白南風恭太の疑問 1
***
隣から可愛らしい寝息が聞こえてきたところで、白南風恭太は、さて、と枕元に置いてあるスマホをちらりと見た。
あのタイミングで義孝さんが来たのは何だったんだ。
そんなことを考える。
初対面のクリスマスでも十分にわかってはいたが、この度、じっくりと話をしてみて改めて確証を得たのは、彼、沢田義孝が、姉である真知子のことをそれはそれは大切に思っているということだ。少々俗っぽい表現になるが、有り体に言えば『シスコン』である。
確かにあのクリスマスはお世辞にも良い出会いとは言えない。何せ恭太は『他の男』と勘違いして敵意をむき出しに突っかかってしまったのだから。それでも「それほどウチの姉のことが好きなのだろう」と好意的にとらえてくれたのは驚きだったが。
だから、心配になったのだろう。それは恭太にもわかる。
男性経験の乏しい真知子だからこそ、自分のような人間に良いように丸め込まれてしまうのではないかと、それが心配で釘を刺しに来たのだろうと、最初はそう思った。
が。
なぜ入籍日や式について尋ねてきた?
それが恭太は引っかかる。
いや、それ自体は特におかしなことではない。姉が婚約者を連れて来たのだ。籍はいつ入れるのか、式はどうするかなど、気になって当たり前なのだ。だが、なぜわざわざ部屋を訪ねてまで聞いて来たのだろう。何よりも引っかかるのは、明らかに空元気とわかる態度だ。聞こえるかどうかというギリギリの声量で吐き出された「ごめん」の言葉も気になる。
ここ数日間で得た情報から、一つ仮説を立てるならば、だ。
もしや彼は、妻と離婚するつもりなのではなかろうか。
恭太はそう考えた。
義孝の妻である麻美が月に数回、真知子に息子を預けているという話を聞いた。それに実際、麻美と接触してみて感じたのは、彼女が根っからの『男好き』であるということだ。ただ純粋に義姉の婚約者と仲良くしたいならば、
もし仮に、この二人がたとえ表面上でも実の姉妹のように仲が良かったら。まかり間違っても、息子の都合の良い預け先、という関係ではなく、真知子自身も麻美を実の妹のように可愛がっていたなら。それで、真知子の前で堂々と連絡先を聞いて来たなら応じたかもしれない。それこそ『親戚づきあい』というやつである。それくらいのサービスはしただろう。
けれど麻美は、厨房内で聞いて来た。あの場には舅である守重もいたが、彼は義孝が不在の中で忙しなく動き回っていたし、恐らく、こちらの会話に耳を傾けられるような状態ではなかったはずだ。そこを狙って聞いて来たのである。
もしあの時応じていたら、いまこの瞬間にも、通知は鳴りっぱなしだったのではなかろうかと考えてゾッとする。けれど同時に、もしかしたら、それはそれで惜しいことをしたかもしれないという気にもなるのだ。
もちろん、麻美とどうこうなりたいというわけではない。そんな気は一ミリもない。
けれど、もしも。
義孝が離婚を考えているとして、だ。
彼のことだから、息子の親権は何としても取りたいに決まっている。だが、やはり母親の方が取りやすいのは事実ではある。まだ恭太は『沢田義孝』という人間を深く知りはしないが、家族思いであることはもう痛いほど理解した。だからきっと、踏ん切りがつかないのだとしたら、その理由は二つ。
息子と、それから、姉の結婚だ。
父親が息子の親権を取るにあたって重要なのは、離婚後の生活環境や経済状況はもちろんのこと、父親の方に子育ての実績があるかどうか。そして、母親の方に何か問題があるか否かである。それからもちろん、蓮自身の意思もある。どんなに環境が整っていようが、本人が母親を選べばやはり分が悪い。
環境については問題がないだろうと思われる。ここは地元民に愛され、たくさんの常連客を持つ大衆食堂だし、ある程度の自由は利く。祖父母も健在。母親に問題があるか否かについては、正直浮気をしていた時点で問題しかないが、逆に言えば、そこにしか問題がないのならば決め手としては弱いかもしれない。決めつけるにはとにかく情報が少なすぎる。
ただ、電車のおもちゃで遊んでいた時、帰宅した両親に対して、蓮が手を引いて居間に誘導したのは父である義孝のみだった。ママも、という言葉は一切出なかった。そこから普段のかかわりの薄さを読み取るのは容易いが、たまたまということもある。例えば、普段から電車のおもちゃで遊ぶのはパパだけ、という暗黙のルールがあるのかもしれない。
だからもし、自分と接触することで――それはもちろん、メッセージアプリでのやり取り程度にとどめるつもりではあるが――彼女のマイナスポイントを上乗せすることが出来れば、と考えたのである。
あの義妹は、真知子にとってはマイナスにしかならない。せっかく俺が育てたマチコさんの自尊心をまた砕きやがって、あの女、と恭太はそう思っている。
では、家族にとってはどうか?
義姉にとっては害悪でも、せめて家族の前では良き妻、良き母親なのであれば仕方がない。それは彼が踏み込んで壊して良いものではない。けれど、少なくとも良き妻ではない。何せ他の男と会っているのだから。では、良き母親なのか? ここがまだわからないのである。けれどもし、あの可愛い義理の甥っ子を悲しませるような母親であるならば、それはもう必要ないのではないだろうか。
それから、もう一つ。
姉思いの義孝のことだから、きっと離婚するにしても、真知子と恭太の結婚を(式も挙げるのならば、それも含めて)見届けてからと思っているはずだ。きっと、それで確認したのだと恭太は思った。真知子の年齢を考えれば、入籍自体は二年も三年も先になることはないだろうが、式については金銭的な理由で先延ばしになる可能性もある。
そう考えた時に、その期間をどうするか。
再構築の期間とするか、はたまた、確実に親権を取るための準備期間とするか。
その判断を下すために、確認しに来たのだ。恐らくは。
とりあえず、義孝さんに確認する必要があるな。
そんなことを考えながら、ちらりと隣で眠る真知子に視線をやる。
そもそもの性格が後ろ向きなのは仕方がない。この性格で三十二年やってきたのだ。いまさら急に変えられるものではないし、それも含めての彼女である。すべてを否定したいわけでもない。
ただ、必要以上に卑屈なのはいただけない。
彼女は人に愛されて然るべき女性だ。思いやりもあるし、謙虚さもある。それが恭太にとってはひたすらに好ましく思える。それに、そんな真知子だからこそ、勇気を出しておずおずとこちらに手を伸ばして来る時の、あの表情がたまらないのである。今日なんて、初めてヤキモチを焼いてくれた。
そういう意味では――、
あのクソむかつく義妹に、一ミクロンくらいなら感謝してやっても良い。
真知子の唇の感触を思い出しながら、繋いだ手に軽く力を込めた恭太であった。
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