§ サワダマチコの結婚⑤ §
マチコのヤキモチ 1
何だかバタバタしてすっかり流されていたが、そういや私はこの結婚に対して少なからず不安を抱いていたのだった。白南風さんが私のことをとても大事に思ってくれていることはもう痛いほどわかったけれども、不安は不安としてある。好かれているから、愛されているからと、全ての不安が解消されるわけではないのだ。
胸の奥に、小さなしこりのようなものがまだ残っている。
『一人で抱え込むのだけはやめよ。俺ら夫婦になるんだろ』
『悩んだら、まずは俺に相談。良い?』
白南風さんの言葉を思い出す。
そうだ、私達は夫婦になるのだ。
七月二十五日。互いの誕生日のちょうど真ん中の日に。まだ年も明けていないからか、すごく先のことのように思えるけど。
少し話してみようか。
どうせなら、今年のうちに。
翌年に持ち越さないように。
そう思い、ついうっかり「し」と言ってしまってから、慌てて「恭太さん」と呼びかけた。
隣に座る白南風さんが「どした?」とこちらを向く。
新年まであと三十分。
私達は客間にあるテレビをつけて、紅白対抗の歌合戦を見るともなく見ている。あともう少しで番組が終わる。このままでいけば、二人とも起きた状態で新年を迎えられるだろう。そんな時間である。
「あの、ちょっと聞いても良いですか」
「何? そんなかしこまって聞かれると怖いんだけど」
そう言いながらも、彼の顔はにこやかだ。何、どした、と言いながら、わずかな距離を詰めて肩を軽くぶつけて来た。
「あの、さっき、一人で抱え込まないで相談、って。その」
「あ、ああはいはい。言った。そう。その通り。どした? 何か心配事まだあった?」
「実は、はい。あの、あります」
素直にそう言うと、白南風さんはにんまりと笑って、私の頭を撫でて来た。
「偉い、マチコさん」
「はい?」
どうしてそんな話になるんですか? 偉かったところありました?
「ため込む前にちゃんと自分から言い出せて偉い。成長を感じる、うん。この短期間で成長した」
「……っそ、それはだって、し、恭太さんが言っても良いって」
言うから、と語尾をしぼませると、なおもわしゃわしゃと撫でられた。
「はは。そっか、俺の功績か。うん、さすがは俺。マチコさんを甘やかす検定初段に昇格」
「な、何ですかそれ」
「俺がいま作ったやつ。まぁ、それは置いといて。それで? どしたん」
さんざんに乱れた髪に指を通し、ゆっくりと毛の流れを整えながらそう問い掛けられる。あの、自分でやりますから、大丈夫です。
「さっき、その、自信がなくなったっていう話をしたじゃないですか」
そう話し始めると、白南風さんの眉間に、きゅっとしわが寄った。髪に触れていた手が、するりと滑って肩の上に乗る。指先に軽く力が入ったところで、顔を近づけられた。
「さっきちゃんとわからせたと思ったけど、足りなかった?」
「そうじゃなくて! そうじゃなくて! その! それはもうわかりましたから!」
「えっ、違うの? なぁんだ」
「お願いですから、あの、最後まで話を聞いてくださいぃ」
「そんな泣きそうな顔しないでよ。しないってば、ここではもう」
ここでは?!
ここじゃなかったらするんですか?!
そう聞きたかったけど、また脱線してしまうと思って飲み込んだ。それに、さすがにこれから夫婦になる男女がキス止まりというのも、という気持ちは私にだってある。
「ええと、あの、本当に自信がなくなっちゃったんです。やっぱり私に、しら、恭太さんはもったいない気がして」
「もったいないっていうのは、どういう点で?」
「その、まだ若いですし、学歴というか、社会的地位? と言いますか」
「年齢なんて、ただ単に生まれたタイミングの問題じゃん。それに、社会的地位? 博士がどうとかってやつ? それだってたまたまでしょ」
「たまたま、ではなくないですか?」
「そ? だってたまたまそっちに適性があったってだけだし、俺は。でもまぁ、たまたまは言い過ぎか。環境とかもあるもんな。でも、俺はそれくらいにしか思ってないよ。マチコさんが一生懸命学食で働いてんのと変わんない」
何ならむしろ、現時点で社会のためになってんのはマチコさんの方じゃね? なんて言って、はははと軽く笑う。
「わ、私の仕事は別に社会のためになんて大層なものでは」
「いやいや、今後の日本を背負って立つ若者の腹を満たしてんだから、社会のためになってるでしょ。マチコさん達は知らないかもだけど、ウチの学食って、フツーにめっちゃ美味いからね? こう言っちゃナンだけど、イマイチなトコはマジでイマイチだから。俺、
「そ、そうなんですか?」
美味しいと言ってもらえるのは嬉しい。学食メンバーに言ったらきっとそれはそれは喜んでもらえるだろう。
って、それは置いといて!
