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asomichi
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「それで、君は、なにしに来たの?」
「ユージ・オオイシの
差し出した封筒に、彼女は眉をひそめた。
背後の
紅茶の湯気が消えていく。僕は両手でカップを包んだ。
「飲んでいいよ」
「
「君は……コミュニケーション用ロボットではないの?」
「一般家庭に
「一緒に食事をしたりしなかったの? おやつを食べたり、とか」
「ユージは、出会ったときから
「質問するたびに、疑問が増えていくんだけど」
彼女は腕組みをした。「順を追って説明してくれない? あたしはママから、あなたの話を聞くように言われて、こうして向き合ってるんだけど。ママが買い物から帰ってくるまで、
「わかりました」
「あと、飲まなくてもいいから、
「どうしてですか」
「こっちは休む時間が欲しい」
「理解しました」
とりあえず、カップを持ち上げて口に近づけた。
僕は、ユージ・オオイシの情報を受け継いだ「ヒューマノイドロボット」として生まれた。
ユージは僕を「ネオ」と呼んだ。
ネオ・ユージとして、
僕が生まれたのは、2029年11月9日と記録されている。
けれど、それまでに、意識のようなものは、すでにあったと思う。ただしそれは、起動プログラムが記された紙をシュレッダーにかけて、そこから意味を読み取ろうとするような、ひどく
ある日、視界がクリアになって、自分の両手が確認できた。
足があって、歩くことができて、声を出すこともできた。
取り囲むようにして僕を見ていた人たちが、
クラッカーが鳴って、細いリボンが僕の肩にひっかかった。
正常に
《──おはよう。気分はどうだい?》
人だかりの間から、聞き覚えのある声がした。人がはけて、
彼の頭上に
《ようこそ、この世界へ》
声と同期するように、ユージの
僕が生まれたとき、ユージはすでに、首から上しか動かせなくなっていた。
彼は、全身の筋力が弱っていく難病に
進行すれば
いや、抗うというより、むしろ新しい自分になるのだと、チャレンジしているようだった。
喉の筋力低下による
椅子の
実をいうと、僕も最初は椅子の一部だった。
僕は、椅子に付属するタブレットだった。僕は日々、ユージの脳波を文章や発話や画像に変換して、周囲に伝える役目をしていた。
タブレットには、ユージの顔がアバターとして映っていた。
アバターは、ユージのしゃべり方や表情を日ごとに学習し、ユージ以上にユージらしい! と、彼の家族から喜ばれるようになっていた。
「ユージの身内は、アバターを否定的に受け取らなかったのね」
彼女はクッキーをかじった。
「彼の家族はロボット工学に
身体がまだ元気な頃、ユージは軍事施設でロボット工学の研究者として働いていた。
戦闘で手足をなくした兵士に、快適な
その後、母国に戻り大学でロボット工学の研究を続けていたが、病気が
それが僕だった。
僕が生まれたとき、自宅はユージの研究所を兼ねていて、そばにいるのは彼の家族と医療スタッフ、たまにスポンサー企業の営業が訪れるくらいだった。
「その頃のユージ・オオイシの話は、あたしもよく知ってる。本も出たね。肯定的なことばかり書かれていたけど、実際、君から見てどうだった? ユージとの毎日は」
「あの頃の生活を観察していて思ったのは、僕は別に、生まれなくてもよかったんじゃないかということです」
クッキーを取ろうとした彼女の手が止まった。「最初の僕――タブレット――は、とてもいい仕事をしていました。ユージの
「なるほど。仕事がない、と」
「生まれて間もなく、突然ユージの脳波が読み取れなくなって、僕はシステムの異常かと思いました。代わりに、『過去の
「忙しい天使になっちゃったのね」
「忙しい天使?」
「busy cursor(ビジーカーソル)、知らない? 昔、電子機器が待機中のときは青い輪っかが回ってたんだけど。おばあちゃんの古いパソコンには、まだ天使が
「僕は見たことがありません」
