§ サワダヨシタカの決意① §

義兄(?)に相談

 体調不良(※単なる二日酔い)だという麻美に留守番を任せ、神社に向かう途中で二十四時間年中無休の大型スーパーの前を通りがかると、「開いてるお店あったよ!」と蓮が騒ぎ出した。お店の人、お休みしなくていいのかな? と首を傾げつつも、それでも小さなゲームコーナーを見つけるや「おばちゃん、行こ!」と真知子の手を引くものだから、行くしかない。彼は『おばちゃん』が大好きだし、もらったばかりのお年玉を使いたくて仕方ないのである。


 なのでまずは先にそこへ寄ろうか、ということになった。沢田家は蓮に弱いのである。


 それで――、


「悪いな」

「良いって」


 そのゲームコーナーの近くにある、騒がしいフードコートの端の方で、恭太は、義孝の奢りのコーヒーを啜っている。抜け目なく、スティックシュガーは二本もらった。本当は三本……いや、出来れば四本入れたいところであったが、義の前だ。多少は格好つけたい恭太である。いつもより苦いコーヒーに眉を寄せつつも「それで?」と促す。


 すると、


「お前はなんかもう色々察してる気がするんだけどさ」


 そんな切り出しで。


「まぁ、結論から言うと、ウチの嫁が浮気してた」

「だよなぁ」

「だよなぁ、と来たか。まぁ、姉さんにも昨日の配達ん時には言ったしな」

「何だよ。もう言ってたのか」

「まぁ、聞かれるまでは答えないつもりだったけど、聞かれたからな」


 果たして本当に聞かれるまで答えないつもりだったのか、それはわからないが、とにかく義孝はそう言った。


「それで? 俺らの結婚までは、みたいなのも言ったのか?」


 守重と文子の前では敬語を使っていた恭太だったが、二人きりとなれば話は別である。どうせ三歳しか違わないのだ。義孝の方では一応、義ではあるものの、年上だぞ、という気持ちがないわけではないが、これから長い付き合いになるのだろうし、と気にしないことにした。


「そこまで明確に期限は伝えてない。麻美にも、猶予を与えた、次はない、ってくらいしか言ってないしな。それに、姉さんだぞ。そんなこと言ったら――」

「だな。結婚自体を延期するとか言い出しかねない」

 

 何せ、自分達が結婚さえしなければ、弟夫婦はまだ『夫婦』でいられるのだ。真知子ならそう考えるだろう。


「こんなこと聞くのもアレだけど、再構築は? 全く考えてない感じ?」


 だってほら、と数メートル先のゲームコーナーに視線をやる。ここからでは見えないが、奥の方のメダルコーナーで真知子と蓮が遊んでいるはずである。守重と文子も「せっかくだから、孫が遊んでいるところを見てみたい」と言って、それに同行している。何せ普段はこういうところに連れて行ってやれないのだ。


「そこなんだよな、問題は。離婚を躊躇ってんのは正直蓮がいるからだ」

「おい、その言い方」


 恭太の目つきが鋭くなる。その目が言わんとしていることに気付いて「違う、逆」と顔の前で手を振った。


「蓮が邪魔で離婚出来ないとか、そういう意味じゃない。何の策もなしに離婚なんてしてみろ。父親が親権なんて簡単に取れねぇんだよ。離婚するなら、何が何でも蓮は俺が育てたい。だから困ってるってこと」

「あぁ、そゆこと」

「でも、情けない話、何をどうしたら良いかわからねぇんだよな。これまでは、それでも母親ってのは必要だろうし、俺が我慢すればって思ってたんだ。お前の前でこんなこと言ったら悪いけど、やっぱりあるだろ、『片親は可哀想』みたいな風潮って。でも義理の姉に子ども預けて浮気するような母親だと知っちまったらさ」


 そう言って頭を抱え、はぁ、と深く息を吐く。

 義孝のその姿を見て、恭太が「あのさ」と口を開いた。


「なんつぅか、まぁ、その、『片親育ち』の俺の意見なんだけど。つっても俺の場合は、スタート時から『父親』がいねぇタイプのやつなんだけどさ」

「あぁ、未婚で、って言ってたもんな」

「しかも、母親は『水商売』だ。お世辞にも良い家庭環境じゃない」

「お前がそう言ってやるなよ」


 自虐に満ちた発言に呆れ声でそう返せば、「ままま」と軽い調子で笑い飛ばされる。


「俺はそう思ってないけどさ。世間一般的に、って話。それで、さ」

「おう」

「俺は、それでも自分の境遇を恨んだことはないんだよな。それでグレたこともない。ただまぁ、ちょーっと容姿が良すぎるせいで次々と女が寄って来た過去があったくらいで」

「それを義理のに話すお前の神経どうなってんの?」

「年齢的には俺のが『弟』なんだけど。いや、隠し事したくないだけだって。だからまぁ、包み隠さず言うけど、マチコさんと出会う前は酷かった、です。はい。申し訳ありません」

