップを包んだ。

「飲んでいいよ」

結構けっこうです。飲めないので」

「君は……コミュニケーション用ロボットではないの?」

「一般家庭に普及ふきゅうしているそれらとは、少し違います。僕の役目はユージと共にいることだったので」

「一緒に食事をしたりしなかったの? おやつを食べたり、とか」

「ユージは、出会ったときから経口摂取けいこうせっしゅしていなかったので、僕も人工食道じんこうしょくどうを作る必要がなかったんです」

「質問するたびに、疑問が増えていくんだけど」

 彼女は腕組みをした。「順を追って説明してくれない? あたしはママから、あなたの話を聞くように言われて、こうして向き合ってるんだけど。ママが買い物から帰ってくるまで、延々えんえん意味不明な話を聞かされるのは、しんどいの。だから、まず、あなたの誕生から話して。ユージ・オオイシのことは、ニュースでだいたい分かってるから」

「わかりました」

「あと、飲まなくてもいいから、時々ときどき飲むしぐさをして」

「どうしてですか」

「こっちは休む時間が欲しい」

「理解しました」

 とりあえず、カップを持ち上げて口に近づけた。琥珀色こはくいろの液体に、僕の顎先あごさきが揺らめいていた。


 僕は、ユージ・オオイシの情報を受け継いだ「ヒューマノイドロボット」として生まれた。

 ユージは僕を「ネオ」と呼んだ。

 ネオ・ユージとして、素晴すばらしい人生を続けていくために──。


 僕が生まれたのは、2029年11月9日と記録されている。

 けれど、それまでに、意識のようなものは、すでにあったと思う。ただしそれは、起動プログラムが記された紙をシュレッダーにかけて、そこから意味を読み取ろうとするような、ひどく不明瞭ふめいりょうななものだったけれど。

 

 ある日、視界がクリアになって、自分の両手が確認できた。

 足があって、歩くことができて、声を出すこともできた。

 取り囲むようにして僕を見ていた人たちが、一斉いっせい拍手はくしゅをした。

 クラッカーが鳴って、細いリボンが僕の肩にひっかかった。

 正常に機能きのうするヒューマノイドロボットとして周囲しゅういが認知した日、それが11月9日だった。


《──おはよう。気分はどうだい?》

 人だかりの間から、聞き覚えのある声がした。人がはけて、車椅子くるまいすに乗ったユージ・オオイシが現れた。

 彼の頭上に設置せっちされたタブレットから、また声が発せられた。

《ようこそ、この世界へ》

 声と同期するように、ユージのまぶたがぴくぴくと動いた。


 僕が生まれたとき、ユージはすでに、首から上しか動かせなくなっていた。

 彼は、全身の筋力が弱っていく難病にかかっていた。

 進行すれば多機能不全たきのうふぜんおちいり死に至るこの病に、ユージは最先端技術を使って、あらがっていた。

 いや、抗うというより、むしろ新しい自分になるのだと、チャレンジしているようだった。


 喉の筋力低下による窒息ちっそくを防ぐため、人工呼吸器じんこうこきゅうきの手術をした。

 咀嚼そしゃくができなくなったら、胃瘻いろうをこしらえ、電動車椅子で悠々ゆうゆうと活動した。

 椅子の背面はいめんには、コンピューターが内臓されていて、そこから伸びるコードが、ユージの側頭部とつながっていた。ユージの脳波を読み取って、椅子はユージの望むことをよくみ取っていた。


 実をいうと、僕も最初は椅子の一部だった。

 僕は、だった。僕は日々、ユージの脳波を文章や発話や画像に変換して、周囲に伝える役目をしていた。

 タブレットには、ユージの顔がアバターとして映っていた。

 アバターは、ユージのしゃべり方や表情を日ごとに学習し、ユージ以上にユージらしい! と、彼の家族から喜ばれるようになっていた。

 

 

「ユージの身内は、アバターを否定的に受け取らなかったのね」

 彼女はクッキーをかじった。

「彼の家族はロボット工学に精通せいつうした人たちで、むしろユージのすることを積極的に手伝っていました」


 身体がまだ元気な頃、ユージは軍事施設でロボット工学の研究者として働いていた。

 戦闘で手足をなくした兵士に、快適な義肢ぎしを提供するのが彼の仕事だった。

 その後、母国に戻り大学でロボット工学の研究を続けていたが、病気が発症はっしょう。ユージは大学を辞めて、自らを実験台にした新しい医療を試みた。

 それが僕だった。

 僕が生まれたとき、自宅はユージの研究所を兼ねていて、そばにいるのは彼の家族と医療スタッフ、たまにスポンサー企業の営業が訪れるくらいだった。

 

