第31話 ルキ

 紗良は、ジークリオンの神聖力とラシェルの治癒魔法によって一命を取り留めた。


 傷を治癒することはできた。

 心臓も動いている。

 呼吸もしている。


 しかし、目を閉じたまま、未だ紗良の意識はもどらない。


 ルキ・セイントロードはベッドへ近寄ると、目を閉じている紗良の顔を見つめた。


 まさか、この女神フィーレ聖神殿へ来られた次の日に紗良さまがこの様な姿になられるとは……誰が予測できただろう?


 ジークリオンさまは眠っている紗良さまの体力が落ちてしまわないように、定期的に神聖力を注いでおられる。

 こんなにも紗良さまに心を傾けていらっしゃったとは。


 憔悴しきったジークリオンにルキたち……この女神フィーレ聖神殿でジークリオンに使える者たちは戸惑いと焦りを感じていた。


 聖女召還で現れた少女。

 何の力も無く聖女と証明されなかった少女。

 黒い猫を花畑で拾ってきた少女。

 子どもたちとあっという間に仲良くなった少女。

 ジークリオンさまを恐らく無自覚に翻弄する少女。


 守るべきか排除するべきか……ここ数日、脳裏をよぎる選択。

 

 自分たちがお仕えするお方はジークリオンさまのみ。


「……君をどうするべきなのだろうね?


 ルキはピクリとも動かず眠り続けている紗良に話しかける。


「死にたくなければ、はやく目を覚ますことだ。ジークリオンさまのお手を煩わせるな。」


 少し垂れ目の優しげな風貌からは考えられない研ぎ澄まされた殺気をルキは纏っていた。


 ルキはこの神殿では雑用が主な仕事だが、もともとは、フィレーネ王国の暗部の出だった。人懐っこく親切そうで朗らかなルキは相手の懐に入るのを得意とし任務をことごとく完遂させてきた。彼の手によって処理されてきた者も多く、暗部現役時代は赤の死神と恐れられていた。尤も、ルキが赤の死神と知るものは限りなく少なかったが。

 ジークリオンはそれを知る稀有な一人だった。ルキはジークリオンを崇拝している。ルキにとって、ジークリオンは神に等しかった。過去のとある出来事によりジークリオンにルキは忠誠を誓っている。


「ジークリオンさまの御心を乱す者を放置しては置けないからね……」


 紗良の頬に指を走らせる。


 優しい声。そして、冷たい眼差し。


「ニャア!」


 ルキ以外の静寂を破るように猫の鳴き声がした。


 ルキは思わずハッ!として身構えた。

 鳴き声を聞くまで猫の気配は全く無かった。


 ルキは気配を消すプロだ。と同時に気配を察知するプロでもある。


 黒い猫が、ルキの背後からルキを掠めるようにして紗良の寝ているベッドの上へ飛び乗った。


 そして、紗良の顔の横で円くなる。


 ……確かアルという名前の猫だったか。

 お風呂に入れてやった時、大人しく洗われていて賢い猫だと思ったが。

 そう言えば、こいつ……アルは、日に数分離れる以外は飼い主の紗良を守るように枕元に居るとバスラが言っていたな。


 バスラは現在、紗良を弓で射た者の捜索を命じられていた。捜索は難航しているらしく、バスラとは早朝にしか会えないのだが、そのバスラがわざわざルキに言ってきたのだ。


 バスラにしては珍しく感傷的にでもなってアルが忠義心の厚い猫のように思えたのかと思っていたが……これは、本当に守ろうとしているのかもしれない。


 ルキの本能が……


 この猫は、黒豹のような獰猛さで紗良を傷つける者に牙を向いてくるだろうと告げていた。


 こちらを警戒し様子を窺っている感じがする。

 勘の鋭い猫なのか。


 ルキが抱いている紗良への殺意に気づいたのかもしれない。


 紗良、早く目を覚まさないと、君の猫共々君を殺すよ?





 ……と、その時、何やら外が騒がしくなった。

 

 紗良が襲撃されてからフェルリアン・ノルディ殿下の采配で、王宮の騎士が数名神殿の警備のために派遣されてきていた。その者たちだろうか?


 怪訝に思いながらルキは部屋の外へ出た。


「何かありましたか?」


 通りすがった騎士にルキは声をかけた。騎士は顔色を悪くしながら小声でこたえた。


「魔王により五つの村が凍らされたそうです」


 ルキはあまりの事に絶句してしまった。


 魔王が遂に動き出したのか?

 しかも、このタイミングで?


 





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