顔合わせのその後で 1

「はー、緊張した」


 客間である。

 布団はきちんと二組敷かれている。その片方にごろりと大の字になって、白南風さんが、深く息を吐いた。


「全然そんな風には見えませんでしたけど」

「余裕があるように見えた?」

「えぇと、はい、すごく」


 多少義孝に押されていた感はあったけど、それでも全然負けてなかったし。結局、入籍の日や式についてなどは、また決まったら報告するということで、『私の両親へのご挨拶』は終了した。


「良かった、マチコさんにはそう見えてて」


 ふにゃりと笑って、鞄の方に視線をやる。白南風さんは、着替えなどの入った小さめのボストンバッグとは別に、ビジネスバッグのようなものも持って来ている。てっきりここでも何か仕事をするつもりで持って来たのかと思ったのだが、バスの中でもそれを広げる様子はなかった。


「絶対にもっと色々突っ込まれると思ったんだよな。いや、普通はもっと聞かれると思うんだけどさ。家族のこととか、院生だし、卒業後も助手でそのまま大学に残るわけだし、どんな研究してるのかとか」

「あぁ――……まぁ、それは確かに」


 家族のことに関してはたぶん、父も母も浮かれてたり、緊張したりで聞きそびれたのだろう。それにまだ滞在期間もあるし。あと、研究内容を聞かなかったのは、恐らく、聞いてもわからないと判断したからだと思われる。


「だからさ、色々持って来たんだよ」


 むく、と起き上がってビジネスバッグに手を伸ばす。ジィィ、とファスナーを開けると、中にはぎっしりと書類が詰め込まれていた。


「これは……何ですか?」

「俺の修士論文のコピー。さすがに博士のはまずいけど修士の方なら、って教授には許可もらったから問題ない。それから、通帳と、エスエイチ製薬の株券」

「ままままま待って待って待って。待ってください」

 

 教授も結婚の時苦労したみたいで、納得させるために論文見せたって言っててさぁ、などと言いながら取り出そうとする紙の束をそのまま鞄の中に戻す。


「何?」

「何、じゃないです。何なんですか!?」

「え?」

「論文のコピーは良いとして、通帳とか株券って何ですか? どうしてそんなものまで持って来たんですか? なくしたりしたら大変です!」

「だって、やっぱり助手の給料は低いしさ、それで反対されるかもって思ったから、給料自体は大したことないけど、貯金とか色々あるのでご心配なく、って。まぁ、切り札というか。あ、印鑑は持ってきてないから大丈夫」


 見る? マチコさん、と再び鞄の中に手を入れるから、「見ません! 大丈夫です!」とそれを断る。


「そう? マチコさんは見る権利あるから、いつでも言って」

「あの、本当に大丈夫ですから。逆に見るの怖いです。それは本当にもしもの時のために取っておいてください。くれぐれも無駄遣いしないように」

「うーい」


 かなりきつく注意したつもりだけど、本人はわかっているのかいないのかニヤニヤと笑って左右に揺れている。


「……あの、何ですか?」


 その笑みが、何かを訴えかけているようで、何だか落ち着かない。正座をしていた足を崩そうかと、もぞ、と動く。それを見て、胡坐をかいていた白南風さんが、「こっち来て」と自身のいる方の布団をぽすぽすと叩いた。足を崩すついでに、膝歩きで移動すると、彼の布団の上に到達した瞬間に、がばりと抱き着かれた。


「わぁっ! あっぶ……!」

 

 危ないです、と抗議するも、彼は「ごめんごめん」と軽い調子だ。


「な、なななな何ですか、いきなり」


 ただでさえまだまだ経験の乏しい私である。こうして抱き合ったことだってまだ数回だし、キスもその先もまだである。だから現在の私の心臓は『早鐘を打つ』なんてもんじゃない。そのまま破裂してしまうのではなかろうか、というレベルで脈打っている。


「感極まってる。色々と」

「い、色々、と?」

「マチコさんが育ったところに来られたこととか、マチコさんを育てた味を知れたこととか、ご両親と――あと義孝さんの許しを得られたこととか」


 あとは、と言って、しばらく沈黙して――、


「マチコさんとの結婚がまた一歩近づいたこととか」


 そう、噛みしめるように言う。


「……なぁ、マチコさんも俺の親に会ってくれる?」

「それは、もちろんです」

「俺の母親、まぁ、いわゆる『水商売』ってやつなんだけど」

「何か問題ありますか?」

「世間一般的にはあんまり好ましくなかったりするじゃん。イメージ良くなくない?」

「そうでしょうか。白南風さ――恭太さんがここまで立派に育ったのは、お母様のお陰なのではないんですか?」


 そりゃあもちろん、『反面教師』なんて言葉もある。「ああはなるまい」と努力した結果、その人とは逆の人間に育つ、というような。


「まだ私は、しら、恭太さんのこと知らないことばかりですけど、さっき父も言っていた通り、お箸の持ち方や食べ方がとてもきれいなので、きっとお母様の育て方が良かったんじゃないかなって思って」

