§ サワダアサミの応報③ §
沢田夫妻の話し合い
【沢田義孝視点】
息子を抱えてさわだへ戻ると、何かを聞きたげな両親に出迎えられた。そりゃそうだ。麻美は、と尋ねると、既に二階にいると言う。両親に「あとで話す」とだけ告げ、店を任せて家に入った。閉店間近で客もいない。ましてやクリスマスである。レストランならまだしも、ここは大衆食堂なのだ。
蓮を抱きかかえて慎重に階段を一段ずつ上がる。俺の子だと、その重さを噛み締めながら。離すまい、落とすまいと。そんなことを考えずとも、手を離したりなんてするわけがないのに。そう念じてもいないと、それで頭の中を満たしていないと、僅かな隙間に良くない考えが入り込んできそうだったのだ。
帰宅後、果たして麻美は両親にはなんと説明したのだろう。孫を連れずに一人で帰宅した理由を、何と説明したのだろうか。家に向かうまでの道中で必死に考えたはずだ。クリスマスのこの日、一緒に出掛けたはずの子どもを置いて一人で帰宅しても疑われない『自然な理由』を。
そんなものあるわけがない。
クリスマスは、幸せなイベントであるはずなのだ。
ウチは食堂で、クリスマスだって営業しているから、一般家庭のそれとは少々違う形になってしまうが、それでも俺と姉さんはこの店で毎年それを祝って来た。奥の座敷で、父さんが作ったご馳走と、母さんが用意してくれたケーキを食べ、小さなプレゼントをもらうのだ。サンタからのプレゼントは別にあった。親からしてみれば、サンタクロースという存在を否定することは出来ないが、やはり『自分達からのプレゼント』というのもあげたかったのだろう。普段かまってやれない子ども達に、何かしてやりたいという気持ちだったのかもしれない。
ある程度大きくなってからは、姉弟間でのプレゼント交換もあった。俺に彼女が出来て、一緒にクリスマスを過ごすことがなくなっても、それでもプレゼントを贈り合う習慣だけは残った。
蓮は一人っ子だから、姉さんのようなきょうだいはいないけれども、それでも母親はいる。俺達の母さんは店で働いていたけれど、蓮の母親は一緒にいる。いるはずだった。少なくとも去年はそうだった。俺と父さんが作ったオードブルと、母さんが用意したケーキを二人で食べて、ジジババサンタと伯母からのプレゼントを渡して、と、そういうイベントだった。
なのに、今年は何だ。
どうしてこうなった。
いつからだ。
愛しい我が子をベッドに下ろした途端に、ぐるぐるとそんなことを考えてしまう。
どうする。
これからどうする。
蓮のために、どうするのが正解なんだ。
居間に行くと、そこに麻美はいた。ソファの真ん中に陣取り、一応は反省しているような顔を作っている。
とりあえず、二人分のコーヒーを淹れて席に着いた。
「違うの」
それが第一声だった。
「違うって何が。俺はまだ何も言ってないけど」
「ヨシ君絶対何か誤解してると思って」
「誤解って? 俺がどう誤解してると思ってるわけ?」
「私が浮気してるって思ってるんじゃないかって」
「違うの?」
「違うから!」
「じゃあ誰と会ってた?」
「友達」
「へぇ」
「あのね、ヨシ君が思ってるような疚しいことは何もないから!」
「でも男なんだろ?」
「お、男でも、友達だし。私昔から男女関係なく友達多いから」
「へぇ。友達、ねぇ。子ども預けてまで会う友達って、何?」
「え、と」
「友達なんだったら、お前が既婚者で子持ちだってことくらいわかってそうだけどな」
「それは」
「だったら子ども同伴で会えば良くね? それとも、蓮には見せらんねぇようなことしてたわけ?」
そう畳み掛けると麻美は黙った。恐らく、俺がここまで突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。何せ、これまでもそう深い話はしてこなかったのだ。
