だるまさんが転んだ 2
「なっ、んっ、でっ、義孝さんはさぁ~っ!」
本気で悔しそうな顔をして、ギリギリと義孝を睨みつけながら、白南風さんが地団太を踏む。
「何だよ。俺なんかした?」
「した! いまめっちゃ良いところだったのに!」
「だとしたらなおさらグッジョブだろ。ここ、公園だぞ? 何を始める気だよ。確かに家ではヤるなと言ったけど」
「するか! しねぇわ! そういうことじゃないんだよ!」
向かい合って、口論を交わす二人だが、さすがに蓮君の目の前である。そこまで本気のやつではない。それは私にもわかる。
「おいちゃん何で怒ってるの? パパとケンカ?」
けれどもやはり、子どもには、喧嘩をしているようにしか見えないのである。そりゃそうだよ。
「違うんだよ、蓮君。えっと、あっちでおばちゃんと遊ぼうか」
「おばちゃん、鬼ごっこ出来る?」
「うっ、お、鬼ごっこね。うん、出来るよ。でも、おばちゃん足遅いから、蓮君のこと捕まえられなかったらごめんね」
「あー、さっきもおばちゃんは全然だったもんね」
「うぅ、ごめんね」
私の運動神経、全部義孝の方に行っちゃったみたいで。
「じゃあさ、『だるまさんが転んだ』は?」
「うん、それならおばちゃんでも大丈夫そう」
「よーし、いこいこ」
ぐい、と手を引かれ、私達は、公園中央にある大きな木のところまで走った。『だるまさんが転んだ』だったら全然楽勝。だって、ずっと走り回るわけでもないし。
そう考えていたが、甘かった。
じゃんけんでついうっかり勝ってしまって、蓮君が鬼になったのだけれど――、
「だーるーまーさーんーがっ、こーろーんーだっ!」
そろりそろりと前進し、その言葉でぴたりと静止する。たまたま足を上げていたタイミングで止まることになったため、バランスを取るのが難しい。それでよたよたしたのが、蓮君のツボに入ってしまったのだ。
「ね。ねぇ蓮君。おばちゃん絶対に動いたと思うんだけど」
「え~、そんなことないよ。じゃ、もっかいね。だーるーまーさーんーがー」
「ひえええ」
わたわたと体勢を立て直し、また一歩踏み出したところで、
「ころんだっ!」
嘘でしょ。五歳ってもうそういうこと出来るの?! さっきまではゆっくりだったのに!?
またしてもタイミングが悪かった。
案山子のような片足立ちで、これはもうどう見たってアウトってくらいにぐらついている。
「れ、蓮君。おばちゃん絶対動いてると思うよ?」
「動いてないよ! 大丈夫!」
「そんなぁ!」
蓮君はくすくすと笑って、再び「だーるーまー」と声を上げた。これはもう絶対に楽しんでる。蓮君が楽しいのは良いことだけど、めちゃくちゃ辛い。
そこへ。
「蓮、パパもやって良いか?」
「蓮君、おいちゃんも」
天の助け!
さすがに三人もいれば蓮君の気も分散されるはずだ。
「いいよ。じゃ、パパとおいちゃんは最初からスタートね。もっと後ろ。下がって」
厳しい。
てっきり私と同じ位置からのスタートだと思ったのに。義孝と白南風さんは「はいはい」なんて言いながら、私のはるか後方へと行ってしまった。
「じゃあ行くね。だーるーまーさーんーがー」
これは私、動かなくても良いのでは。
むしろこの場で二人を待っていた方が良いのでは?
