顔合わせのその後で 2
その翌日、十二月三十一日も、食堂は営業中である。食堂さわだは基本的に盆暮れ正月の数日しか休みがない。仕事納めは本日の午後三時。次に店を開けるのは一月三日の昼だ。私達は二日のお昼に帰る予定である。
「ねぇ、店は大丈夫なの? 私までこっち来ちゃって」
助手席から、ハンドルを握る弟にそう声をかけるが、
「んー? 大丈夫だろ」
と、何とも気の抜けた声が返ってきた。
「でも、親と麻美さんしかいないし、そんなところに白南風さんもだなんて」
何がどうなって麻美さんも手伝うことになっているかわから……ないわけではないけど、でも、あの態度からして、恐らくは彼女が自ら進んで――つまり、なんていうか、償いとして、みたいな――行っていることではないと思う。そんな中に、白南風さんもいる。皿洗いや接客をしているはずだ。蓮君はというと、既に幼稚園は冬休みに入っていて、かつての私達のように、奥座席で遊ばせている。去年までは麻美さんと二人きりだったので、皆がいる環境が珍しくて楽しいらしい。
今回の帰省の目的は『結婚の承諾を得る』ことだ。だから
すると、
「僕にも何か手伝わせてください」
と白南風さんが名乗り出た。
もちろん、父も母も「お客さんにそんなことはさせられない!」と反対したが、そこへ「もう客じゃねぇじゃん」と割り込んだのが義孝だ。もう家族になるんだろ? と悪い顔をし、白南風さんもそれに乗っかって「もちろんです」と答える。そういう経緯で、いま、店の手伝いをしてくれている、というわけである。
私と義孝はというと、お得意さんのところにお弁当を配達しているところだ。これはほんとのほんとの特別メニュー。事情があってお店に来られない常連さんにだけ、そして、この時期だけの特別なやつである。一応、年越し弁当のつもり。どうしても配達に人が取られてしまうので、白南風さんが手伝ってくれるのは本当に助かる、というか、彼がそう言ってくれたことで、私も手伝いやすくなったから、それは有り難いんだけど――。
「でも、まさか白南風さんに店の手伝いをさせるとは」
ぽつりとそうこぼすと、ふふっ、と笑う声が聞こえた。
「名前呼び定着してないの?」
「えっ、あ、いや、その」
「まだ付き合って日が浅いんだろ」
「ええと。その、まぁ」
「別にいんじゃない? のんびりお付き合いしてられる年でもないんだし」
「それは、まぁ」
その通りなのだ。私もそのつもりで婚活してたし、白南風さんとも話し合って、入籍自体は早めても良いんじゃないか、ということになっている。まだまだドキドキする恋愛はしていたいけど、それでも三十を過ぎた女が、相手がいるにも拘らずいつまでも籍を入れないというのは、私の親が心配するのでは、というのが理由だ。
「思ったよりまともなやつだったな」
「思ったより、って。どんな人だと思ってたの?」
「姉さんを金づると思ってるホストとか」
「ちょ……っ! ちょっと!?」
「仕方ないじゃん。まさか姉さんがあんなイケメンと付き合ってるなんて思わなかったし。意外と面食いだったんだな」
「だから、そこで選んだんじゃないんだってば。白南風さんの顔が良いのはたまたまというか」
私だってまさか本当に好きになると思わなかったし。
「だけどまぁ、ホストじゃなくて博士なんだろ? 俺も父さんと同じで学がないタイプだからさ、その年まで何をそんなに学ぶことがあるんだよ、ってのが正直なところだけど、とにかくすげぇってことはわかるよ。元々賢いのかもしれないけど、それでも、並大抵の努力ではないだろうし」
「それは、うん、たぶん」
「それだけで人間性が測れるわけじゃないだろうけど、でも、真面目なやつなんだろうなってことはわかった。あとたぶん、ハマれば一途なのかなとか」
ハマれば一途、という言葉にどきりとする。身に覚えがありすぎる。たぶん、彼は私に『ハマった』のだろう。
「幸せになりな、姉さん」
