二人の真ん中の 2

「マチコさんの給料日と関係あるわけないじゃん」

「姉さん、さすがにそれはさ」


 さっきまで言い合いになっていたはずの二人が顔をくしゃくしゃにして笑っている。笑い方がおんなじで、そっちの方がよっぽど兄弟みたいだ。


「そんなに笑わなくても!」


 だって二十五日から連想されるのなんて給料日だけだし! 私なんかはそう思うわけだが、どうやら違うらしい。何? 何かある? 七月二十五日って何かの日だったりするの?


 恥ずかしいやら混乱するやらで顔が熱い。たぶん真っ赤になっているはずだ。


「俺とマチコさんの誕生日の中間ってこと。聞いたことない? 真ん中バースデーとかって。なんか一時流行らなかった?」

「真ん中バースデー……確かに名前くらいは聞いたことがあるような……」


 えっ、いまそれを計算したってこと?! 白南風さん計算早くない?! さすがは院生! 院生関係あるやつ? こういうのってやっぱり院では必須スキルだったりするのかな?


「相変わらずボケてんな、姉さんは。俺ですらピンと来たぞ。ていうか、何? そんなすぐに給料がよぎるほど普段からこいつに貢いでるわけ?」

「貢いでないってば!」

「そうだよ義孝さん。むしろ貢ぎたいのは俺の方。だけどマチコさん全然貢がせてくんねぇんだよなぁ」

「あー、まぁ姉さんはそうだろうな。昔っから欲がないんだ、全然」


 子どもの頃からそうなんだよなぁ、となんだかため息混じりで呆れたような声を出すものだから、私もついムキになる。


「あ、あるから! 欲くらいちゃんとあります!」

「そうなんだ。じゃあ差し当たって、いまは何が欲しいわけ?」


 白南風さんが、顔を近づけ、楽しそうに尋ねてくる。


「い、いまですか? いまは、そうですね。ちょうど洗濯洗剤が残り少ないので、帰りに――、あっ、違っ、そうじゃなくて! そういうのじゃないですよね!? え、っと、え――……っと」


 いきなり振られても、パッと浮かぶのはどうしても日用消耗品だ。洗濯洗剤は本当にあともう数回でなくなりそうだから絶対に買わないとだし、歯磨き粉だって、いま結構頑張って絞り出してる状態だからそれも買って帰らないと。いやいやいや、そういうのじゃないんだってば。いま求められてるのはそういうのじゃないのよ、沢田真知子!


 たぶんなんか、服とか靴とか鞄とかアクセサリーとかなのだ。でも、どれも間に合ってるからなぁ。それよりはやっぱり洗剤を……。


 やばい。

 早く何かしゃべらないと怪しまれる。

 何の欲もない、面白味のない女だと思われちゃう!


 そう考えれば考えるほど浮かんでくるのは日用品だ。見慣れたパッケージが次々と浮かんでくる。あれ、もしかして台所用の漂白剤も残りわずかじゃなかった? あっ、そういえばトイレの除菌シートも詰め替えの予備がなかったかも。こないだCMで見た新しいお風呂洗剤も気になる。擦らずきれいに、って本当かな。


 じゃなくて!


 駄目だ!

 やっぱり私って欲がないのかも! 面白味0のつまらないおばさんなのかも!


「……こ」

「こ? こ? 何だ」

「『こ』から始まるやつ? あっ、もしかして婚約指輪!? 何だよマチコさん、やっぱり婚約指輪欲しいんじゃん! 買いに行こ、買いに行こ! 結婚指輪と合わせて!」

「ち、違います! その、降参! 降参です、って言おうとしたんです! 考えたけど、結局何も浮かびませんでした!」


 危ない! 危うく婚約指輪を買うことになってしまうところだった!


「なんかほんと、面白味のない、つまらない人間でごめんなさい……」


 しょんぼりと肩を落とす。そうだ、昔読んだファッション雑誌のコラムか何かでも、恋人からの多少のおねだりは可愛いみたいなことが書かれていたのに、私には全然それがない。可愛げのないおばさんなのだ。


 付き合いたてなんて、一番楽しくて盛り上がる時期のはずなのに、私は何ひとつ出来てない。その申し訳なさで顔を上げられないでいると、ぽん、と両方の肩に手を乗せられた。恐る恐る視線を向けると、それは、義孝と白南風さん二人の手だった。二人とも何やら必死に笑いをこらえているような表情だ。それで、私ではなく、お互いを見つめ合っているのである。


