投下された爆弾発言に対する、それ以上の説明は得られなかった。「ま、来ればわかるって」とうそぶいた坂崎は、風を切って歩き続ける。甲州街道沿いの歩道に長く伸びる僕らの影を踏みながら、真っ直ぐに歩く。駅へと向かう人混みを避け、御苑の側道へ抜けて、左に曲がる。そうして連れていかれたのは、一丁目と二丁目の境目辺りの小路にある一軒のバーだった。アルファベット表記の店名が書かれた看板が目に入る。

「……gabby?」

「そ。ギャビー」

 言いながら、坂崎が片手で木製のドアを引くと、シャラランと涼しげにドアチャイムが鳴った。サックスの迫力ある音が聞こえる。ピアノ、ベースにドラムも加わったスリリングな演奏が流れていた。ジャズだ。しかも、結構古いやつ。

 店の奥で、頑丈そうな木製テーブルに手をつき磨いていたバニーガールが、顔を上げ、こちらに目を向けた。すごく整った顔立ちの子だ。ショートヘアの上に、うさ耳カチューシャを着けている。ノースリーブの白シャツに蝶ネクタイ、黒いベスト。こちらに突き出した際どい短さの黒のホットパンツは体に張り付いていて、上を向いたヒップラインに、ふわふわの小さな丸い尻尾が載っている。

「ハル君!遅かったじゃん。あれぇー、まだそんな恰好してる。早く準備して。お店始まっちゃうよ?」

 ……一瞬、脳がバグった。

目にしているのは、背が高くスレンダーで、ショートのよく似合う可愛いバニーだ。しかしその口から発せられたのは、低くはないが、紛れもなく男の声だった。

「リィオ!ぅわすっげ、やっぱ超似合うじゃん!」

 ピューゥと口笛を吹いた坂崎は、調子良く褒め称え、バニーはフフン、とポーズを決めてみせた。

「ほらな、思った通りだ。いやこれはもう大絶賛間違いないっしょ」

他人事ひとごとみたいに言ってないで、ハル君も早く着替えてよね。スタッフルームに置いてあるの使っていいからさ」

「え。俺ぇ?!」

 お道化て返したものの、バニーにじろりとめつけられ、坂崎は、すとんと肩を落とし、頭を垂れた。みるみるしおれていく。

「……無理」

「うん?」

「俺、無理。……無理無理無理無理絶対無理!!」

 呆れ顔で、バニーは坂崎を見た。

「子どもみたいなこと言わないの。SNSで告知済みだし、みんな楽しみにしてるんだから」

「みんなが楽しみにしてるのはRioリオのバニーだろ?俺まで着る必要ないってぇ」

 情けない顔と声で反論する坂崎に、バニーは眉を上げ、赤く塗った形の良い唇を、きゅっと前に突き出した。

「なに言ってるのさ。負けたら一緒にバニー着るって言い出したの、ハル君でしょ?ほーら観念して。とっとと着替えた着替えた!」

 店内に入ろうとしない坂崎を捕獲するためドアの方までずんずんとやって来たバニーは、そこで初めて、彼の陰に隠れていた、僕の存在に気付く。

「あれ、イケメン。お客さん?」

「あ、いえ、僕は」

 咄嗟に否定し、後ずさりながらも、僕は、彼から目が離せないでいた。

 男であれ女であれ、すごい美人だ。近くで見ても、バニー姿に全然違和感がない。ただ体つきは、近くで見ると完全に男だった。所謂いわゆる、スリ筋。細マッチョ。くびれた腰のラインから、ぴっちりと密着したホットパンツの股間部分のボリュームに視線を走らせ、すぐに目を逸らす。

 僕の肩に手を置き、「こいつは俺の中学の同級生で、川島……」と言いかけた坂崎は、宙に目をやり、こちらを振り向いた。

「なんだっけ、下の名前」

 内心ため息をつきながら、「音也おとや」と答える。「音也君、か。素敵な名前だね。音君おとくんって呼んでいい?」とバニーに誘うような眼差しを向けられ、頬がじんわりと熱くなる。

「そうそう、音也だ音也。なあRio聞いてくれよ。実は、俺の代わりに音也がバニーを着てくれることになって」

「はっ?!」

 目をむいた僕を一瞥し、バニーは坂崎に冷たい目を向ける。

「初耳って顔してるけど?」

「んなこたぁーないさ!んなこたぁないって。……まあ、若干?説明が足りてなかったかも?しんないけど」

 顎に手を当て眉をひそめるフリをした坂崎は、頭をかくと、「音也、ちょっと。一旦ちょっと」と手招き、入ってすぐのスツール席に僕を引っ張っていく。

「――どういうこと?僕、バニーなんて聞いてないし、着るなんて一言も言ってないけど」

 食って掛かろうとする僕を両手でまあまあとなだめ、坂崎は釈明を始めた。要約すると、それはこんな話だった。

 丁度一週間前のこと。行きつけのこの店を訪れた坂崎は、他の常連客たちとダーツに興じた。それなりに腕に覚えがあり、その日も勝ち続けた坂崎は、調子に乗ってこの店で最強と言われる店のマスターに勝負を挑んだ。が、接客で多忙のマスターは乗り気ではない。勝負を受けてくれなかった。そこで坂崎は、最終手段、『負けたら店でバニーガールのコスプレをする』という条件を持ち出し、挑戦はようやく受理される。

ダブルスで、坂崎のペアはこの店のバーテンダーであるRioリオ、マスターの相棒は、美容師をしている別の常連客。

――結果、負けた。しっかり負けた。「プロかよ……あんな連続でブル入れる人見たことねぇし」と坂崎が涙目でボヤくほど、大差をつけられて完璧に負けた。一週間後、二人一緒に店でバニーのコスプレをすると約束して、その日はお開きになった。

「……と、いう訳だ」

「いやいやいや。全然説明になってないから。それでどうして僕がバニーを着ることになるんだよ」

「どうしてってそりゃ……」

 指先でポリポリと頬をかいた坂崎は、僕の顔をちらりと見た。

「――似合いそうだったから、じゃね?」

「はあっ?!」

「なあRio。Rioもそう思うだろ?」

 雑に巻き込まれたRioは苦笑し、心まで覗かれそうな切れ長の目で僕を見た。彼に見つめられるとドキドキして、再び頬が火照る。

「そうだね」と、Rioはにこりと笑って頷いた。彼の赤い唇が紡いだ次の言葉は、まるで、占星術師の語るご宣託のように聞こえた。

「絶対似合うよ、音君おとくん。――絶対ね」

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