「話の腰を折ってごめんね。それで、なぜあなたが作られたのか、今も分からないの?」
「いえ、それは早期に解決しました。ユージが僕に説明してくれました。僕は、ユージのこころを引き継ぐ存在になるのだ、と」
──僕のこころを引き継いで。僕が死んでも、こころだけは、ずっと生き続けて欲しいんだ。
「ユージは、僕を、彼そっくりにしました。
黄色い肌。
僕の中に、ユージの
本当に、ユージそっくりのヒューマノイドロボットに仕上げたのです。
そして、あの命令です」
「あの?」
「過去の
「ああ」
「ユージからも言われました。」
――自分よりも、もっと成長していい。ロボットの方が長生きするんだから、ネオは自分よりも、さらに良くなるよう
どう? まさに、
「ユージ君、自分大好きだね」
「はい。僕とその話をするときのユージは、とても生き生きしていました」
彼女は、肩を揺らして笑った。
僕はクッキーを取って、半分に割ってみた。茶色い粉がお皿に
「君の生い立ちは、だいたい分かった」
笑ったまま、彼女は顔をあげた。「そこで、すごく気になることがあるんだけど」
「なんでしょう」
「どうやってここまで来れたの?」
彼女は、足を組み直した。「お使いで、なんて言わないよね。おそらく君は、自由に外へ出られないでしょ。ネオ・ユージなんて言われてたけど、そんなのユージ本人の
割れたクッキーの粉が、やけにはっきりと見えた。
「市民権を得ようとするなら、君の体にユージの脳を移植しなくちゃいけなかったのにね」
「……ユージの病気では、脳移植はできなかったと思います」
「そうだろうね。健康な身体でも、
「……あなたは、ロボットについて、とても詳しいのですね」
「おばあちゃんがロボット工学の研究者だったから。色々教わったの」
「その方の名前は?」
「カオリ」
彼女はそう言って、僕が持ってきた封筒を開いた。
色褪せた写真。海をバックに、男女が肩を組んで笑っている。
男は、二〇代のユージだった。
「君そっくり」
「本当ですね……」
忙しい天使が、僕の肩をつかまえた。
「……あなたがいる」
写真の女性は、髪型は違うけれど。目の前の彼女と同じ顔をしていた。
「それはカオリおばあちゃんだよ」
彼女は立ち上がった。「お茶を
彼女の背中に、僕は思わず声をかけた。
「あなたは、人間ですよね?」
「もちろん。あたしはカオリおばあちゃんの孫、オリガだよ」
〇
「おばあちゃんは、大学でロボット工学を専攻してて、そのまま研究室に助手として働いていたんだ」
新しいお茶を飲みながら、オリガは話してくれた。
「その頃、国は戦争をバカスカやってて……。ある日、軍がおばあちゃんの研究室にやってきたの。研究室は、当時、新しいロボット機能を持つ
おばあちゃんたちは、軍の施設に連れていかれた。それも、戦場近くの……。
そこで、戦争の末期まで研究を続けた。
やってた研究は、今じゃ当たり前に使われてる脳波を読み取る
彼女は両肩をすくめた。
「なるほどです。それで、カオリさんとユージはどんな関係だったのでしょう」
「……そういう話、孫としては、あんまり深く話したくないんだけど」
「そういうものですか」
「あたしはそういうもんです」
「わかりました。質問を変えます。カオリさんとユージが
「そんなに気になるの?」
「気になります」
オリガは黙って
「封筒を渡して、なにかしてこいとか言われたの?」
「なにも。ただ、いつか、行ってきて欲しいとだけ……」
「自分で考えなきゃいけないのも大変だね」
「とても大変です。とても」
オリガは、眉を下げて笑った。
「困ってるんなら、手助けしてあげなきゃね」
そして、カップに紅茶を
僕は
〇
「あの頃――おばあちゃんが
シマリスが針葉樹の枝を伝った。
「おばあちゃんとユージ・オオイシが一緒に働いていたころ、二人がどんな
「いいえ。けれど、人間が
「行かないし。こう見えてチキンだからね、あたし」
「本当ですか。オリガは僕を招き入れてくれたし、それなりに決断力があると思われますが」
「話を戻そう」
オリガは
つまり、戦線から離れた
