居酒屋にて
「いつものか?」
すっかり馴染みの店主が気さくに声をかけてくる。なんとなく定位置になっているカウンターで、
ここ、『なべ屋』は、中学時代の同級生がやっている店で、その同級生というのも、当時は特に仲が良かったわけでもなく高校も別だった。通い詰めて二年。この店との出会い自体はたまたまだ。
たまたま会社の帰り道にあって、たまたまふらりと入ったその店の雰囲気が、たまたま誠太に合っていた。店員の元気も良く、酒も料理も美味くて、一品一品の価格がそれなりだからか、イキった学生もいない。となれば、行きつけにしない方が無理だった。そうして通い詰めるうちに店主とも一言二言話すようになった。同年代だろうと思っていたら同い年で、実家が近くとわかり、それで、中学が同じと知ったのである。いまでは休日に遊ぶくらいの仲だ。
「あいよ、まずはこれ」
ほどなくして配膳された、中ジョッキとお通しの枝豆に「サンキュ」とやっぱり短く返す。ジョッキを呷り、今日一日の疲れも何もかも流してくれと、半ば祈りながら、ごくりと喉を鳴らす。ぷはぁ、と息を吐いて、ジョッキを置くと、そのタイミングで目の前に小さな鍋が置かれた。『鶏つくね鍋(味噌)』、これに締めの雑炊セットをつけるのが誠太の『いつもの』である。
「作る側としては楽で良いけど、毎回毎回同じもので飽きないのか?」
苦笑いでそんなことを言われるが、誠太の答えはいつも決まっている。
「飽きないよ。毎日食うわけじゃないし」
「まぁそうだけど」
でもお前、二日置きとかで来るじゃんか、という言葉はぐっと飲み込んだ店主の
誠太の鍋が締めに入り、二杯目のビールを飲み終え、三杯目をどうしようかと決めあぐねていた時、視界の隅を見覚えのある女性が通った。思わず「あっ」と声が出る。
その声で向こうも誠太に気付いたらしく、立ち止まって彼の方を見る。そこで彼女もまた「あぁ、お久しぶりです」と少し顔をほころばせた。誠太もまた「お久しぶりです」と腰を上げる。
誠太の記憶では、こんな風に柔らかく笑うことのない女性だったが、外ではこういう顔もするのかと純粋に驚く。それに――、
「何? マチコさん、知り合い?」
彼女の隣には、若い男がいたのである。
もしや彼が、と誠太は思った。
歩みを止めてこちらに笑みを向けてくれている女性――沢田真知子は、ほんの数ヶ月前まで彼が務める結婚相談所の会員だった。相手に対して、そう大きな希望もなく、「ご縁があれば誰でも」というスタンスだったが、紹介する男性にことごとく『縁』がなく、デートの最高記録は二回。彼女自身のスペックはそう悪くはなかったのに、どういうわけか毎回相手から断られてしまうという、少々コミュニケーション能力に乏しい女性である。
その彼女が、「こちらの相談所外で恐縮なのですが、お相手が出来まして」と酷く申し訳なさそうに退会を申し出て来たのが数ヶ月前のこと。背中を丸め、いまにも泣きそうな顔でそう告げて来た真知子に対し、誠太は、「沢田さんの幸せが一番です。おめでとうございます」と言葉をかけたものだ。場所がどこかなんて関係ない。そりゃあ自分が成婚まで導くことが出来ればそれに越したことはないが、そうじゃなかったとしても、自分の担当する会員が幸せになるのは、純粋に嬉しい。
「あの、相談所でずっとお世話になっていたコンサルの方で。後藤さんとおっしゃるんですけど」
「どうも、その節は」
「後藤さん、こちら、あの、私の、あの」
恐らくは、『夫』と紹介するのが恥ずかしいのだろう。頬を染め、指先までぴんと伸ばした手を隣に立つ彼に向けるが、ちっともその続きが出て来ない。もしかすればまだ『婚約者』の可能性もある。などと考えながら次の言葉を待つ。相談所に通っていた時から、控えめで、あまり話すのが得意な女性ではなかったのだ。
「マチコさんの夫の白南風と言います」
真知子がなかなか紹介しないのにしびれを切らしたのだろう、彼の方が一歩前に出、苦笑混じりで名乗る。
「それはそれは、ご結婚おめでとうございます。相談所で沢田さんを担当させていただいておりました、後藤です」
実はこういったことは少なくない。
相談所外で元会員と遭遇する、という機会は。
