白南風恭太の疑問 2

 元日の朝である。


 新年の挨拶をし、義理の甥である蓮にお年玉を渡す。真知子は千円札を数枚渡すつもりだったようだが、恭太の提案で、小さなエナメルポーチに百円玉を十枚入れることにした。百均で買ったそのポーチは両サイドに紐が取り付けられており、首から下げることが出来る。


「これならマチコさんと一緒にお買い物とか行けるぞ」


 そう言ってやると、蓮はポーチを両手で持って、嬉しそうにそれを振った。中に入っている十枚の百円玉がチャリチャリと小気味良い音を立てる。


 その場に腰を落とし、「おいちゃんとも一緒にゲームコーナー行こうな」と耳打ちしてやると、「パパとジージとバーバにはナイショね」と何やらとっておきの秘密でも打ち明けるかのように返してくる。それ自体は大変微笑ましい行動といえるのだが。


 成る程、どうやら伯母とのお出掛けは口止めされていたらしい。


 図らずもそれを知るに至ってしまい、なんとも言えない気持ちになる。たぶん蓮は賢い子なのだろう。母親との約束をしっかり守れるのだ。だからこそ、祖父母はもちろん、父の義孝も気づかなかった。


「そうだな」


 そう返したものの、内緒になんて出来るわけがない。例え伯母の真知子であっても親に内緒で連れ出したとなれば誘拐だ。けれど、これまでは母親からの依頼だったのである。少なくとも麻美は知っている。まさか父親も知らないとは思わなかったが。


 まだ柔らかい髪を撫でてやると、恭太に対し、すっかり気を許した様子の蓮は、早速出掛けようと彼の手を取った。


「まぁまぁ落ち着け蓮君。正月だから、お店は開いてないかもしれない」

「そうなの?」

「そ。一年で一番おめでたい日だからさ、普段お店で働いてる人にもお休みをあげないと。今日は、そういう日」


 そう説明してやる。厳密には、コンビニなんかは正月も関係なく営業しているし、開いている店もあるのだが。それでも蓮は納得したようである。


「だからパパもジージもバーバもお休み?」

「そ」

「おばちゃんも?」

「そ」

「おいちゃんも?」

「そ」


 そっかー、と嬉しそうに笑う。やはり麻美の名前は出てこない。それは家族の中で唯一働いていないからかもしれないが。


 その麻美は、というと。


 まだ部屋から出て来ない。

 聞けば毎年のことのようで、幼稚園もないし、店も休みだからと、九時過ぎまでは降りてこないらしい。現在は七時。今年は恭太がいるわけだし、さすがにそれはと義孝が起こしに向かったところだ。


「蓮君、ご飯食べたら皆で初詣行こうか」


 食堂の方から雑煮を運んで来た割烹着姿の真知子が、盆を座卓の上に置き、蓮の前にしゃがみ込む。行く! と蓮が即答し、祖父母に報告せねばと駆けていく。走るほど広い家でもないのにと真知子が苦笑していると、ついつい、と割烹着の裾を軽く引かれた。