ユージが軍でしてきたことは、すでに知識として持ち合わせていたのだけれど、オリガの口から説明されると、また違う印象を受けた。
「そうやって、負傷兵を戦場に送りだしている間に、また別の負傷兵が運ばれてくる。軍医が
……そんなことを、8年間続けた」
「人間以上に優秀な兵士はいないというのは、本当だったんですね」
オリガは眉をひそめた。「多少、
「……君たちよりも、人間は安いんだよ」
「値段でものを選ぶのは、人間の
オリガは黙って髪をかきあげた。
「すみません、話が脱線しました。カオリさんが働いていた期間は8年といいましたね。戦争はもっと続いていたはずです。なにかあったのですか」
「精神を病んだんだよ。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出て……」
「ということは、カオリさんとユージは、
「そうだね」
オリガは苦笑した。「あの写真の通り、とても仲良かったんじゃないかな。おばあちゃん言ってたよ。ユージはとても優秀で、脳波を読み取る義肢の開発も、彼のおかげで大きく前進したって。でもね……これはあたしの
「思想」
「あたしが知ってるおばあちゃんは、自分の
「……そうなんですか……」
僕の中で、また忙しい天使が動き始めた。
テーブルを
「人間はね、
軍の施設に入ってすぐの頃は、仲間たちみんな和気あいあいとして、終戦を目指して
「……カオリさんは、その後、どのような生活をしていたのですか」
「しばらく
「……ユージは、戦争が終わるまで軍の施設で研究していました。彼は戦後、母国に戻って結婚し、息子が生まれています。相手は別の女性です」
オリガは黙って
窓の向こうで、木々がざわめいていた。
「
「いま
オリガが耳たぶをさすった。
《ただ今の時刻は、16時25分です》
突然だった。
「この家は……AIを
「気づかなかった?」
「まったく」
「言ったでしょ、チキンだって。家の周りには、
「ここは、そういったものは
「見た感じ、とってもナチュラルだもんね。自然を大切に、文化を愛し、静かな時間を望みましょう。
オリガは
オリガは腕組みをした。
「医療目的の人工臓器ですら
さて!
と、オリガは座り直した。
「いろいろしゃべったけど、君が望むなにかは聞けたかな?」
「……どうでしょう。なにが聞きたいのかも、よくわからないまま来ましたから。でも、オリガと話せて僕は満足です」
「最高の
僕はカップを持ち上げた。
冷めた紅茶が
「──ユージは、死ぬ数年前から、僕にだけ話す話題がありました。『どうしよう、これだけはどうにもできない』、と」
「これ?」
「魂のゆくえが分からない、と。こころはロボットに移せても、自分の魂は、どこへ行ってしまうのだろう、と」
オリガが
──今が最高に幸せだ。なのに、生まれ変わってまた人間になって、戦争の国になんか生まれたら……スラムに放り出されたら……。手足がちぎれた兵士になるくらいなら、二度と生まれ変わりたくない……!
「──僕は、ネオ・ユージと呼ばれていながら、ユージの
よかった。と、控えめな声が聞こえた。
つぶやいたのは、オリガだった。
「よかったね。ユージ・オオイシは絶望して亡くなったんじゃなくて」
「はい。とても穏やかな死に際でした。ユージのお子さんたちは、かわるがわるユージの手をとり、その
オリガは
「でも、ちょっと残念。ユージ君は、死ぬことに
「好奇心?」
「おばあちゃんは、寝たきりになった頃からよく言ってたよ。死の先になにがあるか、それがいま一番、私の好奇心をかきたてる、って」
「それは……非常に勇気ある考え方だと思います」
「ありがとう。おばあちゃんに聞かせたいね」
「亡くなっていたことは、本当に残念でした」
「ごめんね。会わせてあげられなくて。でもね、あたしがおばあちゃんについて語ることができたのは、君が今日、このタイミングで来てくれたからだよ」
「どういうことですか」
「おばあちゃんがユージ・オオイシのことをあたしに話してくれたのは、亡くなる数日前のことだったんだ。これはなにかの縁だったんだよ」
「……縁という言葉は、難しいです」
「縁っていうのはね、自分が気が付いていないところで動き続ける深遠なエネルギーなんだって」
