真正面から来るとは 2

「マチコさんはさ、これ、天然? それとも狙ってる?」

「何のことですか?」


 客間の布団の上で向かい合い、白南風さんが俯いて顔を覆い、盛大にため息をつく。


「いや、わかるよ? わかってる。そんな状況じゃないのはわかってるし、俺しかいないのもわかってる」


 だけどさ!


 と言って、勢いよく顔を上げる。その目がちょっと潤んでいて、何事!? とドキッとした。


「晒す!? 俺の前で肌晒すとかある?! こんなのもう誘ってるでしょ! チクショウ! お願いってこれかよ! ここがマチコさんの実家じゃなかったら! 肩を怪我してなかったらぁぁ!」


 湿布を手に取り、ふるふると震える。晒すといっても、ノースリーブ型のインナーはちゃんと着ているんだけど。


「だって、服の上からは貼れませんし……」

「そうだね! そうですね! ええいチクショウ! 持てよ、俺の理性! ――って、怪我してるマチコさんになんてこと考えてんだ俺はァ!」

「落ち着いてください、白南風さん」

「恭太ですけどぉ! ああもう、腫れてきてんじゃんマチコさん! あいつ、マジ許さん!」


 色んな感情を爆発させつつも、貼る瞬間は「ちょっとヒヤッとするからね」と予告してくれる。いきなり貼られると冷たさに驚くことがあるので、助かる。


 せっかく貼ってもらった湿布が剝がれないようにと、慎重に服を着直した。


「……あの、さっき母も言ってましたけど」

「うん?」

「身内がゴタゴタしちゃって、なんか本当にすみません。せっかくのお正月なのに」

「別に気にしてない。それより俺は、皆のメンタルの方が心配だわ」

「それは、確かに」


 これから沢田家は本当にどうなってしまうんだろう。

 私だけ呑気に幸せになってしまって良いんだろうか。

 せめて義孝が落ち着くまで延期した方が。


「マチコさん」

「何でしょう」

「肩痛む? ちょっと顔色悪い」

「痛みは、そこまで。我ながら単純ですけど、湿布を貼ったら楽になった気がします」

「なら良いけどさ。もしかしてだけど、自分だけ幸せになって良いんだろうかとか、ゴタゴタが落ち着くまで結婚は延期した方がとか考えてない?」


 ズバリ言い当てられてドキリとする。


「エスパーですか?」

「違いますね。いや、わかるって。マチコさん、案外わかりやすいから。――おいで」


 いまも十分至近距離ではあるけど、両手を広げて待たれれば、そこに飛び込まざるを得ない気がして、彼の足の隙間に収まる形で正座をし、胸の中に身体を預けた。


「ウッ、まさか真正面から来るとは」

「えっ? 違いました?」

「いや、違う。ごめん、あってる。あってるからこのまま動かないで」

「? わかりました」


 シャツ越しの体温と、彼の心音が心地よい。けど。

 

 ……白南風さんの心臓、かなり強めに鳴ってるな。いや、私もかなりバクバクですけども!


「マチコさん、俺らは俺らで幸せになろうよ。そりゃあ、こんな時に、って思うかもしれないけどさ。少なくとも、沢田家の人達はそんなこと考えないと思う。お義母さんがあそこまで怒った理由を思い出してみな? マチコさんが大切だからでしょ。大切な娘の幸せを願わないわけないじゃん」


 確かに母はあの時、私のために怒ってくれた。我が子を傷つけられて平気な母親なんていない、と。


「義孝さんなんてもうわかりやすいくらいマチコさんラブだしさ。あっ、もちろん、姉弟きょうだいのラブだけど!」

「わかってますよ」

「お義父さんにしたってそうだよ。俺の娘は見る目がある、なんて豪語してたし」

「……ちょっと恥ずかしいですね」

「だからさ、むしろこれで延期するとかの方が、悲しいんじゃないかな。自分達のせいで、って。マチコさんの気持ちの問題なら仕方ないけど、そうじゃなくて、ただ単に申し訳なさとかでだったら、それは違うと思う」


 緩く組んだ腕を背中に回し、右肩に軽く顎を乗せられる。


「そりゃマチコさんがどうしてもって言うなら、俺は待つけどさ。だけど、ほんとのところを言えば、いますぐにでも俺のものにしたいよ。紙切れ一枚だけど、マチコさんと家族っていう証明が欲しい」


 ほんとはさ、七月までってのももどかしいくらい。


 そんなことを囁かれて、ぶわっと身体が熱くなる。何でこの人はこういうことをさらっと言えてしまうんだ。


「白状しちゃうけど、あん時、何なら計算を誤魔化して今月を結婚記念日にしようかと思ったからね」

「えっ」

「いや、誤魔化すって言い方は語弊があるな。別に誤魔化してるわけじゃないか」

「どういうことですか?」

「いや、つまりさ、六月二十日俺の誕生日八月三十日マチコさんの誕生日の中間なら七月二十五日なんだけど、それを逆にするとさ、一月の……二十四とかになるわけ」

「ええと、つまり、私の誕生日から計算する、ってことですか?」

「そ。いやー、失敗したな。さすがに今月だとマチコさんの心の準備的にアレかな? ってちょっと日和っちまってさ」

「そうだったんですね」


 確かに今月いきなり入籍っていうのはちょっと急だったかもしれない。だって私達お付き合い始めたのだってクリスマスだし。でも、いまは交際0日婚なんていうのもあるし。そうか、結婚『式』なら急すぎるけど、籍だけなら気持ちの問題なのか。


「……あの、恭太さんは」

「えっ?!」

「えっ?! えっ、て、何ですか? 何に対する驚きですか?」

「いま一発で呼んだくね?! 俺のこと!」

「へ? そうでしたっけ?」

「嘘でしょ、無自覚!? でも逆にそれが良かったのかも? いや、ごめん、話の腰折っちゃて。続けて」

「は、はい。あの、ええと。その、白南風さんは」

「あっ。戻っちゃった! チクショウ、俺が余計なことを言ったばっかりに!」

「すみませんすみませんすみません! 何か逆にどっちだったっけ、って混乱しちゃって!」

「そんなことある?! 恭太だよ! 恭太!」

「そうです、恭太さんです!」

「正解! ハイ、続けて!」


 何だかもう妙なテンションの私達である。色んなことがありすぎて、たぶんお互いにパンクしてるのだ。だけど、これくらいの勢いがあった方が良いのかもしれない。特に私は。


「あの、恭太さんは、いまでも今月にしておけば良かったって思いますか?」

「へ」

「わた、私達の入籍、七月じゃなくて一月が良かったな、って思いますか?」

「それは、まぁ。出来るだけ早く『白南風真知子』にしたいよ、俺としては」


 でもマチコさんにそれを強要したいわけじゃないからマジで、と困ったように眉を下げる彼の唇に届くよう、めいっぱい背中を伸ばす。突然私の顔が目の前に現れたことに、さすがの彼も驚いたようで、ちょっと目を丸くしているのが可愛い。いつも私の方が驚かされている気がするから、してやったり、と思って、ちょっといい気分だ。だから、ついでとばかりに、軽く触れる程度に唇を重ねた。


 彼――恭太さんはもっと驚いた顔をした。


「私を白南風真知子にしてください。出来るだけ、早く」


 勇気を出してそう言うと、彼は「まさか真正面から来るとは」と呟いて、参った、と苦笑した後、少し長めのキスをしてきた。

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