そうは思うものの、さすがにそれはズルなのでは、という気もする。
と。
「マチコさん、大丈夫?」
「姉さんさ、バランス感覚もだいぶヤバいな」
「えっ!? 二人ともどうやって? ワープした?!」
あの短時間でどうやって移動したのか、両サイドから、にょ、っと二人が顔を出す。
「いや、普通にさ、大股でこう、移動すれば」
と、白南風さんがさらに大股で一歩前に出る。
「そうそう。姉さんの一歩が小さいだけじゃない?」
義孝はというと、私の隣で呆れ顔だ。
「だって、すぐ終わったらつまらないと思って」
ひそひそとそんな会話をしていると、
「ころんだ!」
『が』、を長いこと溜めていた蓮君が、急に鋭い声を上げてこちらを振り向いた。その勢いに驚いて、思わず身体がのけ反る。利き足が宙に浮いて、後方に大きくバランスを崩した。 さすがにこれはアウトだろう。
ていうか。
このまま普通に倒れる予感しかしない。
自分の鈍臭さを呪っていると、地面に衝突するとばかり思っていた背中が、誰かの腕の中に落ちる。
「わ」
「姉さん、大丈夫?」
「あ、ありがと義孝」
「軽いな、相変わらず。ちゃんと食ってんの?」
「食べてるよ。ていうか、あの、自分で立てるから」
立てるから、と言ったものの、情けなくも、もうほぼほぼ義孝の腕に体重を預けてしまっている状態だ。もう少し起こしてもらわないと無理そう。それがバレているのだろう、「こっから自力で立てんの?」と笑っている。
「んだっ! ちょ、おい何してんだ義孝さん!」
大股一歩分前にいた白南風さんが、何事かと振り向く。義孝に支えられている私を見て、声を荒らげた。
「マチコさんは俺の!」
「ひえええええ!」
言うや、私をサッと横抱きにし、義孝から離す。
「たっ、高い! 想像よりも怖いです、白南風さん!」
「恭太」
「恭太さぁぁん! 下ろして! 下ろしてくださいぃぃ!」
「良いじゃん。もうちょっと」
はっはー、軽い軽い、と数歩、弾むように走ったところで、ジト目でこちらを睨んでいる蓮君と目が合う。
「あっ、しまった」
「おいちゃんもおばちゃんもパパもアウト! もう、ちゃんとやって!」
「す、すみません……」
「ごめんなさい」
「もう一回お願いします」
五歳児に怒られ、大人三人は平身低頭である。
全身くたくただが、ほほえましい時間だった。
その帰り道、私と蓮君は手を繋いで狭い歩道を歩いた。白南風さんと義孝は、私達の後ろを少し離れて歩いていたのだが、あの二人はちょっとしたことですぐに口論になるから、気が気ではない。チラチラと後ろを気にしていると、それを不満に思ったらしい蓮君から強く手を引っ張られる。
「おばちゃん、ちゃんと前見ないとダメ」
「そうだね、ごめんなさい」
「おばちゃん、今日もすごく楽しかった」
「ほんと? 良かった」
「おばちゃん、明日帰っちゃうの?」
「うん」
「また来てくれる? また遊んでくれる?」
「もちろんだよ」
しっかりと目を合わせてそう答えると、蓮君は、ちら、と後ろを見て、少しだけ声を落とした。
「おいちゃんも来る?」
「白南風さんは……どうだろう。忙しい人だから、もしかしたら来られないかもしれないけど。蓮君は、白南風さん――、おいちゃんのこと好き?」
私も声を潜めてそう尋ねる。すると、蓮君はもじもじしながら「うん」と答えてくれた。
「パパみたいにたくさん遊んでくれるから好き。おばちゃん、おいちゃんと結婚するって本当?」
「ほ、本当だよ」
「結婚するって、パパとママみたいになるってことでしょ?」
「そう、だね。家族になる、ってことだから」
同じ家に住んで、一緒にご飯を食べて、と、五歳児に伝えられる範囲で説明すると、蓮君はふるふると首を振った。
「おばちゃん、おいちゃんと結婚しないで」
「えっ?」
びっくりして思わず立ち止まる。
後ろから「どうした?」と義孝の声が聞こえて、「何でもない」と返し、再び歩き出した。
「蓮君、あの、どうしてそんな」
もしかしてまた、私と結婚したいとか、取られたくないとか、そういう話だろうか。それはまぁ、蓮君には申し訳ないけど、ちょっと可愛いというか、伯母冥利に尽きるというか。だけど、白南風さんが説明した通り、伯母と甥は結婚出来ないのだ。いまは理解出来なくても、もう少し大きくなったら――。
などと浮かれたことを考えていた自分が恥ずかしい。
蓮君はぽろぽろと泣き出してしまったのである。
「結婚したら、おばちゃんはぼくと遊んでくれなくなるでしょ」
小さな手でごしごしとあふれる涙を拭う。
「えぇっ? そんなことないよ? おばちゃんは結婚しても蓮君と遊ぶよ?」
「ずっと結婚しないで、おいちゃんと一緒にいて」
「え、っと、それは、ちょっと」
結婚しないで一緒に、っていうのは、いつまでも恋人の関係でいてってこと? それとも事実婚状態?
「それに」
異変に気付いた義孝と白南風さんが「どうした?」と距離を詰めてくる。
そのタイミングで。
「結婚したら、おばちゃんもママみたいになっちゃう。ぼくいやだ、そんなの。ママみたいにならないで」
蓮君ははっきりとそう言った。
ママみたいに、ってどういうこと?
そんなことを聞く勇気は、私にはなかった。
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