§ サワダマチコの結婚① §

貝瀬学院大学学食忘年会 1

「あっ、マチコちゃーん! こっちこっち!」


 騒がしい店内でも笹川ささかわさんの声は、キン、と良く通る。ピークタイムの学食でも全く負けない、矢のような声だ。羨ましい。


「すみません、遅くなりました」


 出口、反対の方出ちゃって、と頭を下げると、既に集まっている先輩方は「良いの良いの」とぱたぱたと手を振った。


「わかりにくいのよねぇ、三番出口って言われても、どれが三番よ、ってなるものねぇ」

「わかるわぁ、まずその階段? 出口? アレを見つけるのが一苦労なのよね。おかしいわよねぇ、矢印の通りに進んでるはずなのに」

「あたしはね、もういっそ聞いちゃう。その辺の人捕まえて!」

「さすがは真壁まかべさんよね。あたしには無理よぉ」

「まぁーた、そんなこと言ってぇ! 笹川さんなら出来るわよぉ!」

「無理よぉ! あたしそんな大胆なこと出来ないわぁ!」

「よぉっく言うわよ! 笹川さんこないだひょろひょろのあの――ほら、あの子、なんて言ったっけ、三上みかみ君? あの子捕まえて、『ちょっとアンタ、ちゃんとご飯食べてんの?!』って説教してたじゃない!」

「あっ、それあたしも見た! 結局三上君のA定、ご飯大盛りになってたものねぇ」

「三上君、涙目で食べてたわよ、もう!」

「だぁって、ウチの子見てるみたいでほっとけなくってぇ」


 私がいそいそとコートを脱いでいる間も、七人はキャッキャと会話を弾ませて楽しそうだ。ええと、皆さんまだお酒は入ってないんですよね? テーブルの真ん中には土鍋が二つ並んでいて、くつくつと美味しそうな湯気が上がっている。


「はいはい、マチコちゃんはこっちね」

「主役はこちら~!」


 と、小林こばやしさんと安原やすはらさんの間の席を指差され、「主役? ですか?」と首を傾げながら、そこに入った。


「そうよ、あたし達もう、今日はこれを楽しみに来たんだから!」

「そぉよぉ! マチコちゃんの恋バナをつまみに何杯でも飲めちゃいそう!」

「――あっ、店員さーん! 全員揃いましたんで、飲み放題お願いしますー! ハイッ、ビールの人~?」


 山岡やまおかさんの声に、お酒が飲めない安原さんと、ビールが苦手な私、笹川さん以外が手を挙げた。ひいふうみい、なんて数えるまでもないんだけど、店員さんにもわかりやすいように、という配慮である。


「おっけ。そんで、安原さんは……ウーロン茶? それともオレンジジュース? マチコちゃんと笹川さんはお酒どうする? カクテル? レモンサワー?」

「あたし、今日はウーロン茶にするわ」

「あたし、生絞りグレープフルーツサワーで。マチコちゃんはどうする? 車じゃないのよね?」

「あ、はい。車持ってないので。ええと、それじゃウーロンハイを」

「ハイハイハイハイ、ウーロンハイ~、なんちゃって。よっしゃ、店員さん、それじゃ生中五つとウーロン茶、生グレサワーとウーロンハイ、全部で八つ、あるわよね? お願いします」

「かしこまりました!」


 威勢の良い店員さんが去ると、向かいに座る四人が同時に、ずおっ、と身を乗り出してきた。えっと、あの、お鍋危ないです。


 で?!


 と、口火を切ったのは笹川さんだ。


「で、と言いますと……」


 いや、わかってはいるのだ。あの話だろう、というのは。けれども、「ああハイハイ、あの話ですね」とすぐに話し始められるような私ではない。四人の剣幕に圧されて、きゅっ、と肩を竦めた。


白南風しらはえ君よ、白南風君」

「クリスマス、一緒に過ごしたのよね?!」

「もー、あたし達、ドッキドキよぉ!」

「それでそれで? どうなの? お付き合いとかっ。そんな話になったりっ?!」


 四人が目をらんらんと輝かせて鼻息荒く迫って来る。まぁまぁ、とそれを押さえてくれたのは、隣に座る小林さんだ。「気持ちはわかるけどちょっと落ちつこ? まだ始まったばかりなんだし、せめて乾杯してからにしよって」と笑っている。その言葉で、四人が「確かにね」と座り直す。さすが学食ナンバーツーの小林さんだ。強い。


