§ サワダアサミの応報⑤ §
幸せになんてさせない
【沢田麻美視点】
毎年、店の手伝いやら大掃除をしに年末帰省する義姉が今年は婚約者を連れて来るらしい。
なぁんだ、結局あん時の男とうまくいったんですかぁ。はいはい、良かったですねぇ。こっちの生活をズタズタにしてくれたくせに、自分はちゃっかり幸せをつかんだんですねぇ。
むかつく。
一体どんな男を連れて来るんだか知らないけど、あの鈍くさいコミュ障芋女を選ぶような男だ。どうせ大したことはないだろう。
そう思っていたのに。
予定通り、さわだの閉店一時間前に婚約者連れでやって来た義姉は、奥の座敷で姑と和やかに話をしている。婚約者はこちらに背を向けていたから、思っていたより若そうだ、ということくらいしかわからない。
「麻美ちゃん、注文取ってきて。ついでにご挨拶、ね?」
卓から戻って来た義母が言う。
挨拶を、と添えられなければ挨拶も出来ない女だと思われているのだろうか。
夫になんと言われたのか知らないが、義母も義父も、私にあのクリスマスの夜のことを何も聞いてこない。どう説明されているかわからないから、こちらから下手に言い訳も出来ない。ただ、踏み込んでこないのは、それはそれで好都合ではある。
ただ、いままで以上に『よそよそしい』。
この家に嫁いで来た時からそうだ。
結婚自体はこちらの思惑通りに進んだが、籍を入れる前に孕ませたという引け目があるせいだろうか、義父母はずっと私に対して『よそ様のお嬢さん』として接してくるのである。それがなんだか『孫の母親ではあるが家族ではない』と突き付けられているようで、居心地が悪い。とはいえ、そんなにべったりと家族になりたいわけじゃない。私が心地よく暮らせるように立ち回ってくれればそれで良かったのだ。
それなのにどうして私が。
大事にされるべきこの私が、どうして汗水流して店を手伝わなくてはならないのか。
オシャレなカフェやレストランならまだしも、こんなしみったれた食堂の手伝いとか、エプロンもダサいし、最悪なんだけど。
たかだか男と会ってたくらいで。
だいたいね、他に男を作るなんて、自分が不甲斐ないからだって気付きなさいよ。
そうでしょ? 仕事仕事で妻の相手もろくにしないで。
どうして私ばかりが責められないといけないわけ?
浮気される方にも絶対に非があるんだから。
ああむかつく。
とりあえず義姉の婚約者とやらのご尊顔でも見てやろう。絶対お似合いのダサ男だし。行き遅れの芋同士でお似合いですね、って笑ってやろう。
そう思っていたのに。
一歩、また一歩と近付くにつれ、何かが変だ、と思い始める。
最初に気付いたのは、服だ。
かっちりしすぎないカジュアルなジャケットではあるが、生地が良いのである。ペラペラじゃない。いまはファストファッションの店でも形だけはそれなりのものが売られているが、やはりああいう店のものは生地が安いのだ。これでもかつては金を持ってる男と付き合っていた私である。一目でわかる。あのジャケットは、高い。
それから、髪。
遠目では若そうに見えたが近くで見ればおっさんかも、と期待していたのに、そんなことはなかった。艶が違う。整髪料でごまかしているような艶ではない。少なくとも、四十代ではない。三十代……下手したら二十代の可能性もある。
そんなことを考えながら、テーブルの真横に立って驚いた。
モデルか俳優か、というレベルのイケメンである。
髪型や雰囲気で誤魔化してるような三流ホストの類でもない。
嘘でしょ。
何でこんなコミュ障の垢抜けない芋女がこんな良い男捕まえられたのよ。もしかして、性格にものすごく難があるとか? あるいはとんでもない借金があるとか。どう考えたってまともなイケメンが、こんなおばさんを選ぶわけがない。ましてやクリスマスにジュノーのディナーに誘うとか、ありえなさすぎる。あっ、逆に貢いだとか? ディナーだって何も彼が誘ったとは限らないんだし。そうだ。きっとそうだ。それならまだ考えられる。
でも、それならば。
こんなとうが立ったダサい三十路のおばさんよりも、私の方が良いはずだ。雅也とだってもう会えなくなってしまったし、代わりの男がほしい。
「いらっしゃいませ。お義姉さんの婚約者さんですよね?」
彼ににこりと笑みを向ける。最初が肝心なのだ。こんなコミュ障のおばさんより、私の方が絶対に魅力的だ。
「義姉さん? あぁ、義孝さんの――」
「妻の麻美です」
「どうも初めまして。マチコさんの夫になる予定の、白南風恭太といいます」
ふわっと微笑まれた瞬間に、身体に電流が走る。
ヤバい。
めちゃくちゃタイプなんですけど。
思わずそんなことを考える。
彼なら、多少性格に問題があろうが、借金があろうが、他に女がいようが構わない。私のものにしたい。
こんなおばさんに落とせるなら楽勝でしょ。
「お」
やっとの思いで喉から声が出る。
「お義姉さんと結婚したら、私達、親戚ですね」
「まぁ、そうなりますね」
「恭太さんって、おいくつなんですか?」
「二十七ですけど?」
年下か。悪くない。
「えぇ、お義姉さんより五つも下ぁ? あのね、私、二十九」
確信した。
やっぱり結婚なんて嘘だ。
こんな素敵な彼が五つも上のおばさんと好き好んで結婚するわけがない。義姉によほどの資産があるとか、弱味でも握られているのでもなければ、そんな奇跡は起こりようがないのだ。
もしかしたらクリスマスの彼とは別れていて、だけど引くに引けなくなったから、レンタル彼氏に婚約者の振りをさせているのかもしれない。この義姉ならやりかねない。
「てことは、もしかして、昔好きだった番組とか、流行ってたバンドとか、そういうの同じ世代かもじゃない?」
「絶対そうだよ。え〜大丈夫ですかぁ? お義姉さん、そういう話、合わなそう」
ボロを出してやるつもりでそんな言葉を並べた。雇った彼氏なら、きっとそこまでの打ち合わせなんてしていないはず。
案の定、「あ、ええと……、まぁ、そうかも、ですね」という、しどろもどろの返答が来る。視線は自信なさげに左右に泳いでいて、見苦しいったらない。さっさと婚約者なんて嘘です、見栄を張りました、って白状すれば良いのに。
とりあえず、何日か滞在するという話だし、連絡先を交換して、こっそり情報を聞き出せば良い。それで、皆の前でそれとなくバラすのだ。そうすれば――。
「どうでも良くない?」
パタパタと組み立てられていくスケジュールが、その一言でがらりと崩れる。
さっきまでのにこやかな空気が、急に冷えた気がした。緩く微笑んでいたはずの彼が、キッと鋭い目つきで私を睨みつけている。
「それはそれで新しい世界を知られて良いと思うけど、俺は。ね、マチコさん」
刺すようなその視線は、義姉に向けられた瞬間に柔らかく細められた。この一瞬で別人にでもなったのかと思うほどに優しい。
演技だとしたら、大した役者だ。
そう思うほどの切り替えっぷりである。
もしかしたら役者の卵なのかもしれない。
それかもしくは、考えたくないが、雇われたのではなく、本物の婚約者か、だ。いや、それは絶対にありえないはず。
「俺の知らないもの、マチコさんが全部教えて。マチコさんが知らない世界は俺が全部教えるから」
何でよ。
何であんたみたいなのが、こんな良い男に。
生意気なんだけど。
コミュ障の行き遅れおばさんのくせに。
幸せになんて、させない。
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