開店まで、このままスタッフルームで待つことになった。

 それを告げにやって来たRioは、僕らの姿を見て、わぁお!と歓声を上げた。「さっすがハル君」と、嬉々として両サイドに僕らを侍らせ記念撮影をし、撮った写真をみんなで確認する。画面には、女装のバニーが三人並んで映っていた。不意に冷静になった僕らは、たまらず同時に吹き出した。

「音君、とっても素敵だよ」と妖艶に僕に微笑みかけたRioは、「こういうとこって、初めてでしょ?ある程度バニー姿をお披露目したら、今夜はあんまり遅くならないうちに、ハル君に連れて帰ってもらってね。みんないい人だけど……お酒が過ぎる前に」と、優しく忠告し、いま一度僕らを眺めて満足げに笑い、ホールに戻っていった。

 鏡に向かって微笑みかけてみた。何度見ても不思議だ。僕の座っているはずの位置で、可愛い女の子が笑っている。女の子になりたいなんて、今まで一度も思ったことはない。けれども自分の中に、自分も知らなかったこんなにも魅力的な自分がいる。何よりこのとんでもなく普通じゃない状態の僕を、そのままに受け入れ、褒めてくれる人たちがいる。胸が熱くなり、目の奥がじーんとした。まるで、下手くそなトランポリンでもしているみたいに、心は、情緒不安定なほどに弾み続けていた。

「坂崎君」

 呼びかけた僕に、自分の目の下に白いアイシャドーを念入りになじませていた彼は、無造作に言った。

「ハルでいいよ」

「じゃあ、ハル。この店は……コンカフェとか、そういう店なの?」

 ああ?とハルはこちらを振り返った。

「この店?普通のバーだぜ?……ああでも、入り口に、Gentlemen onlyって書いてあっただろ。だからまあ。そんな感じ」

女性が来ても入店を断ることはないが、扉を開けた瞬間の空気で察するのか、女性が客として店に来ることは実際はほぼないという。

「ハルは、その」

「バイだよ」と、何でもないことのようにハルは言った。「この店はゲイバーじゃないけど、ノンケのお客は少ないだろうな」

「Rioはいつもあんな恰好で働いてるの?」

「まさか!いつもは普通のバーテンダーの服だって。たまに店のイベントがあって、浴衣着たり、サンタ服着たりはしてるけどな」

「ふーん。それで」と、僕は言葉を切った。「どうして、僕がそうだってわかったの」

 鏡の前で、角度を変えてメイクの仕上がりを点検していたハルは、僕の顔をゆっくり見た。それから、んー。と天井を見て、言った。

「――川島……音也さ。絶対連れション行かないんだろ。中学ん時、聞いた。誘っても絶対行かない奴がいるって。ま、だから何だって話なんだけどな。あんなもんみんなして行く必要ないし。――でもな、ちょっとだけ噂になってた。ゲイなんじゃないかって。音也は、顔可愛くて女子に人気あったからさ。ガキがやっかみ半分で、面白がって言ってただけだけどな」

 自分の顔から血の気の引く音がした。全然知らなかった。確かに、連れションは心理的に抵抗があって、極力避けていたけれど。

「それでさっき、歩道橋でお前の顔を見た時、そのことを思い出したんだ。同じような顔をしている奴を、何度か見てきたなと思って」

 ああそうなのか。僕は黙って頷いた。自分だけではなかった。世の中は、こんなに多様性と謳っているのに。

 この店では、周りの視線を気にして自分を隠す必要はないんだと思ったら、憑き物が落ちたかのように、一気に気が楽になった。肩が軽い。肺いっぱいに空気を吸い込み、吐き出す。

Rioはきっと、僕と同じゲイだ。なのに、あんなにキラキラと輝いている。ゲイであれ何であれ、今ある自分の姿を受け入れ、胸を張って人生を楽しんでいる。

僕もああなれるのかな、と思った。いや。僕も、ああなりたいと思った。

「女装は興味あった?」とハルに軽い調子で尋ねられ、笑って首を振る。

「全然。――でも、ヤバい。今日ので、ハマっちゃったかも」

あっはっはと高らかに笑ったハルは、「そいつはよかった」と愉快げに頷いた。


「開店だよー!」とRioが元気にドアを開けてやって来た。二人に背中を押され、おずおずとホールに向かう。

ライトの下に立つと、既にかなりの客が入っていたホールに口笛が響き、やんやと歓声が上がった。

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