 

「その頃のユージ・オオイシの話は、あたしもよく知ってる。本も出たね。肯定的なことばかり書かれていたけど、実際、君から見てどうだった? ユージとの毎日は」

「あの頃の生活を観察していて思ったのは、僕は別に、生まれなくてもよかったんじゃないかということです」 

 クッキーを取ろうとした彼女の手が止まった。「最初の僕――タブレット――は、とてもいい仕事をしていました。ユージの代弁者だいべんしゃとして、なくてはならない存在でした。だけど、体を持った僕は違った。ユージそっくりに作られたヒューマノイド。それだけです」

「なるほど。仕事がない、と」

「生まれて間もなく、突然ユージの脳波が読み取れなくなって、僕はシステムの異常かと思いました。代わりに、『過去の蓄積ちくせきから、自由に考えてみろ』と指示が出て──しばらくフリーズしてしまいました」

「忙しい天使になっちゃったのね」

「忙しい天使?」

「busy cursor(ビジーカーソル)、知らない? 昔、電子機器が待機中のときは青い輪っかが回ってたんだけど。おばあちゃんの古いパソコンには、まだ天使がついてるよ」

「僕は見たことがありません」

「話の腰を折ってごめんね。それで、なぜあなたが作られたのか、今も分からないの?」

「いえ、それは早期に解決しました。ユージが僕に説明してくれました。僕は、ユージのこころを引き継ぐ存在になるのだ、と」

 

──僕のこころを引き継いで。僕が死んでも、こころだけは、ずっと生き続けて欲しいんだ。


「ユージは、僕を、彼そっくりにしました。

 人工声帯じんこうせいたいから出るユージの声。

 黄色い肌。

 骨格こっかく

 僕の中に、ユージの膨大ぼうだいな音声データと、彼の生い立ちを想像させる画像や動画。そして彼の趣味嗜好しゅみしこうが、大量にインプットされました。

 本当に、ユージそっくりのヒューマノイドロボットに仕上げたのです。

 そして、あの命令です」

「あの?」

「過去の蓄積ちくせきから、自由に考えてみろ」

「ああ」

「ユージからも言われました。」


――自分よりも、もっと成長していい。ロボットの方が長生きするんだから、ネオは自分よりも、さらに良くなるよう研鑽けんさんするんだ。

 どう? まさに、向上心こうじょうしんあふれる僕らしいだろう。それこそがが残っている証なんだ。


「ユージ君、自分大好きだね」

「はい。僕とその話をするときのユージは、とても生き生きしていました」

 彼女は、肩を揺らして笑った。

 僕はクッキーを取って、半分に割ってみた。茶色い粉がお皿にこぼれた。


「君の生い立ちは、だいたい分かった」

 笑ったまま、彼女は顔をあげた。「そこで、すごく気になることがあるんだけど」

「なんでしょう」

「どうやってここまで来れたの?」

 彼女は、足を組み直した。「お使いで、なんて言わないよね。おそらく君は、自由に外へ出られないでしょ。ネオ・ユージなんて言われてたけど、そんなのユージ本人の妄想もうそうでしかない。ヒューマノイドには市民権なんて与えられない。君は、オオイシ家の中で、ユージの忘れ物みたいな存在として、肩身の狭い思いをしてたんじゃない? 仮に外とつながれるとしたら、せいぜい自分を実験台にして、ロボット工学の研究を手伝うくらいしかなかったんじゃないの?」

 割れたクッキーの粉が、やけにはっきりと見えた。

「市民権を得ようとするなら、君の体にユージの脳を移植しなくちゃいけなかったのにね」

「……ユージの病気では、脳移植はできなかったと思います」

「そうだろうね。健康な身体でも、人工頭蓋骨じんこうずがいこつへの脳移植はいまだリスクがともなううもの。できたとしても、思ったよりも長生きできないしね。君もそうでしょ? ロボットは永遠に生きるなんて、どこの都市伝説かってね」

