マチコのヤキモチ 2
「や、ヤキモチ?! 私が?!」
「えっ、違うの? 俺、絶対にそうだと思うんだけど」
そうかそうか、マチコさん、ヤキモチ焼いてたんだぁ、と私の肩に顎を乗せ、さすさすと背中を撫でながら、白南風さんは上機嫌だ。
これがヤキモチなのかどうかなんてわからない。何せこれまで、ヤキモチを焼くような対象そのものがいなかったのだ。
「認めちゃいな、楽になるから」
「そ、そういうものなんですか」
「そういうものだよ、何でもさ。認めたくないからって無理に押し込めたり、蓋をして隠したり、下手に抗うと苦しいんだよ、こういうのは。だったら認めちゃった方が楽。マチコさんは俺のことが好きすぎて、ヤキモチを焼いてんの。そんで、それを相手――つまり今回は俺ね、俺に向けて発散出来ないから、『私なんか』って、意識が自分に向くわけ」
「そ、そうなんですね」
そう言われればそうなのかもしれない。
「だからさ、そういう時は言って」
「そういう時っていうのは?」
「なんか俺が他の女と仲良くしててもやっとした時とか」
「成る程」
でも、白南風さんと仲良くする女性っていったら、学食の人達くらいな気がするけど。ああでも女子学生とかもいるか。でも、そんなところ見たことがないし。
「でも、心配しなくても、俺はマチコさんしか見てないけどね」
「さ、左様で……」
そこでふと思い出す。
そういえば今日、義孝と配達に出ていた時、洗い場で作業をする白南風さんの隣には麻美さんがいたのだ。どんな話をしていたのだろう。年齢も近いし、きっと会話も盛り上がったはずだ。
「あ、あの、じゃあ聞いても良いですか?」
「そんなかしこまらなくても良いのに。どした」
「今日、私が義孝と配達に行ってる時、ですけど」
「あーはいはい」
「麻美さんと、何かお話しました? あの、別に内容を事細かに聞きたいとかでは、ないんですけど。なんていうか、その、やっぱり年が近いと会話とか、盛り上がるのかな、って思ったりして、といいますか、その」
いや、私なんかめっちゃ面倒くさい女じゃない?! どんな話したか気になるとか! やっぱり良いです、と言おうとしたところで、「いやー、それがさぁ」と白南風さんは疲れたような声を出した。
「義孝さんの奥さんだし、蓮君の母親だし、いちお親戚的なポジションになるからってことで、俺も愛想よくしないとなって思ったんだけどさ」
そう言って、ふぅー、と細く息を吐く。
「なんかさ、俺が何の研究してるのかって聞いて来たんだよな」
「へぇ。興味あるんですかね」
「いや、たぶん研究内容には興味なんかねぇと思う」
「興味がないのに聞くことなんてあります?」
「あるよ。要は、俺の気を引きたいわけ。俺に寄ってくんの、そういう女ばっかりだったからわかる」
「あぁ――……。それで、話したんですか? ていうか私、そういう話とか全然しなくて、その、なんか申し訳ないです。興味がないわけではないんですけど、理解出来そうにもなくて」
「いや、良いんだよ別に。俺もたぶん語り出したら止まんないし、マチコさんに負担かけたくないし、引かれたくないし」
えっ、引くほど語るおつもりで?