「それに、その、私、ただの食堂の娘ですし」
「いやー、ほんと美味しかったよ、サバ味噌。あんな美味い飯毎日食ってたら、そりゃあ料理上手にもなるよなぁ。あ、でもいま作ってんのって、義孝さん?」
「いまは義孝ですね。お口に合ったのなら何よりで――、ってそうじゃなくて」
「え? 何かおかしなこと言った?」
「あの、白南風さんの」
「恭太」
「恭太さんのお義母様は三千仲町にお店を出すほどで」
「いやいやいやいや、だからそれは結構最近の話だし。しかもさ、一般的にはぶっちゃけイメージ悪くない? 高い金払ってきれいなお姉さんと酒飲む店だぞ?」
「それは……そうかもしれませんけど」
「あのさ、何でそこまで卑屈になんのか、そっちの方が俺としては不思議なんだけど」
はぁ、とため息をついて、困ったように眉を下げる。
「たまたまタイミングがズレて俺より五年早く生まれたってだけでしょ、マチコさんは」
「それは、そうなんですけど」
「真面目に三十二年生きて来てさ、学校を出た後も親のすねを齧んないで働いてきたわけじゃん」
「それは……そうです、はい」
「そんな女性にさ、魅力がないなんて俺は思わない」
「でも」
「マチコさんが自分を卑下するのは自由だけど、まぁ、あんまり聞いてて気分良いもんでもないから控えてほしいけどさ、でも、俺がそう思うのだって自由でしょ」
肩の上に置かれていた手が背中に回る。それで、真正面から、ぎゅ、と抱き締められた。
「まだまだ不安だっていうなら、このままマチコさんの素敵なところ、百個言おうか」
「ひゃっ……?! さ、さすがに百個は無理じゃないですか?」
「そうだな。百個ってのは盛りすぎたかもな。現実味がなかったかも。じゃあ、思いつく限り」
「ま、待ってください! 大丈夫! 大丈夫ですから!」
こんなとんでもない提案をするくらいだから、三つ四つくらいはあるんだろうけど、それにしたって恥ずかしすぎる!
「何言ってんだよ、全然大丈夫じゃないじゃん。まず一つ目は、真面目なところ」
「……やっぱり最初に来るのはそこなんですね」
「そりゃね。何せ一番良いところだから」
「良いところなんでしょうか、これって」
私はたぶんこれまで、この『真面目』という言葉を良い意味で使われたことがない。『面白味がない』『つまらない』という意味だと思っている。
「良いところに決まってるじゃん。俺はそこに惹かれたんだから」
「そ、ですか」
「次は、可愛いところ。あ、ちなみにこれは見た目と中身どっちもね」
「待ってください。それは絶対に違います」
「えっ、何でだよ」
「どこからどう見えても可愛くないです、私は」
「残念ながら、どこからどう見ても可愛いんだよなぁ」
はっはっは、と笑いながら背中を擦る。
「良いじゃん。俺にはそう見えてるんだから」
「でも、それは白南風さ」
「恭太ですけど」
「恭太さんだけです」
「それならそれで好都合じゃん。こんなに可愛いマチコさん、俺だけしか知らないとか最高。でしょ?」
そんなことをさらりと言う。
もう恥ずかしくて顔から火が出そうである。
だけど、それを言うなら。
「っか、仮に」
「うん?」
「仮に、そうだとして」
「仮にじゃないけどね。何?」
「私のことは、し、恭太さんだけしか知らないとしても」
「うん」
「きょ、恭太さんのことは、皆に知られてます、よね」
「うん?」
「誰が見ても素敵な人だと思います。すれ違った人達、皆振り返りますし、か、顔だけじゃなくて、スタイルも良いし、おしゃれですし、その」
そんなことをもそもそと述べていると、ちょっと、ちょっと、と焦ったような声で背中を叩かれた。
「待って待って。ちょっと待って。マチコさん、えっ、何。もしかしてさ、それ」
「何ですか?」
「いや、もしかしてだけど、ヤキモチとか焼いてくれてない?」
「えっ」
えっ?
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