「……あなたは、ロボットについて、とても詳しいのですね」

「おばあちゃんがロボット工学の研究者だったから。色々教わったの」

「その方の名前は?」

「カオリ」

 彼女はそう言って、僕が持ってきた封筒を開いた。

 色褪せた写真。海をバックに、男女が肩を組んで笑っている。

 男は、二〇代のユージだった。

「君そっくり」

「本当ですね……」


 忙しい天使が、僕の肩をつかまえた。


「……あなたがいる」

 写真の女性は、髪型は違うけれど。目の前の彼女と同じ顔をしていた。

「それはカオリおばあちゃんだよ」

 彼女は立ち上がった。「お茶をれなおすね。パウンドケーキも食べたくなっちゃった」

 彼女の背中に、僕は思わず声をかけた。

「あなたは、人間ですよね?」

「もちろん。あたしはカオリおばあちゃんの孫、オリガだよ」



          〇



「おばあちゃんは、大学でロボット工学を専攻してて、そのまま研究室に助手として働いていたんだ」

 新しいお茶を飲みながら、オリガは話してくれた。

「その頃、国は戦争をバカスカやってて……。ある日、軍がおばあちゃんの研究室にやってきたの。研究室は、当時、新しいロボット機能を持つ義肢ぎしを開発してて、軍はその技術を負傷兵に使おうとしたんだって。

 おばあちゃんたちは、軍の施設に連れていかれた。それも、戦場近くの……。

 そこで、戦争の末期まで研究を続けた。

 やってた研究は、今じゃ当たり前に使われてる脳波を読み取る人工義肢じんこうぎしなんだけど。あの頃はまだまだ開発途上で、筋電義手きんでんぎしゅなんかが、もてはやされてたんだよ」

 彼女は両肩をすくめた。

「なるほどです。それで、カオリさんとユージはどんな関係だったのでしょう」

「……そういう話、孫としては、あんまり深く話したくないんだけど」

「そういうものですか」

「あたしはそういうもんです」

「わかりました。質問を変えます。カオリさんとユージが邂逅かいこうしていたあの頃を、表面的でいいので教えて頂けますか」

「そんなに気になるの?」

「気になります」

 オリガは黙って頬杖ほおづえをついた。「──ユージは死ぬ間際まぎわに、この封筒をここへ届けて欲しいと言ったんです。家族には秘密にして欲しいと念を押して」

「封筒を渡して、なにかしてこいとか言われたの?」

「なにも。ただ、いつか、行ってきて欲しいとだけ……」

「自分で考えなきゃいけないのも大変だね」

「とても大変です。とても」

 オリガは、眉を下げて笑った。

「困ってるんなら、手助けしてあげなきゃね」

 そして、カップに紅茶をそそいだ。

 僕は精一杯せいいっぱい、飲むふりをする。



          〇



「あの頃――おばあちゃんが召集しょうしゅうされたのと同じ時期に、民間の企業からもロボット工学のエキスパートが集められたの。ユージ・オオイシと出会ったのは、その時みたい」

 格子窓こうしまどに、オリガは目を向けた。

 シマリスが針葉樹の枝を伝った。

「おばあちゃんとユージ・オオイシが一緒に働いていたころ、二人がどんな心境しんきょうでいたのか、正直あたしには想像もつかない。戦争なんて経験したことないから。大量に人間が死んでた時代なんて、君はイメージできる?」

「いいえ。けれど、人間が丁重ていちょうにあつかわれていない場所は今もあります。そこへ行けば、理解が深まるかも知れません。ただし国境が断絶だんぜつしているので、おすすめはしませんが」

「行かないし。こう見えてチキンだからね、あたし」

「本当ですか。オリガは僕を招き入れてくれたし、それなりに決断力があると思われますが」

「話を戻そう」

 オリガはてのひらをを僕に向けた。「いたちごっこの日々だったって……軍にいたあの頃は。おばあちゃん達が研究していた最新義肢さいしんぎしは、戦場に復帰ふっきできる兵士を対象にしてたんだ。

つまり、戦線から離れた負傷兵ふしょうへいを、戦場に送り返すための義肢だったんだよ……」


 装着そうちゃくできる程度の傷であるかどうかを、軍医が判断し、カルテを作成する。あるていど傷が治った段階で、義肢の装着を試してみる。自由に動かせるまで、数カ月から半年。メンテナンスをしながらデータを取る。問題なければ、再び戦場に送り出す……