「俺に謝られてもな。それは姉さんは――」

「知ってる」

「納得した上での婚約ってことで良いんだな?」

「もちろん」


 そこは胸を張って答える。何せ彼女の目の前で修羅場事件を起こしているのだから。


「それでまぁ、俺のことを片親だの水商売の息子だのって言うやつらはいたわけ」

「だろうな」

「実際、母親は昼間は寝てるし、夜はいないしな」

「まぁ――……こう言っちゃナンだけど、グレようと思えば環境のせいに出来ちまうやつだよな」

「そ。そんで例えばさ、たまたま昼飯が購買のパンとかだったりするとさ、下らねぇ陰口叩くやつらっていんのよ。やっぱ片親だから、弁当も作ってもらえねぇんだ、みたいな。別に片親家庭じゃなくたって購買で飯買ってるやつはいんのにな。そういうやつには言わねぇの。片親のやつだけに言う。俺の場合は、そういうところくらいしか叩ける弱味みたいなのがなかったからだろうけど」

「確かにそういうやつらはいたかもな、俺らの時にも」

「いたろ? でもさ、ウチに父親がいねぇのは、どうにもならないじゃんか。すぐに再婚相手が見つかるわけでもなし。そもそも母親にその気もないし。でもそういうやつらは、どうにもならないって、言うわけよ」

「どうにもならないってわかってるから?」

「そ。だって、すぐに何とかなるやつなら、パッと改善されて終わりじゃん。ネチネチ言えないからつまんねぇじゃん。でもこっちなら長く遊べる」

「は。何だよそれ、くっだらな」

「そ、下らねぇの。下らねぇけど、そういうことを言ってくる下らねぇやつは絶対にいる。これはもうどうしようもない。だから、例えば義孝さんが離婚したとしたら、親権がどっちになろうが、蓮君に対してそういう下らねぇことを言うやつは絶対に出て来ると思う」

「……だよな」


 経験者の言葉に、義孝の表情がまた一段と暗くなる。可愛い我が子にそんな思いをさせるくらいなら、と考えているのだろう。


「だけど俺は、俺自身はさ、別に片親ってことで不自由感じたことなかったし」

「ん?」

「そこしか叩けないってことは、それ以外は完璧ってことだし」

「ううん?」

「むしろ、そこにしか目がいかないとか視野が狭すぎて大丈夫なんかな、って逆に同情したりして」

「ちょいちょいちょいちょい。お前何言ってんの?」

「え? 俺なんか変なこと言った?」

「言ってるだろ。なんかもう、途中から謎の自画自賛始まったんだが?」

「あれ? そうだった? いや、つまり俺が言いたいのはさ。大事なのはその後の環境なんじゃねぇのかなってこと」


 環境、と義孝がぽつりと繰り返すのを見て、「そ」と自信ありげに頷く。


「そりゃあ両親はいた方が良いのかもしれないけど、それはさ、夫婦が仲良くやってる前提のやつだと思うんだよな。親が四六時中ギスギスしてるとか、浮気するかもって疑心暗鬼とかさ、子どもにしたら地獄だぞ? そんで、仮に別れたとして、だけど。義孝さん的にはどうなん? 親権は向こうに行った方が蓮君は幸せになれそうなん? 養育費なんかは当然払うことになるわけだけど、それだけで蓮君が不自由な思いをしないで暮らせると思うか? 自分は周囲に愛されてるって胸を張れるようなやつになれると思うか?」


 環境ってのはそういうこと、と恭太が言うと、義孝はふるふると首を振った。


「麻美は蓮が出来てすぐに仕事を辞めて、それ以来全く働いてないし、家事も、まぁ、そんなに得意な方じゃない。料理だってほぼ食べたことがないしなぁ。実家に戻っても……まぁ実は俺が援助してるような状況だから、生活は大変だろうな」

「援助とかしてたのかよ」

「なんていうかまぁ、ほら、年金支給までは、ってことで。ウチは両親どっちも現役だし、麻美の家、父親がいなくてさ」

「だったらどう考えても義孝さんが親権取った方が良いだろ。下らねぇこと言うようなやつを『下らねぇ』って思える人間に育てりゃ問題ない。そのためには、月並な言葉だけど、愛情をたくさんかけてやれる環境が必要なわけ。もちろん片親だから、一人で二人分頑張らないといけないし、心も身体もタフじゃないとだけど。義孝さんは、それがやれる男なんじゃねぇの?」


 そこで、冷めた苦いコーヒーを一気に飲み干す。


「なぁ、俺的にはこれそんなに迷うことでもねぇ気がするんだけど。もっかい確認するな? 蓮君はどっちといた方が幸せになれると思う?」


 父親以外の男と会うために自分を伯母に預ける母親か。

 それとも、仕事が終わった後も遊んでくれる父親か。


 そう尋ねると、義孝は、絞り出すような声で「俺に決まってるだろ」と言った。

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