§ ササキアサミの末路 §

沈む 1

 真知子と恭太が籍を入れて、数ヶ月が経った頃のこと。


 式の準備やら何やらでバタバタしていると、「たまには息抜きしても良いんじゃないかしら?」と百合子からのお誘いがあった。姑の誘いを断るわけには――という強迫観念から、ではなく、真知子自身も百合子とはもう少し距離を縮めたい思いもあり、二つ返事でそれを受けた。


 場所は三千仲町さんぜんなかまちのカフェ。百合子に恥をかかすまいと、それなりの恰好で臨んだ『女子会』である。テラス席で新作のケーキに舌鼓を打ち、百合子が持参したタブレットで幼い頃の恭太の写真を見ていると、テーブルの上に置いてあった彼女のスマートフォンが振動した。それはどうやら着信のようで、相手は『Blancブラン』――百合子の店である。


「お店からですか? あの、私に構わず、どうぞ。緊急かもしれませんし」

「そうね。ごめんなさい。――もしもし? あたしだけど?」


 やはり経営者というのは忙しいものなのだ。それなのに、わざわざ時間を作って誘ってくれるなんてありがたい。

 

 そんなことを思いながら、真知子はカップに口をつけた。


 すると。


「ハァ?! 駄目駄目。履歴書無しは論外だっていつも言ってるでしょ? 追い返して。また来るようなら即警察、わかった?」


 さっきまで穏やか(多少興奮することはあったが)だった百合子の顔が、急に険しくなる。眉を寄せ、こめかみに血管まで浮き上がらせて。一体何が起こったのだろうか。そう思うが、まさか突っ込んで聞けるわけもない。


 というか、自分はこの場にいても良いのだろうか。気を利かせてトイレにでも行った方が良いのではなかろうか。


 いまからでも遅くはないかもしれないと、腰を浮かせかけた時、ちょうど電話は終わったようで、「じゃあ、切るわね」の言葉を最後にスマートフォンを鞄の中に放る。

 

 その瞬間に『対真知子用』のにこやかな顔に戻り、いつものことながらその切り替えの早さに目を丸くして驚いていると、真知子のその視線が電話の内容を知りたがっているように見えたらしく、「聞いてくれる、真知子ちゃん?」と百合子はため息混じりに話し出した。


「ここ最近、履歴書も持たずに『働かせてくれ!』ってアポなしの飛び込みで来る子が多いのよ」

「えぇ……」


 さすがにそれは常識がなさすぎるのではと絶句する。もしかしたらそれまでも飛び込みでどうにかして来たのかもしれない。その度胸だけは大したものだと思う。見習いたい……とまでは思えないけれども。と、真知子は思った。


「そりゃあね? まぁ正直、こういう仕事の中には、あんまり人様には言えないような人生を歩んできた子もいるわよ? その子達を受け入れて来た実績もあるにはあるの。だけど、ここ数年は、そういう切羽詰まった感じじゃないのよ」

「そういう感じじゃない、というのは?」

「うーん、なんていうのかしらね。どうせ酒飲んでにこにこしてりゃ良いんでしょ? みたいな。それならあたしにも出来そう、みたいな感じで来る子が多いのよね」


 甘いっつーのよ! と荒々しくカップを手に取る。


「それでもまぁ、良い感じの子なら採っても良かったんだけど」


 ということは、『良い感じ』ではなかったのだ。真知子はそう理解した。


「磨けば光るとか、そういうのでもなくてねぇ。どんな子でもある程度はね? 外見だけならどうにかなるものなの。だけど、内面はどうしようもないわけ。やっぱり内面からにじみ出ちゃうから。表情にね、出て来るの。笑った時にこう……歪みっていうの? 筋肉が強張る感じっていうか」

「成る程」

「やっぱりねぇ、接客業じゃない? それも販売とかじゃないから、お客様とのやり取りもどうしたって長くなるわけよ。最初はどうにかなっても、だんだんバレるのよね、そういう子って。こないだ飛び込みで来た子なんて酷かったんだから」


 と、聞いてもいないのにしゃべり出す。


「何かね、恭太の知り合いだとか言って」

「へぇ」

「旦那に浮気されて離婚して、それで親権まで取られたから養育費を払わないといけないんです、なーんて、バレバレのウソ泣きまでしてね?」

「えぇ……」

「浮気されての離婚だとしたら親権取られるわけないでしょうに、ねぇ? たぶん自分が浮気したのよ。親の借金もあって大変だから、給料は月に五十欲しいとか言ってて」

「月に五十……? それはまた……」


 大きく出たものだ、と、それを言える度胸にある意味感心する。


「で、知り合いって言う割には連絡先も知らないし、恭太に聞いたら、まったく知らない、迷惑だって話だから、とりあえず知り合いの店を紹介して帰したの。まぁ……、あの店なら頑張り次第で五十はイケるでしょ」

「へぇ」

「ふふっ、あたしってこれでも結構顔は広いんだから」

「は、はぁ……」


 いや、「これでも」なんて謙遜なさってるけど、絶対にめちゃくちゃ広いですよね? と思ったが、正直にそう言えるわけもなく、曖昧に相槌を打つ。


「もう、こんなつまらない話はナシナシ! それより恭太のとっておきのやつ、見せてあげるわね! もうね、おっかしいんだから!」

「あの、私が見ても本当に大丈夫ですか? 恭太さん、嫌がらないですかね」


 そりゃあ真知子だって本心を言えば見たいのだ。何せ、義母お墨付きの『とっておき』である。けれども、恭太が嫌がるなら、という気持ちもある。


「良いのよ良いのよ。あの子、あたしに関してはもう諦めてるから!」


 ほっほっほ、と笑い、タブレットの画面に素早く指を走らせ、「これよ!」と向けられる。


 そこにあるのは、可愛いドレスを着せられて、むすっとした顔をしている幼き日の恭太の姿があった。どこからどう見ても美少女である。


「か、かわ……」


 思わず漏れてしまう言葉に百合子は「そうでしょそうでしょ」と満足気である。


「あたしね、もちろん恭太のことは世界一可愛いし、大事な息子だと思ってはいるんだけど、それでもやっぱり女の子が欲しかったのよぉ! それで、どうしても諦めきれなくって! それでまたおっそろしく似合うもんだから!」

「な、成る程」


 でも確かに、ここまで可愛かったら、そんな気持ちが起きてしまうかもしれない。


「だからね? ほんと嬉しいの。真知子ちゃんがお嫁に来てくれて!」

「きょ、恐縮です」

「ね、このあと時間あるわよね? 今日は一日フリーって言ってたものね?」

「はい。今日は何の予定も入れてないです」

「お式はチャペルって言ってたわよね?」

「そう、ですね。そのつもりで」


 神前式も捨てがたかったが、真知子にも一応ウェディングドレスへの憧れがあったのだ。


「行きましょ!」

「……え、と。どこに、ですか?」

「ドレスよ! ドレス見に行きましょ! ね?」

「え」

「あたし、見立ててあげるから! 任せて、得意なの!」


 目をギラギラさせた百合子の圧に負けて、「お願いします」と答える。


 けれど、確かに一人で選ぶよりは心強い。


 真知子はそう思うことにした。

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