第3話 祖父・父・ゴム風船

ゆきこちゃんのお家にはお金持ちの家らしく、お手伝いさんがいて いつも愛想よく僕のことを迎え入れてくれた。いつも遊びに行くとゆきこちゃんか そのお手伝いさんが出てきて 僕を部屋にあげてくれた。少しすると大抵 お茶とお菓子が出てくる。僕はゆきこちゃんが出てくるまでお菓子をつまんで 待っていればよかった。時折ゆきこちゃんがお着替えに時間がかかったりする時は、お手伝いさんかゆきこちゃんのお母さんが出てきて僕に挨拶をしてくれた。僕は 促されるまま お菓子をつまみながら出てくるのを待っているのだった。

「お待たせしました。」とゆきこちゃんは出てくる。

「やすくん今日はどこへ行く?」

「ゆきこちゃんが 行きたいところに行こう。」

「じゃあね、今日は風が強いからお家で遊びましょう。」

それはゆきこちゃんの部屋でままごとかお人形さん遊びをするということだった。僕はゆきこちゃんの後について 部屋に入った。あとは ゆきこちゃんの指示に従って その通りにするだけだった。近所の男の子たちはよく野球をしていたけれど 僕は野球があんまり好きじゃなかった。僕があんまり野球を好きじゃなくなったのは、家であまり野球をテレビで見ないからだろうと思う。父はあまり野球が好きな人ではなかった。父は近所の子供達の父のように近くの陶器工場には行かなかった。父は背広を着て近くの電車区に仕事をしに行った。父はそこで電車のことを教えていた。時折 呼ばれて大垣辺りにも教えに行くことがあった。父は出世ということにはあまり興味がなかったらしくて延長になるための試験を 何度も 辞退していた。父は黒板の前で生徒たちに教えている方が自分には合っていると考えていたんだろう。

父はあまり笑わない人だった。

母親の方はよく笑って、いつも楽しくしていたが、父が笑っているのはあまり見たことはなかった。父は少々 神経質な人だった。若い頃には おじいさんに習って女性を誘って ダンスに行ったりしたようだが、結婚してからの父は真面目でかなり難しい人になった。会社からの信頼は厚く、かなり面倒なことも頼まれていたらしい。父は引き受けた仕事をまず失敗したことはなかった。そんなことが 父の信頼をどんどん 高めて 父は余計に難しく神経質になっていった。大変な おしゃれで女性にもよくモテたおじいちゃんのような男になりたかった父が賑やかな 大阪からこんな田舎に住むことにしたのは母との結婚を決めた時からだろう。母と父はほとんど 真逆な感じだった。いつもほがらかで大らかな母といつも細かいことにまで注意を払って慎重に動いていた父は ある意味合っていたのかもしれない。父と母の結婚生活はこれといった 破綻もなく続いた。母は父を愛していたし、父も母を大切にしていた、最後まで。父は色々 批判もしていたが 静岡の大学にまで行って 経済学と英語を勉強してきた祖父のことを誇りにもしていた。祖父は満州にまで出かけて行って仲間と会社を起こした。その頃人気のあった中国製の綿布を扱った商社を仲間と作った。時代の波にうまく乗った会社は成功して祖父の作った会社 もとても景気が良くなった。僕は祖父の何かの祝いの時に 馬車にお客さんを何人も乗せて大阪の中心にあった料亭に行ってもてなしていたのをよく覚えている。馬車は何代も用意されていて客人の他にもてなすための芸妓衆も同席していた。祖父は実業界だけでなく大阪の政界にも手を伸ばそうとしていた。それがどうして何もかもなかったように消えてしまったのかは、どういうわけか知らないが祖父は満州から帰ってきた後小さな会社を2〜3度起こしただけであとは静かにしていた。祖父は明治生まれの男としては 背も高く、なかなかの美男子だった。夏場初孫の顔を見に大阪から来てくれた時も、この辺りでは見たこともないような洒落た格好をしていた。夏だったので 白い麻の上下のスーツを着て、麦わらで編んだ山高帽 をかぶり ステッキを持っていた。僕は祖父以外に そんな格好した人をこの近辺では見たことがなかった。祖父がモボと呼ばれていたのがよくわかった。そんな格好したところを見なくても 祖父はいつも他の人たちとは違って見えた。明治生まれの祖父は静岡へ行って 英語と経済学を学んで 、満州で会社を作り成功した。そういう人はやはり普通の人とは違うんだろう。僕には祖父は雑誌の中にいる人のように見えた。だから父も祖父のことを嫌いながらも尊敬していたんだろう。僕にもなんとなく それがわかった。

結局満州にあった会社は部下の裏切りによって倒産してしまったが、あの時代に一度は成功して財をなし、 実業家として名を馳せた人物であった。祖父は保険会社を次男に譲ってから静かにしていた。なので僕の知っている祖父はよく笑う快活でおしゃれなおじいちゃんだった。祖父はいつも元気で楽しげであったが、時折 遠くに目をやってずいぶん長い時間 1人で座っていた。祖父は一体何を持ってそうしていたのか 僕には全くわからないが、僕は祖父から静岡での学生時代 や満州での企業のころの話を聞いたことはなかった。そうしたことの全ては祖父の三男の叔父から聞いた話だ。叔父から聞いた話では祖父は日本に帰ってきてからも何度か 小さな会社を作ったが 満州の時のようには全くうまくいかなかった。4〜5回 起こした会社は全て潰れて借金が増えただけだったそうだ。その頃作った 宣伝用のロゴが印刷された風船が大阪の実家にはたくさん残っている。僕は父に連れられて お盆の頃大阪の実家に行くとその風船を膨らませて遊んでいたことを覚えている。

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