二人の真ん中の 3
ぱたん、と障子が閉まると、待ち構えていたかのように、シャツを強く引かれた。何となく予想していたから、おかしな声を上げることはなかったけど。
バランスを崩して後方に傾く身体を抱きとめられる。そのまま後ろからぎゅうと抱き締められた。
「マチコさん」
「な、何でしょうか」
「さっきの、嬉しかった」
「さっきの?」
「死ぬまで一緒にいたいって言ってくれたじゃん」
「あっ……、た、確かに! あの、すみません何か重いこと言っちゃっ」
「嬉しかった」
私の言葉に被せるようにして、「嬉しかった」と噛み締めるように言い、すん、と鼻を鳴らす。
「俺、たぶん死ぬ時は一人だと思ってたから」
「え」
私の首筋に顔を埋めたまま、彼はぽつりと話し出した。
「俺みたいなのはさ、たぶん一生結婚とか出来ないだろうって思ってたんだ。若いうちは遊び相手が誰かしらいるんだろうけど、そういうのじゃなくて、添い遂げる相手っつぅの? そんな人、現れると思えなかったっていうか。作ろうとも思わなかったし」
確かに、私が聞いていた『白南風恭太』はそういう人だ。
だから最期は一人なんだろうなって思ってたんだけど、と沈んだ声で言って、腕に力を込める。
「ずっといてくれんの? 一緒に?」
「そのつもりで、いますけど。だって、その、夫婦ってそういう――」
「だな。夫婦ってそういうもんだよな。なぁ、俺で良い? ほんとに」
「それ、聞きますか?」
「聞きたい、マチコさんから」
お願い、と首の後ろから甘えた声が聞こえる。頸椎に鼻が当たっていて、そこから振動が伝わってくるようだ。ふわりとかかる息がくすぐったい。
ここは、間違えてはいけない。
それくらい私にだってわかる。
「……きょ、恭太さんが、良いです。『で』、じゃなくて。恭太さん『が』良いです」
いつものようについうっかり『白南風さん』なんて口を滑らせてはいけない。やっぱりちょっと噛んでしまったけど。
と。
「マチコさぁん!」
「ぐえぇっ、く、苦しい……!」
ぎゅうぎゅうと強く抱きしめられ、思わず変な声が出る。びっくりした、肺の空気、全部押し出されるかと思った……!
「やべっ。ごめん、マチコさん。嬉しすぎて思わず力が入っちゃった。潰れた? 潰れてないよな?!」
「潰れてないです! さすがに潰れてないです!」
さすがに男性の力でも人間を潰すことなんて出来ないと思いますが?!
「ごめん、ほんと。さすがに自重する」
その言葉と共に、するりと拘束が緩む。ぴったりと密着していたから、わずかにでも隙間が出来ると、そこを風が通り抜けるような気がしてなんだか寂しい。ほとんど無意識に、離れていくその腕をぎゅっと掴んだ。
「え、何」
「は、離れないでいただけると」
「いただけると? その、離れない方が良いってこと? マチコさん的に?」
心なしか、彼の声が弾んでいる気がする。数秒前までしっかりとした重さを感じた彼の腕は、気づけば軽くなっていた。きっと私の返答次第で、彼は再び抱きしめてくれるだろう。その準備に入っているのだ。
「出来れば」
「そ、そか」
「あ、でも! あの、もうちょっと優しいのが良いです。優しくしてください」
じゃないと、今度こそ肺の中の酸素が全部押し出されてしまいそうで。
「あのさ、マチコさん。そんなこと言われたら、逆に優しく出来なくなるのが男なんだよ」
「えぇっ!? そんな!」
「いや、自制するけどさ。するけどね? まさかマチコさんの口から『優しくして』なんて言葉が飛び出すとは思わないじゃん」
「なんか、すみません……」
優しくしてと言ったら、逆に優しく出来なくなるとは、これ如何に。男性とはそんなにも天邪鬼な生き物なのだろうか。ということは、優しくしないでって言えば逆に優しくしてくれるってことだろうか?
「あの、じゃ、じゃあ、優しくしないでも」
「えぇっ!?」
「えっと、強めに? 激しめに? 荒々しく? ええと、この場合、どんな言葉が適切なんでしょう」
「……どれも不適切だよマチコさん。頼むから、俺の理性を揺らがせないで」
「えっ、だって、優しくしてって言ったら優しく出来ないって」
言うから、と身を捩って後ろを向く。ちらりと見えた白南風さんの顔は、何かをこらえるような表情をしている。
「白南風さん?」
「また戻ってる。恭太だろ」
「すみません。なんか、『白南風』が思いの外しっくりきてしまっているというか。……って、ごめんなさい、言い訳ですね」
「まぁ、俺も名字のインパクトについては否定しないけど」
でも、マチコさんだって『白南風』になるんだしさ、と拗ねたような声で口を尖らせる白南風さんが、なんだか可愛く見える。
可愛く見えてしまったから。
年下なんて思えないほど、いつもぐいぐいと引っ張っていってくれる彼が、とても可愛く見えてしまったから、だと思う。
吸い寄せられるように、彼の首――本当は頬にするつもりだったが届かなかったのだ――に唇をつけた。さっきのキスマークのつけ方なんてすっかり失念していたので、本当に触れるだけのやつだ。
本当に、軽く、軽く触れただけだったのだが。
私からなんて、予想外だったのだろう。白南風さんは、びくっと身体を震わせて目を丸くした。そして、はぁ、と深く息を吐く。
「マチコさん、いきなり可愛いことしないで。マジでここが実家だって忘れそうになる」
「え」
「でも、キスまでなら良いよな」
「へあ? あ?」
言うや否や、くるりと身体を反転させられ、布団に押し倒される。
「え」
「大丈夫、大丈夫だ俺。さっきだってちゃんと堪えられたんだし、大丈夫。ここは実家。マチコさんの実家。大丈夫。イケる」
「あ、あの、し、恭太さん? さっきから何を」
布団に肘をつき、ぐぐっと顔を近づけられる。苦しそうに、眉間にしわを寄せて。はぁ、と息が熱い。
「大丈夫、ちゃんと止めるから」
「止め……? え、あの」
「さっきも言ったけど、鼻で息して」
「が、頑張ります」
その言葉を皮切りに、再び、唇を軽く噛まれた。
つぅ、と舌先で唇をなぞられる。
「マチコさん、口開けて」
「え?」
口なんか開けて何を、と尋ねるまでもなく、彼の舌が侵入してくる。それは上顎に触れ、私の舌に絡む。その度に、背中がぞわぞわとして、おかしな声が漏れそうになる。
ここは実家だと言い聞かせなくちゃいけないのは私の方だ。
このままでは流されてしまう。
さすがにこれ以上は、と思ったところで、彼の唇が離れた。
「危なかった。ここがマチコさんの実家だって忘れるところだった」
そう言って、眉間のしわをより深く刻んだ白南風さんは、困ったように笑った。
「でも、約束通り止まっただろ?」
「そう、ですね」
「その点に関しては、俺のことマジで褒めてほしい」
「え、っと。頑張りましたね」
「うん、頑張ったんだよ、俺。ただまぁ……。ちょっとしばらくこっち見ないで。落ち着くまで」
「落ち着く……?」
白南風さんはいつも落ち着いてるじゃないですか。
そう言おうとしたけど、どうやらそういうことではなかったらしい。そのことに気付いて、私は、黙って彼に背を向けた。
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