父子おやこ揃って見るとこ同じかよ」

「よく言われたんです。食事の仕方に全部出る、って。一緒にご飯を食べて、恥ずかしいと思ったら、その人はやめなさい、って」

「ほぉ」

「私も決して褒められたものではありませんけど」

「いやいや、マチコさんもきれいだよ。あっ、いまのは食べ方の話ね。まぁマチコさん自身がきれいなのは否定しないけど」


 でもあんまり真正面から褒めるとマチコさん照れちゃうからなぁ、と笑う白南風さんの方がなんだか照れているように見える。


「結構、厳しいんだよな、ウチの母親。なんていうか仕事柄、いろんな男を見てるわけよ。それで、『こういう男はモテない』だの『良い男はこういうところに気を付ける』とかって、そういう英才教育が」

「成る程、そういう……」


 どんなに羽振りの良い男でも、食べ方が汚いやつは駄目だとか、酒の飲み方も知らないやつは三流だ、物腰や仕草、言葉の選び方、物の扱い方にこそその人の人間性が出るものだ、なんて言葉を、小学生の頃から聞かされていたのだという。


「そんで、学歴がないのがコンプレックスだったとか言ってさ、教育にめっちゃ金かけてくれたわけ。その結果が、これよ」


 と、鞄の中の分厚い書類を指差す。


「いまは三千仲町さんぜんなかまちの駅近くに店を二つ持ってる。小さいけどね。クラブのママ、ってやつ」

「三千仲町にお店を二つも……!」


 三千仲町はここよりもずっと華やかなところで、いわゆる、高所得者層の街である。六月町の駅前にも飲み屋街はあるが、そことは全然客層が違う。


 確かに、エスエイチ製薬の重役さんが利用すると考えたら、六月町にあるスナックではないだろう。それよりは、三千仲町にある高級クラブになるのではないだろうか。まぁ、スナックとクラブの違いはいまいちわからないけど。


「だからまぁ、別に親父の方と一緒にならなくても全然生活出来たんだよな」


 そんなことをあっけらかんと話すが、「それでもやっぱり良い顔されないんだよ、母親がソッチ系の仕事してるっていうのはさ」と白南風さんはちょっとだけ表情を曇らせた。


「だから、マチコさんが全然気にしてないみたいで、安心した」


 と、強く抱き締められる。


「すげぇんだよ、あの人。自分の母親を上げると『マザコン』とか言われるかもだけど、マジすげぇの」

「あの、『マザコン』なんて思わないですよ。家族を大事にするのは当たり前ですし」


 ましてや白南風さんは一人っ子だと聞いている。母一人子一人で暮らしてきたのだ。大切に思わない方がおかしいだろう。


「仕事柄どうしても昼夜逆転しがちになるんだけど、飯は手を抜かなかったし、学校行事だって絶対に来てくれるんだよな。睡眠時間何時間だよ、って」

「それはすごいですね」

「だろ? そのうち飯は俺が作るようになったけど、掃除に関してはこだわりがあるらしくて、俺の部屋以外は全部自分でやっててさ」

「パワフルな方なんですね」

「そう、すごいんだよ。人と接するのと、それから人を育てるのが好きみたいだから、生涯現役で働く、なんて言ってる」

「……あの、私みたいなのが相手で本当に大丈夫でしょうか」


 ちょっと心配になって来た。

 どう考えても、タイプが真逆すぎるのだ。

 コミュニケーション能力に差がありすぎる。

 一生懸命育てた可愛い一人息子がこんなコミュ障の年上女に盗られたとなったら、怒り心頭かもしれない。


 むくむくとそんな気持ちが湧いてきて、ずぅんと気持ちが重くなる。


「マチコさん、俺の話聞いてた?」

「へぇ? 聞いてましたけど」

「だったら、大丈夫ってわかるじゃん?」


 あの人、内面をしっかり見るから。


 そう言って、にこりと笑い、白南風さんは私の頭を優しく撫でた。


 えっと、『内面』を見るのなら、なおさら駄目なのでは。

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