今回のような円満退会――通常は成婚退会なのだが、彼女のように相談所外で相手を見つけて退会する場合も多い――のケースはまだ良いが、強制的にとまではいかずとも、ある程度のトラブルによって自主的に辞めていった会員などは大変気まずい思いをする。ばったり遭遇して、突然殴りかかられたコンサルもいたらしい。幸いなことに、誠太はまだその経験がないが。
「沢田さん、本当におめでとうございます」
そう言って、深く頭を下げる。
と。
「ありがとうございます。それで、後藤さん、実はその、あの時の彼なんです」
真知子が、声を一段落として、そう打ち明けて来た。
何やら気になる言い回しである。
「あの時の、と申しますと?」
「あの、えっと、美人局、の」
「美人局……、って、あ! あぁ! えーっと、あの、確か、院に通ってらっしゃるっていう」
「そうです、後藤さんがあの、ものすごく勧めてくださった、あの」
「そうでしたそうでした。いやぁ、そうでしたか!」
「すみません、あの時は。あの、そんな気はない、って私言ったと思うんですけど。後藤さんの言うとおりになったというか」
「良いんですよ。いやぁ、でも良かった。いや、僕はですね、沢田さんなら絶対に素敵な人を見つけられるって思ってましたから!」
ぐっと拳を握り締める。
本当は真知子の手を取って固く握手を交わしたいのだが、先ほどから隣の婚約者様が射貫くような視線で誠太を見つめているために、それは出来ない。
違うんだよ、旦那さん。ええと、シラハエ? とか言ったっけ? ていうか、すっごいイケメンだな。イケメンの睨み、めっちゃ怖いんですけど。いや、僕はね、純粋に彼女の結婚を喜んでるだけだから。それだけだから。それに、その、「俺の彼女に他の男を紹介しやがって」みたいな目をやめてくれ。それが仕事なんだこっちは。
そんなことを考えつつ、愛想笑いを浮かべる。
すると、じっと誠太のことを見つめていた白南風がマチコに向かって「マチコさん、ちょっといい?」と断りを入れる。真知子の方では、何に対する「ちょっといい?」なのかをわかっていない様子ではあったが、「どうぞ?」と頭上に疑問符を浮かべつつ、そう答えた。
「後藤さん」
「え、あ、はい」
名を呼ばれ、どきりとする。
何だ。
いきなり何だ。
急に話しかけたのがまずかったのだろうか。
そんなことを考えて身を固くしていると。
「その節は、すみませんでした」
「え」
店の中だからだろう、控えめな声ではあったが、はっきりとそう言って、彼は腰をきっちり九十度に曲げた。
「え? えっと? あの……?」
「俺の行動のせいで、相談所の方にクレームが入ったと聞いて」
「え、あ――……」
「ご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした」
「いや、大丈夫ですよ。あれくらいのことはよくありますから」
「あの時はもう自分のことしか考えていなかったというか、その後も婚活を続けるマチコさんのこととか全く考えてなくて」
「まぁ、それは、確かに」
「マチコさんにも怒られまして」
その時のことを思い出しているのか、しょん、と肩を落とす白南風の姿を見て、そういや彼は真知子よりもいくつか年下だったと思い出す。顔合わせに割り込んで色々ぶち壊したとんでもない男のイメージが強かったけれども、案外、力関係については真知子の方が上なのかもしれない。
「本当は菓子折りでも持参して謝罪に行こうかと思ってたんですけど」
「いやいやいやいや! 本当に本当に大丈夫ですから。それよりも、沢田さんのこと、よろしくお願いします」
「それはもう。それに関しては、はい」
そこについてはしっかりと胸を張ってそう答える。気付けば彼の手はしっかりと真知子に繋がれていた。
「お幸せに」
その言葉で締めて、会計へと向かう二人を見送る。
結果として、真知子は自分が紹介した人とはうまくいかなかった。この手で成婚まで導くことは出来なかったけれども。
「ナベ、生中お代わりくれるか」
「おっ、今日は飲むねぇ」
「ちょっと良いことあったから。お祝いだ」
「そっか。ちょっと待ってな」
結婚を願う女性が、それを掴むことが出来たのだ。
きっと数パーセントくらいは、自分の後押しも効いたはずだ。そう考えれば、嬉しくないはずがない。
「あいよ」
カウンターに置かれたジョッキを呷って、誠太は――、
やっぱりこの仕事は辞めらんねぇ、と思った。
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