 が。


「ただまぁ、あたしもめっちゃ気になってるから、全部吐くまでは帰さないよ?」


 と、笑みを向けられ、ヒュッと喉から変な声が出た。



 ほどなくして飲み物が運ばれ、安原さんの音頭で乾杯をする。貝瀬学院大学学生食堂、忘年会の始まりだ。冷えたビールをごくりと飲むと、『ビール組』はそろって「っかぁ――ッ」と奇声を発した。それを安原さんが「イチイチうるさいのよ、アンタ達」と笑い飛ばす。飲み会のいつもの流れだ。いつもと違うのは、いつもは下座で店員さんとやり取りをしているはずの私が、上座に座っているという点だろう。


 上下関係は一応あるんだけど、そこまでギチギチに厳しくもない女の職場である。料理の取り分けも自由だ。前職の影響で下っ端がやるものとばかり思っていたが、ここの場合はどちらかというと、「若者にたくさん食べさせたい」人が集まっているため、


「いーのいーのマチコちゃんはやらなくて!」

「ちょ、山田やまださん、さすがにそれは盛りすぎでしょうよ」

「良いのよマチコちゃん細っこいんだから!」

「そうよぉ! 揚げ物なんてね、若いうちだけよ? たらふく食べられるの」


 などと言いながら、私からトングを奪ってしまうのである。どちらかといえば、食べることより飲みたい派の人達が集まっていることも理由としてあるかもしれない。


 それで。


「さぁて、もうそろそろインタビュー開始しても良い頃合いよね?」


 そんな落ち着いたトーンで安原さんが切り出す。学食の重鎮が動いたとなればもう逃げられない。


「はい、あの、ええと」


 何から話せば良いでしょう、と呟くと、ハイハイハイ! と笹川さんが元気よく手を挙げた。その声に店員さんが反応してこちらに向かってくるのを、真壁さんが「ごめんなさい、違います!」と慌てて訂正する。「笹川さんは元気すぎるのよ!」と窘められてるのがちょっと面白い。


「はい、笹川さん」


 小林さんがトーク番組のMCのように、仕切り出す。ナンバーツーから促され、笹川さんは、こほん、と咳払いをした。


「結局のところ、白南風君とどうなったの? どういう関係になったわけ?」

「うわっ、いきなりそこ聞いちゃうの?!」

「そうよ! まずはクリスマスデートの話からじゃないの? どこ行ったとか」

「そんなの後よ! あたしはまず二人の関係をはっきりさせたいの!」

「わかるわぁ。確かにそうよねぇ」

「それで? マチコちゃん、どうなの?」

  

 どうやらこの中でも派閥のようなものがあるようで、順序を追って知りたい派と、ズバリ白黒はっきりさせたい派に分かれるらしい。けれど、挙手をして指名されたのは笹川さんはっきりさせたい派である。私は聞かれたことに答えるだけだ。


「え、えと、その。あの、こ」


 けれど、なかなか『婚約』の言葉が出て来ない。えっと、違うな。婚約の、約束、だったっけ? いやよくよく考えたら婚約の約束ってなんだっけ? 四捨五入して『婚約』で良くない? 三口程度のウーロンハイで、既に酔っている自覚はある。


「こ?」

「こ?」

「こ、何? こ、の後は?」

「んもう、真壁さん、決まってるでしょ。恋人よ、恋人!」

「そっか! そうよね、むしろそれしかないわよね! そうなのね、マチコちゃん!」

「おめでとう、マチコちゃん!」

「いやー、おめでたいわぁ。おめでとうね、マチコちゃん!」


 わぁわぁとおめでとうの言葉を浴びるが、いや、違うのだ。似たようなものではあるけれど、厳密には違うのだ。だから、再びウーロンハイをごくりと飲んで、「いえ」と首を振る。


「っこ、こんっ、婚約しました!」


 勢いよくその言葉を吐き出すと、山田さんが、ングッ、と喉を詰まらせた。それに数人がぎょっとした顔をして「大丈夫?」と声をかける。げほげほとせき込む山田さんが軽く手を挙げて「大丈夫」と言うと、再び全員の視線が私に注がれた。


 それで。


 さっきよりも盛大な「おめでとう」の言葉を浴びることとなり、隣の席のサラリーマン達までもが、何だ何だとこちらを覗き込む。何が何やらわからないはずなのに、おばちゃんズの熱気に充てられてか、釣られて拍手までし「おめでとう」と声をかけてきたりして。その妙な盛り上がりがどんどん広まっていって、気付けば、はるか向こうの卓からも「おめでとう」の声が飛んで来た。


 クリスマスも終わり、一気に年末が押し寄せるこの時期のこの時間帯、そしてこの空間は、誰もがアルコールに浮かされている。

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