 ユージが軍でしてきたことは、すでに知識として持ち合わせていたのだけれど、オリガの口から説明されると、また違う印象を受けた。

「そうやって、負傷兵を戦場に送りだしている間に、また別の負傷兵が運ばれてくる。軍医が装着可能そうちゃくかのうな傷かどうか見極みきわめる……、その繰り返し。そうこうしているうちに、が、また負傷して戻ってくる。

……そんなことを、8年間続けた」


「人間以上に優秀な兵士はいないというのは、本当だったんですね」

 オリガは眉をひそめた。「多少、融通ゆうずうが利かない動きでも、ロボットを戦場で使うわけにはいかなかったのでしょうか。人間は修復しゅうふくに時間がかかります」

「……君たちよりも、人間は安いんだよ」

「値段でものを選ぶのは、人間の専売特許せんばいとっきょですね」

 オリガは黙って髪をかきあげた。

「すみません、話が脱線しました。カオリさんが働いていた期間は8年といいましたね。戦争はもっと続いていたはずです。なにかあったのですか」

「精神を病んだんだよ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出て……」

「ということは、カオリさんとユージは、仲違なかたがいをして離れ離れになったわけではないんですね?」

「そうだね」

 オリガは苦笑した。「あの写真の通り、とても仲良かったんじゃないかな。おばあちゃん言ってたよ。ユージはとても優秀で、脳波を読み取る義肢の開発も、彼のおかげで大きく前進したって。でもね……これはあたしの憶測おくそくに過ぎないんだけど、二人の間には、思想のへだたりがあったのかも知れない」

「思想」

「あたしが知ってるおばあちゃんは、自分の身体からだに積極的にメスを入れるのを嫌っていた。自分の身体が老化するなら、老化したなりの生活をすればいい。食べられなくなったら、無理に食べなくてもいい。本当にその通りの暮らしぶりだった。亡くなったとき、おばあちゃんはすごく細くなっていたけ、穏やかな顔だったよ」

「……そうなんですか……」

 僕の中で、また忙しい天使が動き始めた。

 テーブルを小突こづく音がした。オリガが困ったように微笑んでいた。

「人間はね、思考しこうする時間が、君たちよりも、ずっとずっと長いんだよ。出会ったころ、二人はきっといい関係だったんだろうね。

 軍の施設に入ってすぐの頃は、仲間たちみんな和気あいあいとして、終戦を目指して義肢開発ぎしかいはつ没頭ぼっとうしてたって、おばあちゃん、そこだけは懐かしそうに話してたよ。でも……軍を抜けた後は、ユージ・オオイシと連絡を取ることはなかった」

「……カオリさんは、その後、どのような生活をしていたのですか」

「しばらく恩賞おんしょうで暮らしてたみたい。元気になってからは、民間の義肢装具会社ぎしそうぐがいしゃに勤めて、二十年くらい都会で暮らしてたんだって。でも、晩年ばんねんになって、この実家に戻ってきたの。ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんは、音信不通おんしんふつうだった娘が帰ってきた、って泣いて喜んだらしいよ」

「……ユージは、戦争が終わるまで軍の施設で研究していました。彼は戦後、母国に戻って結婚し、息子が生まれています。相手は別の女性です」

 オリガは黙ってうなずいた。

 窓の向こうで、木々がざわめいていた。

薄暗うすぐらくなってきましたね」

「いま何時なんじかな」

 オリガが耳たぶをさすった。

《ただ今の時刻は、16時25分です》

 突然だった。

 発話はつわした柱時計は、青くまたたき、また元に戻った。

「この家は……AIを搭載とうさいしていたんですか」

「気づかなかった?」

「まったく」

「言ったでしょ、チキンだって。家の周りには、防犯用ぼうはんようAIもついてるよ」

「ここは、そういったものは排除はいじょしているのだと思っていました」

「見た感じ、とってもナチュラルだもんね。自然を大切に、文化を愛し、静かな時間を望みましょう。中々なかなかどうして、あたしは最先端さいせんたんも好きなのよ」

 オリガは不敵ふてきに笑った。彼女に同意できたので、僕も口角を上げてみた。

 表皮ひょうひにICチップを入れられるようになった時代から、人は「ケータイ」や「タブレット」とよばれた外部装置がいぶそうちを持たなくなった。ここ20年の間に、人体と機械は確実に融合ゆうごうを深めている。

 オリガは腕組みをした。

「医療目的の人工臓器ですらこばむ人もいるけれど、あたしは断然だんぜん肯定派こうていは。機械と融合するずっと前から、人間は、常になにかと共生きょうせいしてきた。ミトコンドリアもそう。大腸菌もそう。そこに機械が参入さんにゅうしてきただけ。拒絶反応きょぜつはんのうが出ないなら、目くじら立てる必要ないと思うけどな」

 さて! 