「んで、だから、言ったわけ」
「何て言ったんですか?」
そう尋ねると、
「『俺が話すことちゃんと理解出来て、それで対等に議論出来るんなら話しても良いすけど、大丈夫そ?』って」
そんな言葉が返って来た。
「た、対等に議論は……無理なのでは」
何せ彼は現役の大学院生、というか、博士(予定)だ。
「まぁ、だろうなって思ってはいたんだけど。正直会話すんのやっぱだるくて。仕事中だし。でも、もし仮にマジで議論出来るなら、新しい発見とかあったりして面白いかもな、ってちょっと思ったりはした」
「な、成る程。それで、麻美さんは」
「なんか黙った」
「あぁ……」
そりゃ黙るでしょ。
「でもさ、少ししたらまた復活するわけ。今度は別の切り口で来てさ」
「別の切り口?」
「学生時代は何かやってたのか、とか。ほら、洗い場だし、腕まくるじゃん? そんで、俺の腕見て、筋肉がどうこう言っててさ」
俺別に褒められるほど筋肉なんてないんだけどさ、などと言って笑う。もちろん白南風さんの裸はまだ見たことがないけれど、腕くらいなら私だって見たことはある。たしかに、ムキムキではないのだろうが、それでも、資料がめいっぱい詰め込まれた段ボールを軽々と持ち上げていたし、決して『ない』わけではないと思う。
「そういえば、私もそういうの聞いたことありませんでしたね。学生時代は何に打ち込んでいたんですか?」
「なんかマチコさんが聞くと面接みたいだね。おもろ」
「お、面白くはないです」
「いやー、それがさ、言われてみれば特に何も打ち込んではいなかったんだよな。部活に入れば面倒なことになるのはわかりきってたし。委員会活動とかもさ、一回だけ図書委員になったことあるんだけど、用もないのに女子生徒が図書館に押し寄せるようになって迷惑かけたから、それっきりやめた」
「わ、わぁ……」
相変わらずのモテっぷりだ。
ここまで来るともう漫画の世界だよ。
「だから、学校終わるとソッコーで家に帰って、本読んでた。家の近くに図書館あってさ」
「成る程。し、恭太さんが博識なのは本をたくさん読まれたからなんですね」
「どうだろね。でも本は昔から好き。うるさくないし」
そういえば出会ってすぐの頃も、白南風さんはカフェで本を読むのが息抜きだ、なんて言ってたっけ。
「で、本ばっかり読んでた、って話をしたらそこから質問攻めよ。どんな本を読むのかって」
「まぁ、そういう話になりますよね」
私だってそれくらいの質問をするはずだ。さすがにここまでのわかりやすいパスが来たら、返せる。
「実際、どういった本を読むんですか? 以前は映画の原作になった恋愛もののミステリでしたよね?」
「とりあえず、その時話題になってるやつは押さえるかな。賞に選ばれたやつとか、映画化されるやつとか。作家読みもするけど、それだけだと偏るから、話題になってるやつはとりあえず手を出してみる感じ」
「そうなんですね」
「マチコさんも本は読む方?」
「そこまでたくさんではないですけど」
「ジャンルは?」
「ジャンルは……まぁ、その、恋愛でしたり、ノンフィクションのものでしたり……。あぁ、九十歳くらいの和裁士のおばあちゃんが書かれたエッセイはすごく面白かったですね」
「何それ、和裁士ばあちゃんのエッセイはノーマークだったわ。俺も読みたい」
「あ、では今度お貸ししますね」
そう返すと、お願い、と言われ、ぎゅっと腕に力を込められた。肩の上で、はぁぁぁ、と深く息を吐く。脈絡のない行動に、頭が混乱する。えっ、いまそういう感じのやりとりでしたっけ?
「こういうのがさ」
「は?」
「こういうのが良いわけ、俺は」
「はい?」
「穏やかな会話っていうの? マチコさんとは、こう、穏やかに話せるわけよ」
「ま、まぁ……、私はそんな荒々しくしゃべるタイプではありません、し?」
「荒々しくって。そんな人そうそういないでしょ。ウケる」
「だって穏やかって」
「まぁそうなんだけどさ。いや、何つぅの? マチコさんは俺の気を引こうとしてわざと高い声出さないし」
気を引こうとして高い声を出す?
確かに気は引けるかもしれないけど、それは野生動物を呼ぶとか、そういう時のやつなのでは。まぁでも人間も動物だし、そういえば『男性の気を引くテクニック』とかいって、「男性の狩猟本能を刺激するために揺れるアクセサリーを身に着ける」なんていうのもあったっけ。人間が狩猟で生計を立てていたのなんてもうかなり昔のことなのに有効なんだろうかとびっくりした記憶がある。
そんなことを考えていたら。
「なんかもうすごかったんだよ。どんな本を読むだの、今度貸してくれだの、読んだら感想を言いたいから連絡先を教えてほしいだの、って」
うんざりしたような、それでいて甘えるような声を出された。
それで、私の肩に額を擦りつけるようにして、「俺もうマジでああいうの無理」とため息をついた。それで彼は、こう言ったのだという。
『最近読んだのは全部洋書っすけど、英語読めます? 感想も英語じゃないと受け付けねぇすけど。あぁ、せっかくならここからは英語以外しゃべったら駄目ってことにしましょうか。はいスタート』
と。
案の定、麻美さんは黙ったらしい。そりゃあ日本語を封じられたらそうなる、よね?
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