「……う、うん」
俯いてもごもごと返事をすると、それに被せて「俺も」という言葉が聞こえる。聞き返そうとしたところで、「着いたぞ」と車が止まった。
数件の配達を済ませて、再び車に乗り込む。
さっき聞きそびれたことも気になるけど、それ以上に、義孝の家庭環境――というか、麻美さんの件が気になる。まぁ、婚約者の実家というアウェーな環境で孤軍奮闘しているであろう白南風さんも気にはなるけど、彼のことだからきっとうまくやっているだろうし。
何をどう切り出したものかと、口を開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返す。
「俺に何か聞きたそうだね」
たぶん、謎に口をパクパクしているのに気づいたのだろう。苦笑混じりの声が聞こえる。
「えっと、あの、私が首を突っ込んで良いことじゃないのかもなんだけど」
「麻美のことだろ」
ズバリ突かれて、思わず「んぐっ」と喉が詰まる。
「突っ込んで良いでしょ。さんざん迷惑かけられたんだし」
「迷惑とかそんな」
「危うく
「ど、どうかな」
曖昧にそう濁したけど、恐らく、諦めなかっただろう。あの時はそう思えなかったけど、いまならわかる。白南風さんはきっと私を諦めなかっただろうと。
「一生懸命言い訳並べてたけどな。まぁ、浮気」
「っそ、そう、なの?」
「最初はさ、友達と会ってた、疚しいことはない、なんて言ってたんだ。でも、子ども預けてまで会う友達って何だ、って問い詰めたら黙ってさ。スマホ見せろって言ったら渋々渡してきたけど、通話履歴も、トークアプリの履歴もきれいに消されてた」
「それじゃあ本当に浮気してたかどうかなんて」
「いやいや。逆におかしいだろって。普通、疚しいことがなければそんなもの消さねぇよ。疚しいから消すんだろ」
「あ、そっか」
全く姉さんはこれだから、と眉を下げて笑われる。
「でも確かに、証拠はないわけ。限りなく怪しい状態、ってだけ。だからまぁ、ちょっとカマかけたんだよな」
「カマ? どんな?」
「まぁ、『
「証拠なんて」
「ないけどな。空っぽのやつだよ。でも、そしたら真っ青になって、騙されただの、今回だけだのってベラベラと」
「えぇ――……」
今回だけのはずはないのでは。
「姉さんからもう聞いてたあとだからな、月に何回か蓮を預けてるって。だから、そこも突いて、『本当に悪いと思ってるなら、いまここで、相手の名前を言ってみろ』って言ったわけ。『こっちで押さえてるのと違うやつならいま言ったのも全部嘘だし、相手が複数いるとかマジで無理だから即離婚。同じやつだったら、猶予を与えても良い』って」
「すごいハッタリじゃない。だって、名前なんて押さえてないんでしょ?」
「まぁね。で、とりあえず素直に名前やら会社名やら吐いたから、とりあえず猶予期間ってわけ」
「そ、それで、どうするの? その、もし――」
猶予期間ということは、もし万が一、この間にその人と再び会うようなことがあれば。
そこまでは言えなかったが、義孝は私が言わんとしていることをちゃんと読み取ったらしい。
「まぁ、そん時は離婚だろうな。無理だろ、普通に」
「そ――うだよね」
心臓がバクバクする。
あの時私が義孝に連絡しなければ、こんなことにはならなかった。浮気の事実は変わらなかっただろうが、それでも義孝は何も知らなかったのだ。表面上は仲の良い夫婦のままでいられただろう。
私が弟の家庭を壊したのかもしれない。
私が。
「姉さんのせいじゃないから」
その言葉にハッとして顔を上げる。下瞼にギリギリ引っかかってた涙がほろりと落ちた。
「でも」
「何となく、そんな気はしてたんだ。遅かれ早かれこうなってた。だから、姉さんのせいじゃない」
俺に見る目がなかっただけ。
そう言って、義孝は寂しそうに笑った。
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