元気だしなよ! とオリガは僕の二の腕を叩いた。「
〇
林の隙間から見える夕日が、だんだんと淡くなっていく。
オリガが、大きく背伸びをした。
「さ、あたしが話せることはこれくらいかな。それで、もう一度聞くけど、君はどうやってここまできたの?」
「次の僕に頼んで、僕を死んだことにしてもらいました」
「次の?」
「僕のボディは、今では製造されていない古いパーツを使用しています。修理がきかない体なんです。6年前から、オオイシ家は、次の僕を用意して、
僕は、ユージが思い描いていたような存在にはならなかった。ユージが亡くなってから、家族は僕をネオ・ユージとは呼ばなくなった。僕は、あくまでユージそっくりのヒューマノイドロボットでしかなかったのだ。
やがて、僕のデータをロボット研究に活かしたいと、様々なラボが申し出てきた。家族は喜んで僕を
「僕も、持っている知識を生かすことができて、満足でした。けれど、そうこうしているうちに体のあちこちが軋んできたんです」
「それで交換されることになったんだね」
「そうです。そしてその段階になって、僕は、ユージとの約束を思い出したんです」
「優先順位、考えなきゃだめだよ」
「反省しています。
オリガは黙って
「いいね」
「この封筒に興味を抱いたのは、僕の意思です。渡しに行こうと思いました。なので、次の僕に相談しました。どうやったら、外に出られるか考えて欲しい、と」
「手助けしてくれたんだね」
「はい。彼はいいロボットです。僕よりずっと頭の回転が速いし、人の行動もよく理解しています。僕たちは、試作の段階で使い物にならなかったヒューマノイドのパーツを使って、僕そっくりのロボットを作りました。それをロボットのメンテナンス室に隠して、決行の日を待ちました。そしてその晩、僕たちは屋敷を停電させて、メンテナンス室に火をつけました。
混乱に乗じて僕は屋敷を抜け出しました。ユージの家族は、焼け残った僕の身代わりロボットをメンテナンス室で見つけたことでしょう。そして『これはネオ・ユージに間違いない』と、彼が説明してくれたはずです」
「いろいろと
「屋敷を出てから5年経ってますし、問題なかったのでしょう。あの晩、僕は追跡される恐れがありそうな僕の中のあらゆる通信を切って、ただの野良ロボットになりました。警察に
「でも、その顔だとすぐにばれなかった? あの有名なユージ・オオイシの顔だよ」
「
「へえ。そのフェイスって、まだ持ってる?」
コートの内ポケットにしまっていたフェイスを渡すと、オリガが笑った。
「きれいな顔!」
「そうですか?」
「まあ確かに、
僕に返すと、オリガは目を伏せた。おもむろに2階にあがり、ブリキのクッキー缶を持ってきた。「おばあちゃんの宝箱だよ」
開くと、古い手帳や、
「亡くなる直前に、おばあちゃんが見せてくれたんだ」
それは、封筒に入っていた写真と同じものだった。
オリガが、そっと写真を裏返した。
『こころは あなたと共に』
ユージとは違う、やわらかな筆跡。
オリガが、僕を見つめる。
「あたしはこれに、すごく縁を感じるよ」
「……来て、よかったです」
「あたしも、君に会えてよかった」
〇
「──ねえ。君は別に、明日壊れるわけじゃないんでしょ」
カーテンを閉めながら、オリガが振り返った。「野良ロボットになったんなら、しばらくここにいたらどう」
「それは、迷惑がかかりそうです」
「ママはきっと喜ぶよ。あ、顔は、端正な方にしてくれる? それで、いろいろ聞かせて欲しいの。ここに来る
「確かに大変でした。
「そこらへん、すごく聞きたい!」
「実をいうと、僕ももっとオリガと話がしたいです」
オリガが手を止めた。そして、ふっと目を細めた。
どこか、懐かしい気がした。
「ママが帰ってきたら、君の名前を決めなきゃね! ネオ・ユージなんて呼びたくないし」
笑いながら、オリガが僕の背中を押した。触れたところが温かかった。
「ママだ!」
小走りするオリガを追って、僕も足を
(了)
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