「恭太、面白いだろ、ウチの姉さん」

「そんなの義孝さんに言われなくてもわかってるし」

「え、ちょっと二人とも……?」


 何の話? と口を開くと、二人同時にこちらを見た。それもぴったりシンクロしていて本当に兄弟のようだ。


「姉さんは面白いからそのままでいんじゃね?」

「そうだよマチコさん。俺、マチコさんが面白くないとか思ったことないから」

「えっ」

「わかるか、恭太。もうマジで昔っからこうだから。一事が万事、これ」

「マジかよ。もう愛しさしかないんだけど。なぁ義孝さん、そろそろ部屋戻らね?」

「だから実家ウチで盛んなつったろ馬鹿が」

「盛らないって。ちょっと、ちょっと愛でるだけだから」

「意味としては同じだわ」

「ま、待って待って二人とも。さっきから何言ってるの?」


 そろそろ肩も重いからちょっと手下ろしてもらって良い?


「あのね、マチコさん。マチコさんが自分のことどう考えてるか知らないけど、面白い面白くないってのは、マチコさんが決めることじゃないから」

「そ、そうなんですか? でも」

「そうだよ姉さん。少なくとも俺は、生まれた時からずっと姉さんと一緒にいたけど、つまらないって思ったことないし。生まれた時から! ずっと! 一緒にいるけどっ!」

「えっ、義孝、突然どうしたの?」


 白南風さんの方を見ながら、義孝がニヤニヤと同じことを繰り返す。その度に、白南風さんは「くそぉ」と小さく呟くのだが、肩の上に乗せられた手がグッと強張るのが怖い。乗せられているだけなので、痛いわけではないんだけど。どうしたんだろう。


「マチコさん!」

「えっ、は、はい?!」

「これから十年二十年一緒にいるのは俺だもんなっ?!」

「それは……そう、ですね。でも、あの、出来れば二十年と言わず、二十一年以降もお願いしたいんですけど。あの、白南風さんさえ良ければ死ぬまで」


 だって二十年って、私、五十二だし。これから人生百年時代が来る、なんて話もあるし。まだまだ長い。


 あっ、でも死ぬまで、なんて重すぎたかな? そうだよね、いまは離婚する夫婦だって多いんだし、私達だってこの先何があるかわからないんだし。


 などとぐるぐる考えていると――、


「マチコさん!」

「ひゃあああ! んな! なんですかぁっ!」


 義孝の手を跳ね除け、その勢いで、がばりと抱き着かれた。


「し、白南風さん?! あの、義孝が! あの! 義孝の前です!」

「義孝さんに見せてんの。どうだ、義孝さん。俺のマチコさんだぞ」

「どうだも何も、別に知ってるし」

「ははは。もう義孝さんだけのマチコさんじゃないからな」

「あ、あの、白南風さ」

「恭太」

「すみません、恭太さん」

「はっ、まーだ名前を一発で呼んでもらえねぇ青二才の癖に」

「うっさい。これからだ、これから」

「よ、義孝! 青二才だなんてそんなこと言わない! ていうか、し、恭太さんも離れましょう?!」


 そう言うと、白南風さんは渋々といった体で離れてくれた。嫌ではないけど、さすがに弟の前では恥ずかしすぎる。けれど、つい、と引っ張られる感覚がしてそちらを見やれば、少し口を尖らせて名残惜しむかのように、私のシャツの裾を掴む彼がいる。


 それに気づいたのかはわからないが、義孝は、やれやれといった顔で腰を上げた。


「そろそろ部屋戻るわ。んじゃ、七月二十五に籍入れるってことで良いんだな? で、式は未定、と」

「えっと……まぁ、そんな感じ」

「式挙げるかどうかも未定?」

「俺は挙げたいけど、マチコさんの気持ち優先。あーでも、ドレスは着て欲しい! 白無垢でも可! 写真だけでも良いから!」

「あ、えっと……まぁ、挙げたい、かな? とは」

「じゃ、挙げる。確定。日取りだけ未定」


 白南風さんがそう締める。


 すると義孝は、「よっしゃ。頑張るわ」と、何やら真剣な顔をして強く頷くと、ぱぁん! と強く膝を叩いた。


「お幸せに、お二人さん」


 戸に手をかけて、こちらをちらりと見る。ありがとうと返そうとしたところで――、


「盛んなよ、恭太」


 と釘を刺し、こちらが否定する間もなく去っていった。


 だから! そういうこと言わないの!


 ていうか、それだけのために来たの? 入籍日の確認ってだけ? なんか大事な話があったのでは?

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