食堂さわだ、仕事納め 2

「いやー、しっかり手伝わせちまって」

「いえ、これくらい」


 午後三時、食堂さわだの年内の営業が終わり、このあとは厨房の大掃除をするのだが、まずは一旦休憩だと、卓を二つ使ってのお茶会が開催されている。蓮君はお昼寝の時間だ。


 お茶会といってもそんな洒落たものではなく、残った惣菜やら何やらと、常連さんからもらったおせんべいやら一口チョコレートなどを卓の上に全部広げて、ほうじ茶を啜るだけのやつだ。食堂さわだでは毎年の光景である。


、意外とやれるもんだな」


 またちょっと意地悪な顔をして、義孝が茶化す。


「博士様はよしてくださいよ。そんな意外と言われるほど何もしてませんって。食器を洗ったくらいですから」

「いーや、俺はそれすらも出来ないと思ってた。何枚割るかなって楽しみにしてたんだ。てっきり姉さんに全部やらせてるものかと思ってたのに」

「まさか!」


 思わず私が声を上げる。むしろそんな機会だってまだないんだから!


 何せ私達のお付き合いが始まったのはクリスマスだ。まだ私達はお互いの部屋に上がってすらもいない。でも、それを言えば、付き合ってまだ一週間も経っていないことがバレてしまう。義孝はそれを知っているはずなのに。


「これでも一人暮らし歴が長いものですから、基本的な家事は出来ますよ。飯だって作ってましたし。ただまぁ、当たり前ですけど、学食で食べる真知子さんの料理の方が何倍も美味しいものですから」

「ま、待ってください。学食は皆で作ってますんで、決して私一人の力では――」

「って僕が言うと、必ずこうやって一生懸命否定してくる謙虚なところがまた可愛いんですよ」

「ちょっ……!?」

「あら〜〜〜!」


 さらりと放たれる惚気に、母は大興奮である。母は昔から純愛ドラマが好きなのだ。不倫だの略奪だのといったドロドロしたものよりは、好き合った者同士が苦難の末に結ばれる物語が大好きで、きっと、本当は娘ともこういう『恋バナ』とやらに花を咲かせたかったに違いない。もしかしたら、お嫁さんとも、かもしれないけど。その場合はもちろん自分の息子との惚気話になるわけだけど。


「でもまぁ確かに、職員さん達にそれぞれ持ち場があって、全員で作ってるのは間違いないんですよ。ですけど、最近知ったんです、『お夜食セット』の存在に」

「『お夜食セット』? そんな遅い時間までお仕事してるの?」


 ちょっと働かせすぎじゃない? と白南風さんではなく、私に視線を向けてくる。院生の研究とやらは『働く』と表現すべきものなのかはわからないが、恐らく母の中では既に白南風さんは学校勤務になっているのだろう。わかる。この年で「学生です」って名乗られてもちょっとバグるよね。

 それに、そんな遅い時間まで『お夜食セット』を出せるとしたら、それを提供している側も相応の営業時間になるんだけど、そっちは心配してくれないの、お母さん!?


「いえ、学食そのものが七時閉店なので、そんなに遅い時間までいるわけではないんですよ。ですけど、それくらいの時間になるとどうしても腹が減って」

「そりゃそうだ。俺も閉店間際はいつもつまみ食いしてる」

「お父さんたら。あたしはお茶で我慢してるのに」

「料理作ると腹が減るんだよ。なぁ義孝」

「俺、ノーコメントで」

「これは義孝も共犯ね」


 そんな家族の会話に、麻美さんは加わってこない。私がもっとそういうのが上手ければ、話題も振ったり出来るんだろうけど。


「それで? 『お夜食セット』が?」


 その点母は上手い。脱線しかけた話題をきちんと戻すことが出来る。


「そうそう、その『お夜食セット』はですね、なんと、真知子さんが全部作ってくれるんですよ」

「あらっ、そうなのね!」

「い、いや、絶対に私じゃないと駄目ってわけでは……! たまたま手が空いてるのが私だっただけで」

「いやいや、僕の玉子焼きの好みをわかってるの、真知子さんだけですから」

「内訳は? 玉子焼きと?」

「おにぎりとウィンナーです。本当に、受験生が夜食に作ってもらうようなラインナップで」

「あぁはいはい。この子達にもテスト前によく作ったわねぇ」

「それが二百円で食べられるんですよ」


 うまいこと儲けてるな、ウチでもやるか? などと盛り上がる男性陣を、母はニコニコと眺めている。麻美さんは居心地悪そうにひたすらおせんべいを齧っていて、何だか居たたまれない。何か話しかけた方が良いのでは。麻美さんも会話に加われるような話題はないかと必死に探すも、考えれば考えるほど浮かんでくるのは、こないだのクリスマスに端を発するアレコレばかりだ。


