価値観の相違は致命的 2

「マチコさん、子ども何人欲しい?」

「ひぃっ。何ですか、いきなり」


 大掃除が終わり、ささやかな年越しのお祝い膳を食べ、お風呂を済ませた私達は、店の二階にある住居スペースの居間で蓮君と遊んでいる。私がクリスマスにあげた電車のおもちゃで、だ。父と母は店で、義孝と麻美さんは買い出しのためにスーパーに行っている。そういうわけで、私達が蓮君とお留守番というわけだ。蓮君はいま、レールを繋ぐのに忙しい。私達の役目は蓮君にレールのパーツをバケツリレー方式で渡すことである。


 さほど広い居間ではないが、何せ生活の大半は店にいるため、物が少なく、ほぼほぼ蓮君の遊び場と化しているのだ。私達は蓮君と数メートル離れたところにいる。かなり落とした声で、ひそっ、と白南風さんがそう尋ねて来た。


「何ていうか、いま俺思いっきり、家族気分なんだよね」


 と言って、こちらにお尻を向けてレールを繋いでいる蓮君を指差す。


「あぁ……、まぁ、わかります」

「俺さ、こういう記憶がないんだよな。日中は保育園だったし、夜はシッターさんだったから。シッターさんって言っても、ほんと、見守るだけの人っていうか。ほら、飯やら掃除やらは母さんが意地でもやってたから。でも危ねぇじゃん、さすがに。夜に幼児一人はさ」

「確かに」

「だからこう、両親と遊ぶ、なんてのはまぁ――……、父親は最初からいないわけだけど、母親と遊んだ記憶も……ないわけじゃないんだろうけど、全然覚えてなくて」


 そんな話をしていると、「おいちゃん!」と蓮君が割り込んできた。私と白南風さんの間に入って、「おばちゃんと離れて」と私にしがみついてくる。『おいちゃん』というのは白南風さんのことのようだ。蓮君の中では、『おじちゃん』でもなく『お兄ちゃん』でもない、その中間の呼び方らしい。


「ほう、蓮君よ。お目が高いな。その年でもうマチコさんの良さに気付くとは」

「白南風さん?」

「恭太」

「あっ。すみません」

「蓮君、悪いけど、この人はもう君だけのマチコさんではないんだ。残念ながら、俺のマチコさんなんだよ」


 ふふふ、と余裕たっぷりに笑う様はさながら悪役である。


「違うもん! ぼくのおばちゃんだよ!」

「確かに蓮君の『伯母さん』であることには間違いないけど、『沢田真知子』という女性はそう遠くない未来『白南風真知子』になるんだ。つまり、俺の奥さんになる、ってこと! ハッハー」

「違うもん! ぼくと結婚するんだから!」

「えぇっ!?」


 蓮君ごめん、それはおばちゃん初耳かな。


「何っ!? マチコさん、それほんと!?」

「違っ、違います!」

「違わないもん! ぼくちゃんとパパに言ったし! パパも良いよって言ったもん!」

「義孝が?!」


 何勝手に許可出してるの?!

 いくら私が婚期を逃してたからって! 


「あんにゃろう!」

「白南風さん落ち着いてください!」

「恭太!」

「あっ、ごめんなさい! 恭太さん、落ち着いてください! 相手は五歳です!」

「それはそうだけど。でも、男には例え相手が五歳でも譲れない時があるんだ」

「さ、左様で……」 


 いつになく真剣な顔である。ただでさえ整った顔立ちをしているから、こうも真面目な顔で見つめられるとドキドキしてしまう。


「良いか、蓮君。いまから君に大事な話をする」

「なに」


 蓮君の小さな肩の上に優しく手を乗せ、背中を丸めてしっかりと目を合わせる。真剣なまなざしと落ち着いたトーンに、蓮君も何か感じるものがあったのだろう。敵意はむき出しであったけれど、それでも、きちんと座り直して聞く体勢になっている。


