第13話 負け犬

 アキラくんから逃げて、明るい街を歩く。

 冷たい夜風が、酔いを醒ましていく。

 腕時計を確認して、今は夜の7時台であることがわかった。

 

 アキラくんのマンションは大通りに面していて交通量が多く光も音もうるさい。

 泊まるところはどうしようとかバスに乗って駅まで行ってしまおうかとかいろいろ考えたけど、とりあえず人気のない場所を目指して歩く。

 気持ちの整理ができていない。1人になる時間が必要だった。

 

 道路に沿ってまっすぐ歩いていると、川に掛かる古めいた橋を見つけた。

 街灯はついているものの、橋と同様に年季の入ったもので薄暗い。大通りから小道に入るルートで、車通りもまばらだった。夜ということもあって、人の姿も今のところ見当たらない。

 

 ボクは橋の中央まで歩くと欄干に手を置き、安易に川を覗き込んだ。

 川は暗闇でぼんやりとしていて、ただ真っ黒な深淵が広がっていた。不思議と怖いという感情は芽生えず、むしろ惹き込まれるように目を離せなくなってしまう。


 ……ボクが昔、二重人格だった頃。

 もう一つの人格――アキラくん命名の『ウラト』に所有権を握られていた時。

 ボクはその間の記憶を共有することはできず、彼が表に出ている最中は、ボクの意識は眠っているような感覚だった。

 だから最悪誰かを傷つけたとしても、全て『彼』のせいにできた。

 けど、今は違う。

 アキラくんに手を出したのは、他でもないボク自身なんだ。

 

 意志の弱い自分に嫌気が差す。

 苛立ったボクはデニムからタバコを一本取り出していた。

 ――もう誰にどう思われてもいいや。

 乱暴な手つきでタバコにライターで着火する。息を深く吸い込み、タバコを上空にくゆらせた。

 気管が拒絶反応を起こし、咳で異物を追い出そうとする。でも今回は咳き込むゆとりもなくて、無理矢理口の中に留めて飲み込んだ。

 

 沈む気持ちを空に放り出せないまま、再度川を見下ろす。

 やはり底知れない水面は変わらなくて、ボクはそれでもその中にあるものが見たくて、欄干に上半身を預け身を乗り出そうとした。


「この川は浅野川って言うんだ」

 どこからともなく、呑気な男性の声が降ってくる。鳥肌が立つような得体の知れない気配に、振り返って鋭い眼光を飛ばした。

 ――カシャ!

 眼光に対抗するかごとく鳴り響くシャッター音と鮮烈なフラッシュに、たまらず目を瞑る。

「や。顔面の良い奴はどこでも絵になるね」

 目を開けると、赤茶色の髪と鈍色のピアスが夜空の濃紺に浮いていた。

 

「別名女川。流れの緩やかな川だから、アンタみたいな男はそう簡単に流されないと思うよ。流れと深さがない分、逆に危険とも言えるかもしれないけど」

 ……今、この人ボクのこと撮ったよね。何事もなかったように話し続けてるけど……。

 声の主――アキラくんのいとこ、確か……英汰一はなぶさたいちさん。

 彼はスマホを胸許で縦に構え、レジ袋を右腕にぶら下げて無遠慮に半身でボクの隣に立った。ボクはすかさず半歩後退り、問いかける。

「なんで……」

「課題終わったし、たこ焼きでもつまみに行こうかなーってアキラん家行ったら丁度アンタが出てきて、面白そうだから尾けた」

「は……?」

「タバコいいね。俺も吸お」

 説明されたけど何ひとつ理解できなかった。

 何で撮ったのか問い詰めようと思ったのに、不穏な言葉が出てきてそれどころじゃなくなってしまう。汰一さんのペースにまんまと翻弄されていた。声も低めに無愛想に振る舞ったつもりだったのに、何ら響いていない。

 

 汰一さんはパンツのポケットにスマホを片づけて電子タバコのガジェットを取り出し1本タバコをセットすると、ボクと同じように吸い出した。

 

 このボクが、ここまで尾けられていたことに気づかないなんて。あんな動く度音の鳴りそうなレジ袋まで持っていたのに。

 放心状態だったのと、周りの音がうるさかったのが原因か……?


「アキラに追い出された?」

 ボクの不信感を嘲笑うように、ふー、と息を吐いて汰一さんがボクを横目に眺めてくる。火タバコとは違う、焦げ臭い独特な匂いも相まって鬱陶しい。ボクは険しい顔のままそっぽを向いた。