 聞きたいことは山程ある。でも、聞けない。皆がいるからどうこう以前に、二人きりでもたぶん私からは無理だ。胃がキリキリと痛い。


「恭太さんもやっぱりお母様にお夜食作ってもらってた?」


 母が、思い出したように言う。

 そういえば昨日、父も母も弟も白南風さんの家庭環境について何も触れていないのだ。


「そうですね。おにぎりの時もありましたし、うどんの時もありました」

「やっぱりそれくらい勉強しないと博士になんてなれないわよねぇ」


 義孝の一言で、白南風さんの立場は『院生』から『博士』になったらしい。だが、白南風さんも母に対しては否定しづらいのか、「よしてください」とは言わなかった。


「それでですね」


 こほん、と小さく咳払いをして、白南風さんがゆっくりと一人一人と目を合わせた。


「僕の家庭環境の話をさせていただこうと思うんですが」


 その言葉で、父と母が、ハッとした顔をした。たぶん「そういや聞くの忘れてた」とでも考えているはずだ。


「僕の家は母子家庭です。母は未婚で僕を産み、育ててくれました」


 昨今では片親家庭なんて決して珍しくはない。ウチの常連さんの中にも、旦那さんのDVで離婚したというシングルマザーや、奥さんが男を作って出て行ったというシングルファーザーもいる。


「お母さん、ご苦労なさったわね」

「女手一つで大学かぁ。しかも院までだろ? 相当大変だったろうな」


 両親がそう話す隣で義孝は「もしかして奨学金の返済が残ってたり……?」と難しい顔をしている。確かに女手一つで大学までとなると、心配になるのは金銭面だ。まさかと思うけど、白南風さん、実はお父さんが某大手製薬会社の重役だの、昨日見せようとしていた通帳やら何やらをここで出す気なのでは……! 


 そりゃあ経済的に安定してた方が良いに決まってるし、安心材料はあるに越したことはないけど! でもさすがにそこまでは!


 か、鞄! 鞄が近くにあったら危ない! 


 そう思い、ソワソワと辺りを見回す。でもよくよく考えてみれば、さっきまで仕事を手伝っていたのだ。鞄なんて持ち込むわけがない。


「真知子あなたさっきからどうしたの?」

「珍しく落ち着きがねぇな」

「姉さん、トイレなら行ってくれば?」

「ち、違うから! その、何でもないから!」


 ぶんぶんと手を振って必死に否定する。義孝もこんなところでトイレとか言わないで。違うから。


 ちら、と白南風さんを見ると、懸命に笑いを堪えているようで、握り拳を鼻の下にあて、口元を隠している。彼はどうやら私の心を見透かしているらしい、拳を少しずらして口の動きだけで「わかってるって」と伝えて来た。それを見てほっとする。


「母は三千仲町でクラブを経営しております。あまり馴染みはないかもしれませんが、『Blancブラン』と『Noirノワール』という名前で、まぁ……いわゆる、飲み屋ですね」


 濁した表現をしたが、さすがに父も母もわかるだろう。『飲み屋』といっても、居酒屋の類ではなく、きれいなお姉さんと一緒にお酒を飲むところだと。親という立場の人間からしてみれば、良い印象を持ちにくいかもしれない。


 二人の反応が怖い。

 なんて思って身を固くしていると。


「あら、それちょっと大丈夫かしら」


 口火を切ったのは母だった。

 彼女の方を見ると、片頬に手を当てて眉を下げ、父の方を見ている。


 父もまた「そうだなぁ」と難しい顔をして返す。義孝もまた、腕を組んで「確かに」と深く頷いた。麻美さんもなんだかそわそわしている。


 どうしよう。

 もしかして、反対されちゃう?

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