「マチコさん、あざとすぎる……」

「え? な、何がですか?」

「割烹着、似合いすぎじゃない?」

「それは、学食で見慣れているからでは」


 学食での制服は、割烹着タイプのエプロンだ。それに、衛生帽子、不織布マスク、耐油長靴、頭の天辺からつま先まで真っ白である。


「あれとは違うんだよ。あーもー、完全に新妻じゃん、俺の。たまんねぇ」

「ま、ままままだ妻では……!」

「わかってるけど。割烹着……良いな。買っとこ。マジであざとい。アリだわ」

「あ、あの、違うんです。楽だし、便利なんです、これ。袖がゆるい服でもこれなら落ちて来ませんし! あと、この季節はちょっと温かいというか!」


 決してあざとさを狙ったとか、そういうわけでは、と真っ赤な顔で生真面目に返答する真知子に、恭太は目を細めた。そうそう、これこれ、と彼の頬が思わず緩む。


「おいおい、新年早々イチャついてんじゃねぇぞ」


 頭上から不機嫌そうな声が降ってくる。声の主を確認するまでもない。義孝である。


「義孝、麻美さんは?」

「まだ寝てる。頭が痛いって」

「大丈夫? 義孝、そばにいてあげた方が良いんじゃない? それに薬とか」

「いや、そこまでのやつじゃ……。でもまぁ、薬は一応持ってくかな」


 心配する真知子に対し、義孝の方はというと、なんとも微妙な反応である。恐らくは、単なる二日酔いなのだろう。恭太はそう推測した。きっと真知子は二日酔いなど経験したことがないのだろう。あまり酒に強くないようだし、彼が知る限りでは付き合いで最初の一杯を飲む程度だ。「新年早々可哀想に」などと眉を下げて薬箱の中から鎮痛剤を取り出す彼女の姿に、不謹慎にも、自分が体調を崩したらああやって心配してくれるのだろうかなどと考えてしまう。


「お水汲んでくる」


 自分の婚約者がそのような邪なことを考えているともつゆ知らず、真知子はそう言ってキッチンへ向かう。

 居間には義孝と恭太のみである。

 蓮は祖父母のいる食堂の方へ行ってしまった。店は休みだが、雑煮やら何やらを作るなら広い厨房の方が良いのだ。


 やがて、グラスを持った真知子が戻って来て、「このまま私が持っていくね」と義孝に声をかける。いや俺が、と彼は渋ったが、「良いから」と薬を持って行ってしまった。


 パタン、とドアが閉まったのを見届けてから、恭太は、背後にいる義孝に声をかけた。


「義孝さん」

「何」

「ちょっと込み入ったこと聞くけど」

「おお」

「その、どうなん」

「何がだよ」

「奥さんと」

「あぁ」


 お前やっぱ察し良いなぁ、と言いながら、隣に座り、頭を掻く。


「心配すんな。とりあえずお前らの結婚には影響ないようにするから」

「やっぱり」

「何だよ、やっぱりって」

「昨日なんかおかしかったからな。そういうことなんじゃないかなって思ってた」

「おかしかった、か。姉さんも何か言ってたか?」

「いや? マチコさんはたぶん気付いてないと思う。でも、どうだろな。こないだのクリスマスの一件から、義孝さんがなんか元気ないってのは思ってるみたいだし」

「だよなぁ」


 はぁ、と深く息を吐く。


「恭太お前さ」

「何」

「今日ちょっと時間取れね?」

「良いけど」


 でもあんま長い時間はな、と渋る。ここは確かに真知子の『実家ホーム』ではあるのだが、もう弟夫婦の家でもあるのだ。出来る限り麻美とは接触させたくない。いまだってどんな嫌味をぶつけられているかわかったもんじゃないのだ。


 俺がそばにいる時は。

 

 恭太はそんなことを考える。


 俺がそばにいる時は、うんと目を光らせておかないとな、と。


 短期間ではあるが、真知子にはたくさんの言葉をかけて来たつもりだ。いつも自信のない彼女が、ほんの少しでも胸を張れるように、前に進めるように、丸まった状態で凝り固まった背中がしゃんと気持ちよく伸びるようにと。


 『自分の愛する人に愛されている』というのは、シンプルだが、強力なカードだ。たったその一つが、どんな困難をも打ち砕き、どんな攻撃をも跳ね返す鉄の壁にもなりうる。しかもそれが、誰もが振り返るほどの男性から向けられるのだから、女性として、それはそれは大きな自信に――なると思ったが、真知子にとっては逆効果だったらしい。恭太との差を敏感に感じ取っては、なぜ自分のようなおばさんが、と伸びかけた背中を再び丸めてしまう。


 そんな、伸びたり、丸まったりを繰り返しつつ、それでも少しずつ前進したと思っていたところへ、あの義妹である。こつこつ積み上げて来たものをあっさりと崩してしまった。もしかしたらこの後だって、げんなりと肩を落とした状態で戻って来るかもしれない。その場合は彼が全力で慰めるとして、だ。


 さすがに今回、恭太が寝起きの麻美の部屋を尋ねるわけにはいかないため、ついていくことは出来なかったが、真知子と麻美をなるべく二人きりにしてはならない。恭太は密かにそう考えている。

 

 だから、義孝に長時間拘束されるのは困る。


 もちろんそこまで詳細には語らなかったが。

 それでも義孝は何かしらを汲んでくれたらしい。


「わかってるって」

 

 疲れたような顔でそう返した。

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