「……気分転換に外の空気を吸いに来ただけ、です」

 お返しとばかりにタバコを咥え、煙を吐く。

 嘘は言ってない。ボクはアキラくんに追い出されたわけじゃない。負い目を感じて逃げ出しただけだ。屁理屈で自分は間違ってないと言い聞かせる。

 汰一さんは「ふうん」とさも興味のないような乾いた相槌をして、また吸った。


「だいぶ追い詰められとるように見えたし、飛び降りるんかと思った」

 水蒸気を吐いた汰一さんは悪気がなさそうに、むしろ面白そうに笑った。

 純粋なアキラくんと違って皮肉な笑い方をする人だなと、不快な気持ちで満たされた。

「ははっ、なにその顔。俺のことキライ?」

「……アキラくんがあなたを鬱陶しく思ってるみたいなので、警戒はしています。……でも、食材は奢ってくれてありがとうございました」

「要するにキライやん、嫌な言い方すんね。心にもない礼も、とってつけたような敬語もいらんよ」

 汰一さんはくくくっと堪えるように笑うと、橋の欄干に背中を預けた。

「アキラ……アキラね。アイツにはさ、いちお今となっては悪いことしたなって思ってんだよ」

 体勢と同じく、汰一さんの話題も雰囲気もガラリと様変わりする。

 1本吸い終えるにはまだ長いし、勿体無い。

 けど話題が話題だから欄干にノックし灰を落とすと、吸い殻を道路のアスファルトに踏みつけ真面目に耳を傾けた。


「俺はさ、自慢じゃないけど昔から努力しなくても勉強も運動もそれなりにできたんだよね。人付き合いも特に問題なくて、女子から告白されたこともあったし。アイツ――アキラとは違った」

 ニコチンもどきを吸い込む汰一さん。

 ボクは彼を斜め下に睨み続けた。

「……年が近いのも良くなかったんだろうな。親戚で集まる度に、俺とアキラは出来を比べられてた。おばさんも悪気はないんだけどアキラには結構ズバズバ言う人だったし、肩身の狭い思いをしてたと思う。俺も退屈だったから、暇つぶしにアイツをからかってたしね」

 ボクには親戚というか家族そのものが限られているから簡単には共感できないけど、他人から――しかも大人や家族に好き放題言われているのを想像してみると、確かに可哀想になる。

 汰一さんはさっきからボクの反応は求めていないみたいで、悠々と続けた。

「そんでさ、いつだったかな。小学校高学年ぐらい? 俺、親戚で集まっても俯いてゲームばっかしてたアイツに言ったんだよ。『ゲームなんて将来なんも役にたたねぇんだから、もっと身になることしろよ』って。それが1番良くなかったんだろうな。それ以来中学上がってから親戚の集まりにも来なくなって、それでずっとこんなんだわ」

 汰一さんは、ぷつりと話すのをやめた。

 ボクより背の低い汰一さんは、ボクをじっと下から見上げている。ヘラヘラしていない、真剣な顔つきだった。


「でもさ、おかしいよな。落ちこぼれだったアキラが俺と同じ国立大に受かって、金髪美女を彼女にするなんてさ。全く、俺の忠告のおかげだよな?」


 汰一さんはタバコをしまうと、スマホを片手にたすたすと何か打ち込み始めた。

 やがて画面から顔を上げると、ボクを見て告げる。


「……なんて、つまらない冗談言っても仕方ないんだけどさ。アンタら双子がアキラになんかしたんだろ? どう見ても普通じゃねぇもん。アンタらのおかげでアキラも人生大逆転、俺を見下せてさぞご満悦だろうな……。でもアンタの浮かない顔と飛び出し方見て思ったよ。俺みたいに、取り返しがつかないことしたんかなって。ざまぁないね」


 汰一さんの発言に、ボクは何も言い返せなかった。汰一さんは固い表情からフッと薄っぺらい笑みに戻ると、ボクに歩み寄り肩越しに耳打ちをする。


「あぁ、勘違いしないで。これは好意なんだ。出会った時から思ってたんだよ。アンタの目、昔のアキラとそっくりだなって。今の俺とお仲間かなって思ってさ……親近感湧いちゃった」

 

 ボクは汰一さんの顔を改めて確認する。

 話を聞いてから改めて見ると、半笑いの顔も悲しさを隠すための強がりにしか思えなかった。

 ボクはそんなどこかの誰かに似ている彼に、何か言い返してやりたくなった。


「……アキラくんがこの大学に入ったのは、あなたを見返したいからだって言ってたよ」

 アキラくんがタコパの時に話してくれたことを汰一さんにそのまま伝える。汰一さんはわずかに目を見開き、表情に変化を見せた。

 ボクはアキラくんの尊厳を守ろうと一言付け加える。


「アキラくんはあなたを見下したりなんかしていない。大学に受かったのもアキラくん1人の努力と実力で、ボクらは関係ない。それに負けたくないって……対等にあなたを見ているよ」

 汰一さんは、毒気を抜かれたような表情。取り繕っていない、これが素の表情なんだろうか。

 その顔を見ると、やっぱりアキラくんに似ている。……いや、あんなことした後で何を言ってるんだ。ボクは汰一さんからアキラくんとの過ちがフラッシュバックして、耐えきれず目を逸らした。

「あなたのこと嫌いなのは、間違いないと思うけど……」

「それはそうだね。あれは態度を見れば歴然でしょ」


「カイト!」

 停滞した夜に声が突き抜ける。

 声だけでわかる。アキラくんだ。

 ボクは振り向けなかった。

 そんなボクを、汰一さんは鼻で笑う。

「……けなるいね」

「え?」

「なんも。楽しかったよ、カイトクン。差し入れのお菓子は、次回までお預けね」

 けなるい……? 絶対ボクがわからないとわかっていて、使ったという顔だ。

 汰一さんはべっ、と舌を出してレジ袋を見せつけ振ると、ボクを置いて何事もなかったようにすれ違い遠ざかっていく。

 アキラくんを恐れて振り返れないボクは、彼の行先を知ることはなかった。

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