「伯母と甥は三親等だ」

「さんしんとー?」

「白南風さん?」

「恭太な。それで、大事なのはここからだ。三親等は、結婚出来ない」

「どういうこと、おいちゃん?」

「白南風さん?」

「恭太です。つまりだ、蓮君。君と真知子伯母さんは絶対に結婚出来ない」

「だ、だってパパが良いよって言ったもん」

「パパはもしかしたら知らなかったのかもな。それかもしくは、蓮君が可愛くて言えなかったんだろ。仕方ないよ。でも、事実だ」

「そんなぁ!」


 うわぁん、と蓮君は泣き出してしまった。私の膝に突っ伏して。


「あああ、蓮君、泣かないで。もう、白南風さん、子ども相手ですよ」

「恭太だっての。いや、ちょっとムキになりすぎた。ごめんって、蓮君。だけど、大事なことだから」

「そうかもしれませんけど。大人気ないと思います」


 すんすん、と泣く蓮君の背中を擦る。


「……おいちゃん、きらい」

「ほら、蓮君に嫌われちゃいましたよ?」

「ごめん! ごめんってば蓮君。おいちゃんが悪かったって」

「きらい」

「どうするんですか、しら――恭太さん」

「うーん、物で釣るわけにもいかないし、困った」

「えっ?」

「えっ、って何」

「いえ、てっきり物で釣る――って言い方はアレですけど、そういう感じかと思ってました」

「何それ。俺ってマチコさんの中でそういう男だと思われてたの?」

「ええと……ごめんなさい」


 だって、すぐ私のためにお金を使おうとするから!


「心外だな」


 ぽつりと吐き出されたびっくりするほどその声が沈んでいる。どうしよう、彼を傷つけてしまった。


「マチコさん、俺はね」

「は、はい」

「マチコさんを物で釣ってるつもりはないよ」

「そう、でしたか。すみません、私ったら、失言を――」

「俺はマチコさんに貢ぎたいだけ」

「はい?」

「物で釣ってるわけじゃない。物なんかで釣れないのがマチコさんってわかってるから」

「え、あ、ええ?」

「でもさ、俺、ほんとにわかんないんだよな。そういうの。親は当たり前のように――、ってそういう話は後にしようか。それよりいまは蓮君だ」

「そ、そうですね」


 親は当たり前のように、という言葉でもうわかった。職業柄、きっと、お客さんからプレゼントをもらう機会が多いのだろう。そういう環境にいたら、それが愛情表現のように思えてしまうかもしれない。

 

「なぁ蓮君、マチコさんのことを大好きな者同士、ここはひとつ協力して、まずはこのレールを完璧に作り上げてマチコさんをびっくりさせないか?」

「おばちゃん?」


 私の名前に、蓮君がぴくりと反応する。


「あの電車、マチコさんからのプレゼントなんだろ? 良いなぁ。おいちゃん、そういうのもらったことないんだよなぁ」

「ほんと?!」

「ほんとほんと。なぁ、マチコさん」

「そ、そうですね」


 確かにあげてない。


 よく考えたら私は白南風さんにはクリスマスのプレゼントなんて何もあげてないのだ。それを思い出して、さぁっと血の気が引く。


「きっとマチコさんは、蓮君があのおもちゃで遊んでるところ、見たいだろうなぁ」


 その言葉で、蓮君がじっと私の方を見た。口を一文字に引き結んで、私の返答を待っているようだ。ちらりと白南風さんの方を見ると、こくこくと頷いている。


「み、見たいなぁ、おばちゃんも」

「ほんと!?」

「ほんとだよ。蓮君が白南風さんと一緒にレール完成させて、仲良く遊んでくれたら、おばちゃんすっごく嬉しいんだけどなぁ」


 たぶん、これが正解のはずだ。白南風さんはそのつもりで私にパスを送って来たはずなのだ。


 どうだ。

 これでどうですか。

 

 祈りを込めて蓮君を見る。

 ぐむむ、と、何らかの葛藤と戦っていた彼は、むくりと起き上がると、白南風さんの手を掴んで「早く」と引っ張ったのである。


 作戦成功、とでも言わんばかりの表情で白南風さんは私に向かって片目をつぶって見せる。私も同じことを返そうとしたけれど、どうしても片目だけをつぶることが出来ず、どうにも恰好がつかなかった。

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