価値観の相違は致命的 1
「ウチみたいな田舎の食堂の娘とじゃ釣り合わないんじゃない?」
母が眉間にしわをがっつりと寄せて白南風さんを見る。
「え」
その言葉は私と白南風さんの両方からほぼ同時に発せられた。私はやはり、心のどこかで『母親が飲み屋で働いている』という部分に良くない印象を持っていたのだ。あれだけ
「三千仲町に二軒だろ? ウチとは格が違うよなぁ」
「そりゃあ大学も院まで行けるわな」
父と義孝が腕を組んで難しい顔をし、「どうする、両家顔合わせだって、俺、礼服くらいしかないぞ?」「礼服かぁ。さすがにかっちりしすぎじゃねぇ?」などと言葉を交わしている。
「恭太さん、本当に真知子で良いのかしら」
母はなんだか泣きそうな顔をしている。やっと娘が嫁に行けると思ったのに、相手のスペックが色々と高すぎて心配になったのだろう。わかるよお母さん。私もそれについては未だに心配だから。
「むしろ僕は、僕のようなものが真知子さんにふさわしいのかが心配です」
ゆっくりとそう言って、白南風さんはちらりと私を見た。
「母が店を大きくしたのは、僕が大学に入ってからの話ですから、高校まではそこまで裕福だったわけではないんです。大学に入って家を出てからは、築三十年の1DKで節約生活ですし。いまもそうです」
「そうなのか」
「僕の行きつけのスーパー、六月町のタニヤマートですからね。あそこ、七時過ぎると総菜が半額になるから助かるんですよ」
「あぁ、あそこは全店そうよね」
「なので」
と、そこで言葉を区切って、白南風さんはゆっくりと一人一人と視線を合わせていく。
「僕は片親育ちですし、母親の職業だって、世間一般的にはあまり好ましくないものだということもわかっています」
白南風さんがそう話すと、母は「そんな」と小さく呟いた。けれど、それを無視して彼はしゃべり続ける。
「僕自身はそれらで一切不便を感じたことがありませんが、それでも気にする人はいます。真知子さんは――」
油断しているところで私の名が呼ばれ、どきりとする。思わず隣を見ると、白南風さんはふわりと笑っている。けれども、かすかに眉間に影が出来ている。この影が濃くなったら、もしや彼は泣いてしまうのではないかと、それが気になってしまう。それで、ほとんど無意識的に、彼の手を握っていた。そうしないと、眉間の影が濃くなりそうだったのだ。
「真知子さんは、何も気にならないようでした。片親であることを話した時も、母の職業を話した時も。わずかにも、態度は変わらなかった。もっと言えば」
すぅ、と大きく息を吸って、私の手を握り返す。
「僕の外見も、院生だの、博士だの、春から助手になるだのといった肩書の部分についても、僕がそれをどんなに武器として振りかざしても駄目でした。真知子さんはいつだって、誠実に、生涯添い遂げられる相手を探してらっしゃいました。そんな彼女だからこそ、僕のような浮ついた人間は眼中になかったんだと思います」
そこまで言って、白南風さんはくすりと笑った。それにつられて母が苦笑する。この子はほんと真面目過ぎるというか、と泣き笑いのような顔をして。
違うよ。
私、そこまで誠実じゃなかったと思う。
ただ結婚がしたかった。
仕事を続けさせてもらえれば、それで良くて。そう思って。
だけど、欲が出た。
結婚はしたい。仕事も続けたい。そして出来れば、心が浮ついてしまうような恋愛だってしたい、と。
「だからこそ、真知子さんが良いんです。僕の内面を見てくれた彼女が良いんです。どうしても。何度振られても、どうしても諦められなくて」
彼がそう言うと、目の前にいる四人はそろって目を丸くした。さっきまで興味なさげにおせんべいをかじっていた麻美さんまでもだ。いや、麻美さんはさっき三千仲町の話をした時にちょっとだけ反応してたけど。
「真知子、あなたいまの本当なの?」
「え、は、はい!? 何が?」
「何度も振ったのか? 恭太君を?」
「え? あ、うん、まぁ」
「すげぇな姉さん。普通飛びつかねぇ? このスペックだぞ?」
「だ、だって」
いや、あなた達は、私達の『馴れ初め』をちゃんと知らないから! 誰だって断るから、あんなシチュエーション! 言えないけど! 言えないけど!
「無理もないですよ。僕が軽薄すぎたのがいけなかったんです。心を入れ替えて結構頑張ったんですけど、まったく信じてもらえず……!」
「まぁっ!」
ふるふると首を振り、そう話す白南風さんはなんだか芝居がかっている。それに釣られてか、母の動きもなんだか芝居調だ。
「でもまぁ、逆に言えば、それだけ姉さんのこと好きってことだもんなぁ。大丈夫なんじゃね? まぁ、俺は別に反対する気はなかったけど」
「まぁ、俺も別に反対したいわけじゃないからなぁ。ただまぁ、ほら、価値観ってぇやつが違うと結婚生活はうまくいかねぇからよぉ」
「そうよね、特に金銭感覚は大事。でもまぁ、行きつけのスーパーがタニヤマートだっていうなら大丈夫かしらね」
お母さん、何なのそのタニヤマートへの信頼感。
「ちなみに恭太さん、あなた、玉子はいつ買う?」
待って、何その質問!
「そうですね。最近はだいぶ価格も落ち着いてきましたけど、一時期は酷かったですよね。一部の富裕層だけが手に出来る高級品というか。いまは毎週土曜の百五十八円の日だけと決めています」
「合格」
何それ!
「お母さん?!」
「真知子、恭太さんを大事にするのよ」
「それはするけど! 何なの、玉子をいつ買うかで合格って!」
「だって姉さんだって百五十八円の時に買うんじゃねぇの?」
「それはそうだけど!」
「牛乳だって百九十八円の時に買うよな?」
「当たり前じゃない!」
「恭太さんもそうよね?」
「もちろんです。牛乳は水曜が特売日です」
「ほらぁ」
「何が『ほらぁ』なの!?」
私を除く沢田家の面々はニヤニヤと笑っている。あっ、麻美さんだけちょっと引いてる。私と同じだ! ちょっとだけ親近感。仲間ですね!
「いや、だから金銭的な価値観の話だろ。こういう些細なことでもさ、積み重なればストレスなんだって、夫婦ってのはさ。他にもあるぞ? 子どもの躾とか、教育費はどこまでかけるかとか、あとは家は賃貸か戸建てかとか。いや、それ以前に子どもか。何人欲しいかってのも――」
「待って待って待って。気が早い!」
義孝が一つ一つ指折り数えていくのを、上から包み込むようにして阻止する。
「いや、早くはないわよ。あなたもう三十二でしょう?」
「それはそうだけど」
だけど、私達まだ全然そういう段階じゃなくて! なんて言えないけど!
「まぁまぁ文子さん」
「あら、文子さんだなんて他人行儀な。もう『お義母さん』で良いのよ、そこは」
「ありがとうございます、お義母さん。それで、まぁその辺りにつきましては、今後ゆっくり話し合いますので、まずは――」
そこで、少し溜める。
何だ? とその場の全員が固唾をのんで彼を見つめた。
「大掃除始めませんか?」
その言葉で思い出す。
そうだ、今日は大晦日じゃないか、と。
父と母が慌てて立ち上がり、「やべぇ、忘れてたわ」と義孝が緩慢に動き始める。
食堂さわだ、今年最後の大仕事である。
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