俺達は、確かにそこそこ長く付き合ってはいたけれども、結婚する予定はなかった。そろそろ結婚をと考えた時、麻美との未来は想像出来なかったのだ。頃合いを見計らって別れるつもりで、でも何となくズルズル続いているうちに蓮が出来た。きっちり避妊していたとはいえ、百%ではない。出来るようなことをしていたのだ。男として、責任は取らねばならない。
結婚の経緯としてはそんなものだったが、子どもは可愛い。結婚生活が続いたのは蓮のお陰だ。俺と麻美の間を繋いでいるのは蓮だ。蓮がいるから、別れられない。もちろん、邪魔、というわけではなく。
いま別れたら、親権を奪われるのではないか。
それが怖くて。
だから別れられなかった。
いまこんな状況だからこそかもしれないが、これを理由に親権を取れないだろうか、と、そんなことを考えている俺がいる。
「と――友達の、その、個人的な悩みを聞いてて」
「……個人的な?」
「そ、そう! すごくプライベートなことだから、蓮にも聞かせられなくて!」
「蓮はまだ五歳だぞ? 大人の話なんて理解出来るわけないだろ」
「違うのよ。ほら、この年の子どもっておしゃべりじゃない? 口止めしてもペラペラペラペラ――」
また調子が戻って来たようで、水を得た魚のようにいきいきと麻美はしゃべり出した。確かに子どもは何でも話してしまうものだ。だけど、ウチの蓮は違う。
「月に何回もおばさんに預けられてることを黙ってられるような子なのに?」
そう指摘すると、麻美は再び固まった。小さく歪んだ口元からかすかに「あの女」と聞こえる。
「なんて言って口止めしたんだ。俺も、たぶん、親も知らねぇぞ。蓮が姉さんに預けられてたこと。おばさんにリオン連れてってもらっただの、遊んでもらっただのって、普通ならしゃべりたくて仕方ないはずだろ」
「それは」
「それは?」
そこからはだんまりだった。
うまい言い訳が見つからないのだろう。黙れば黙るほど不利になると思わないのだろうか。きっとそのうち俺が折れてなぁなぁになると思っているのだ。これまでもそうだったから。明日も俺は朝早くから仕込みがあるから、そこまでの時間なんて取れないのである。それを麻美はわかっている。
だからだろう。
俺が立ち上がると、ホッとしたように肩の力を抜き、冷めたコーヒーに口をつけた。何とか乗り切ったとでも思っているのだ。
FAX機能付きの電話を置いている棚の引き出しを開け、USBメモリを取り出す。特に何が入っているでもない、空のやつだ。それをぎゅっと握って席に戻った。
「そいつの名前は?」
「え」
「名前」
「なま、え」
「さっき会ってたっていう友達の名前。あと務めてる会社も」
「そ、れは、だから、プライベートな悩みを聞いてたから、いくらヨシ君でも」
「あっそ。じゃ、スマホ見せて」
「ねぇ、話聞いてた? プライベートな」
「疚しいことはないんだろ?」
「っな、ないけど」
「見せて」
表情も崩さずにそう言うと、麻美は渋々ポケットの中から、それを取り出した。指紋認証でロックを開けさせる。
「な、何もないでしょ?」
へらへらと笑っている。
確かに、何も無い。
何も。
「慌てて全部消したのか。証拠隠滅ってやつだな」
「そういうわけじゃ」
「こんなことしたら逆に怪しいってわかんねぇ? 怪しまれても、決定的なところさえ掴まれなきゃ良いって思ってないか」
「そんなこと」
「たださ」
ゆっくりそう言ってから、手の中のUSBメモリをちらりと見せる。
「
は? と極限まで目をかっ開き、麻美が震え出す。
「ご――、ごめんなさい。あの」
「一時間か」
「え」
「お前からその言葉が出るまでにかかった時間。あり得なくね? 仮にお前の話が本当だとしてもさ、最初に出るべき言葉は、『違う』だの何だのじゃなくて『ごめんなさい』なんじゃねぇの?」
クリスマスの予定がある義姉に無理やり子ども預けて、
隣の部屋の蓮に聞こえないようと必死に声を抑えてそう言ってやった。
少しは萎れるかと思った麻美は、破裂せんばかりの憤怒の形相で相手の情報を吐いた後、やっぱり――、
あの女。
と呟いた。
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