価値観の相違は致命的 3
リビングの床いっぱいを使って――最も、私が贈ったものだけではもちろん足りず、もともと家にあったレールも繋いだけど――それはそれは走らせ甲斐のあるだろう、壮大なコースは完成した。
途中途中、白南風さんが考案した緩やかな坂道なんかもあったりして、蓮君は大満足のようである。この共同作業によってすっかり親睦を深めたようで、イエーイとハイタッチする様は何だか父と子の姿のようにも見えてしまう。
きっと自分の子どもとも、こうやって遊ぶんだろうな。
そんな未来が容易に想像出来てしまって、かぁっと顔が熱くなる。
その後、蓮君は何度も電車を走らせた。私達はそれを見て、パチパチと拍手をしつつわぁわぁと歓声を上げる。一体コースを何周しただろう。そろそろ称賛のバリエーションも尽きて来たと焦り始めた時、やっと彼の両親である弟夫婦が帰宅した。
お帰りと出迎えると、私達の間をすり抜けるようにして「お帰り!」と蓮君が義孝の足に飛びつく。そして、ズボンをぐいぐいと引っ張りながら、居間の中心へと誘導するのだ。
「パパ、見て! 出来た! おいちゃんが手伝ってくれた!」
「おいちゃん……? あぁ、恭太のことか。うわぁ、すごいの出来たなぁ」
「見て! いまから走らせるから!」
「おお、よしよし。どーれ」
「行くよ、せーのっ」
歓声を上げながら電車が走る様を目で追って、父子は楽しそうである。母親である麻美さんは、というと、ガサガサと買い物袋の中のものを冷蔵庫にしまっている。それで、ふと気づく。彼女の口から「ただいま」であるとか、完成したコースについての感想なんかを一言でも聞いただろうか、と。
それから、蓮君の方もだ。
お帰り、とは言った。それは聞いた。それは両親二人に向けてのものだったと思う。そして、電車にしてもだ。引っ張ったのはパパである義孝だけだ。それともやっぱり男の子ってパパの方が好きだったりする? 電車のおもちゃだから、ママよりはパパに見せたかったとか? そういうのはあるのかもしれない。私は女だからわからないだけかも。
でもきっと、本当は麻美さんだってあの輪に加わりたいはずだ。手伝えそうだったら代わろう。そう思って、台所へと移動する。
「あの、麻美さん。良かったら私」
「何ですか」
険のある言い方に、身体がびくりと震える。
「あの、えっと、片付けなら私やりますから、蓮君の」
「あんたの」
「え」
私にしか聞こえないくらいの、うんと潜めた声だった。ギッと鋭く睨まれ、「あんたのせいだから」と吐き捨てられる。
「え」
「うまいことやりましたね。ちゃっかり高学歴のイケメン捕まえて」
「あの」
「私のこと、馬鹿な女だって思ってるんでしょ。いい気味だって」
「そんなこと」
「自分はのうのうと幸せになって。良いですね。旦那はイケメンで? 博士で? それで? 母子家庭だけどお姑さんは三千仲町に店二軒? セレブじゃないですか。玉の輿ですね。ほんっと良いご身分で」
「そんな、私」
「こんなことなら私だってお義姉さんみたいにオドオドぶりっ子してりゃ良かった。男の後ろを歩いて、何も知りません、出来ませんっていい子ぶってりゃ良かったですよ」
「私別に」
何も知らないわけでも、何も出来ないわけでもない。オドオドはしてるけど、ぶりっ子してるわけではない。ていうか、麻美さんの世代でもまだ『ぶりっ子』って言うのね。なんかもっと若い子特有の言い方があると思ってた。
「絶対に何かの間違いですよ。気の迷いとか、騙されてるとか」
「え」
「どこからどう見たって全然釣り合ってないじゃないですか、彼と。住む世界が違うって感じ。歴代の彼女とか絶対タイプ違うでしょ」
「それは……」
彼女、というのはいたことがない、って聞いたことがあるけど、だけど、身体だけの関係の人はたくさんいたらしい。私が直接見たことがあるのはサチカさんだけだけど、それでも確かに、私とはまるでタイプが違う。派手で、きれいだった。
「何が悲しくて、こんな『おばさん』と婚約してんだか知りませんけど、あんまり調子乗らない方が良いですよ。五歳も離れてたら、絶対話も合わないし。飽きられて、捨てられるのがオチですね」
「そ、そうですか」
そんなことないです、と言い返したい気持ちはあった。
だけど、出来ない。
そうかもな、とわずかにでも考えてしまう自分がいる。
だっていまだに、どうして自分が選ばれたのかがわからない。たぶんそれを白南風さんに尋ねたら、きっと彼はたくさんの言葉でそれを説明してくれるだろう。だけど、きっと、それでも私は心のどこかでそんなはずはないと思っていて、いつまでも納得出来ないままなのだ。それほどまでに、私と彼とでは住む世界が違いすぎる。そんなことを考えてしまって、胸の中にどろどろしたものが溜まっていく。
ちらりと居間に目を向ければ、男性チームが楽しそうに電車が走るのを眺めていてる。義孝が白南風さんのことを何やら褒めている様子で、なぜか蓮君が嬉しそうに笑っているのだ。さっきまで些細なことで喧嘩をしていた蓮君と白南風さんはすっかり仲良くなっている。ほらやっぱり、彼はすごいのだ。小さい子からも好かれて、喧嘩をしてもすぐに仲直り出来て。
私が蓮君と親しく話せるのは、彼が赤ちゃんの頃からお世話をしているからだ。長年の(といってもまだ五歳だけど)積み重ねがあって、それでもまだちょっとぎこちないというのに、彼はまるで、自分の年の離れた弟のように接している。
住む世界が違う。
最もな指摘である。
見た目も良くて、学歴もあって、対人折衝力も高くて。
それなのに、私はどうだ。
おばさんだし、一応、四大卒の学歴はあるけれど、それを活かした仕事をしているわけでもなく。いつもオドオドして、言いたいことの半分も言えない。
「マチコさーん」
私の視線に気づいた白南風さんが、私に向かって大きく手を振る。何もそう遠い距離でもあるまいに、ぶんぶんと。蓮君もそれを真似して、両手を大きく振って来た。
振り返そうと手を上げるけど、それは胸の辺りまでしか上がらず、無理やり笑顔も作ってみたけど、頬の突っ張りを感じるのみで、上手く出来ていたかはわからない。
私で、本当に大丈夫なんだろうか。
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