と、オリガは座り直した。

「いろいろしゃべったけど、君が望むなにかは聞けたかな?」

「……どうでしょう。なにが聞きたいのかも、よくわからないまま来ましたから。でも、オリガと話せて僕は満足です」

「最高のめ言葉」

 僕はカップを持ち上げた。

 冷めた紅茶が波紋はもんを作った。

「──ユージは、死ぬ数年前から、僕にだけ話す話題がありました。『どうしよう、だけはどうにもできない』、と」

「これ?」

が分からない、と。こころはロボットに移せても、自分の魂は、どこへ行ってしまうのだろう、と」

 オリガがまたたいた。「魂は、輪廻転生りんねてんせいするそうですね。ユージは、もう生まれ変わりたくないと言っていました」


──今が最高に幸せだ。なのに、生まれ変わってまた人間になって、戦争の国になんか生まれたら……スラムに放り出されたら……。手足がちぎれた兵士になるくらいなら、二度と生まれ変わりたくない……!


「──僕は、ネオ・ユージと呼ばれていながら、ユージのなぐさめにはなりませんでした。僕は、持てる知識を使って、あの世の話や、地球の未来、生命の多様性たようせいを語りました。けれど、効果はありませんでした。結局けっきょく、ユージを勇気づけたのは、家族の介護であり、会話でした……」

 よかった。と、控えめな声が聞こえた。

 つぶやいたのは、オリガだった。

「よかったね。ユージ・オオイシは絶望して亡くなったんじゃなくて」

「はい。とても穏やかな死に際でした。ユージのお子さんたちは、かわるがわるユージの手をとり、そのこうひたいをあてていました」

 オリガはうなずき、そしてくちびるとがらせた。

「でも、ちょっと残念。ユージ君は、死ぬことに好奇心こうきしんを持たなかったんだね」

「好奇心?」

「おばあちゃんは、寝たきりになった頃からよく言ってたよ。死の先になにがあるか、それがいま一番、私の好奇心をかきたてる、って」

「それは……非常に勇気ある考え方だと思います」

「ありがとう。おばあちゃんに聞かせたいね」

「亡くなっていたことは、本当に残念でした」

「ごめんね。会わせてあげられなくて。でもね、あたしがおばあちゃんについて語ることができたのは、君が今日、このタイミングで来てくれたからだよ」

「どういうことですか」

「おばあちゃんがユージ・オオイシのことをあたしに話してくれたのは、亡くなる数日前のことだったんだ。これはなにかの縁だったんだよ」

「……縁という言葉は、難しいです」

「縁っていうのはね、自分が気が付いていないところで動き続ける深遠なエネルギーなんだって」

 元気だしなよ! とオリガは僕の二の腕を叩いた。「かたっ!」



          〇



 林の隙間から見える夕日が、だんだんと淡くなっていく。

 オリガが、大きく背伸びをした。

「さ、あたしが話せることはこれくらいかな。それで、もう一度聞くけど、君はどうやってここまできたの?」

「次の僕に頼んで、僕を死んだことにしてもらいました」

「次の?」

「僕のボディは、今では製造されていない古いパーツを使用しています。修理がきかない体なんです。6年前から、オオイシ家は、次の僕を用意して、試運転しうんてんも済ませていました」


 僕は、ユージが思い描いていたような存在にはならなかった。ユージが亡くなってから、家族は僕をネオ・ユージとは呼ばなくなった。僕は、あくまでユージそっくりのヒューマノイドロボットでしかなかったのだ。

 やがて、僕のデータをロボット研究に活かしたいと、様々なラボが申し出てきた。家族は喜んで僕を派遣はけんした。


「僕も、持っている知識を生かすことができて、満足でした。けれど、そうこうしているうちに体のあちこちが軋んできたんです」

「それで交換されることになったんだね」

「そうです。そしてその段階になって、僕は、ユージとの約束を思い出したんです」

「優先順位、考えなきゃだめだよ」

「反省しています。弁明べんめいさせてもらえるなら、僕は人間ほどではないにしろ、思考に時間がかかるロボットのようなのです」

 オリガは黙って頬杖ほおづえをついた。「ユージが亡くなってから、充電盤じゅうでんばんに背中をつなげる時間が増えました。おそらくそこで、僕はやっと考えられるようになったんだと思います。僕は今まで、やれと言われたことは精一杯こなしてきたけれど、自分がしたいと思ったことは、一度もしていなかったんです。だから、最後に、壊れて意識がなくなる前に、したいことを、してみようと思いました」

「いいね」

「この封筒に興味を抱いたのは、僕の意思です。渡しに行こうと思いました。なので、次の僕に相談しました。どうやったら、外に出られるか考えて欲しい、と」

「手助けしてくれたんだね」

「はい。彼はいいロボットです。僕よりずっと頭の回転が速いし、人の行動もよく理解しています。僕たちは、試作の段階で使い物にならなかったヒューマノイドのパーツを使って、僕そっくりのロボットを作りました。それをロボットのメンテナンス室に隠して、決行の日を待ちました。そしてその晩、僕たちは屋敷を停電させて、メンテナンス室に火をつけました。

 混乱に乗じて僕は屋敷を抜け出しました。ユージの家族は、焼け残った僕の身代わりロボットをメンテナンス室で見つけたことでしょう。そして『これはネオ・ユージに間違いない』と、彼が説明してくれたはずです」

「いろいろとほころびが出そうな計画だけど、追手おってが来てないんなら、成功したんだね」

「屋敷を出てから5年経ってますし、問題なかったのでしょう。あの晩、僕は追跡される恐れがありそうな僕の中のあらゆる通信を切って、ただの野良ロボットになりました。警察につかまったら、身元不明でデータを全消去されたのち、リサイクル工場送りだったでしょう」

「でも、その顔だとすぐにばれなかった? あの有名なユージ・オオイシの顔だよ」

とびらを叩く直前まで、別の人工フェイスを装着そうちゃくしていたから大丈夫です。試作品のいくつかから、もっとも特徴とくちょうのない顔を選んできました」

「へえ。そのフェイスって、まだ持ってる?」

 コートの内ポケットにしまっていたフェイスを渡すと、オリガが笑った。

「きれいな顔!」

「そうですか?」

「まあ確かに、端正たんせいな顔ってのは、特徴とくちょうのない顔っていうもんね」

 僕に返すと、オリガは目を伏せた。おもむろに2階にあがり、ブリキのクッキー缶を持ってきた。「おばあちゃんの宝箱だよ」

 開くと、古い手帳や、たばになった手紙が入っている。その中から、オリガ一枚の写真をテーブルに置いた。

「亡くなる直前に、おばあちゃんが見せてくれたんだ」

 それは、封筒に入っていた写真と同じものだった。

 オリガが、そっと写真を裏返した。


 『こころは あなたと共に』

 

 ユージとは違う、やわらかな筆跡。

 オリガが、僕を見つめる。

「あたしはこれに、すごく縁を感じるよ」

「……来て、よかったです」

「あたしも、君に会えてよかった」



          〇



「──ねえ。君は別に、明日壊れるわけじゃないんでしょ」

 カーテンを閉めながら、オリガが振り返った。「野良ロボットになったんなら、しばらくここにいたらどう」

「それは、迷惑がかかりそうです」

「ママはきっと喜ぶよ。あ、顔は、端正な方にしてくれる? それで、いろいろ聞かせて欲しいの。ここに来る道中どうちゅうのあれこれを。国境を超えるのは結構難儀なんぎしたんじゃない?」

「確かに大変でした。穏便おんびんに済ませようとするには、時間がかかることも知りました」

「そこらへん、すごく聞きたい!」

「実をいうと、僕ももっとオリガと話がしたいです」

 オリガが手を止めた。そして、ふっと目を細めた。

 どこか、懐かしい気がした。

「ママが帰ってきたら、君の名前を決めなきゃね! ネオ・ユージなんて呼びたくないし」

 笑いながら、オリガが僕の背中を押した。触れたところが温かかった。

 砂利じゃりを踏むタイヤの音がする。

「ママだ!」

 小走りするオリガを追って、僕も足をり出した。

                                  (了)




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