第12話 愛の所在③

 着信音に驚いた拍子に、していた行為もやろうとしていた行動も全て頭から吹っ飛び、首を回して音源を確認する。

 

 音と振動は机に置いてあるアキラくんのスマホからだった。最初は電話を無視をしようと、アキラくんに向き直った。だけど着信は一向に止む気配はなく、集中できない。

 10コールを過ぎた頃、また振り返って身を乗り出し、液晶画面を覗いて発信者を確認する。発信者の名前を見て、ボクは即座に電話に出てしまった。

「……ッ、もしもし」

『あっ、やっと出た! ナナミだけど! ……って、あれ? カイト? ってことは、ちゃんとアキラに会えたのね! どう? 楽しんでる?』

 電話先は明るく甲高い女性の声――ナナミ。

 どくんと心臓が高鳴って、体から冷や汗がにじみ出る。焦りを察せられないよう、呼吸を整えた。

「あ、会えたよ。タコパして……ちゃんとお話できた」

『タコパ? なんか楽しそ。もしかして盛り上がってるとこ邪魔しちゃった?』

「い、いや……」

 もちろんナナミはそういう意味で言ってるんじゃないんだろうけど、アキラくんに手を出してしまったことと重なって胸がこれでもかと締め付けられる。ナナミと話しているうちに、身体のほとぼりはすっかり冷めてしまった。

『そ! で、アキラは何してんの? 席外してる? トイレ? 今出られないカンジ?』

「う、うん。そんな感じ……」

 ボクはアキラくんを恐る恐る振り返る。

 アキラくんは横になったまま腕で目元を隠していて、どんな表情をしているか判断がつかない。肩で息をして動く気力もない様子で、ひとまずは口を挟んでくるといった挙動を起こすようには見えなかった。

 ボクは不謹慎にも心の中で安堵のため息をつき、念のためアキラくんから距離を取る。残酷な現実が仮面を壊す前に早口でまくしたてた。

「えっと、アキラくんはお腹いっぱいになって寝ちゃったんだ。タコパも一段落ついたとこだよ」

 意外と冷静に対応できている自分の裏で、犯してしまった過ちに喉が締まっていく。このまま話し続けていたらいずれ声が出なくなってしまうだろう。

 ナナミはボクが嘘をついているなんて知らずに、変わらず返答する。

『そう……ま、ならよかった! カイト、アキラとなーんにも連絡とってなかったから、もしかして会いに行かないのかな〜って思っちゃったけど、杞憂だったわね』

 なんだか、棘のある言い方に感じて身構えてしまう。やっぱり気づいてたんだ。でもこの言い方は怒りじゃなくて、それを飛び越えて呆れたような雰囲気だ。

「あはは……心配掛けてごめんね。えっと、じゃあアキラくんが起きてからまた掛け直……」

『ねぇ、アキラ寝てるのよね? なら最後に関係ないけど、一つ聞いていい?』

「え? ……う、うん。何?」

 ナナミはトーンを落として話を続ける。

 明るく返したけど、本音は一刻も早く電話を切りたくて仕方がなかった。自分の嘘が今にも剥がされそうで、ビクビクしている。

『……昨日の夜帰ってきてたみたいだけど、彼女と……オンパと何かあった?』

 オンパちゃんと決別した日だ。あの日はむしゃくしゃして気分が落ち着くまで外で走って、深夜の2時ぐらいにナナミと住む部屋に帰ってきたんだ。

 ナナミを起こさないように静かに入って、ナナミが起きる前に早めに家を出たんだけど……気づかれていたのか。反応がなかったからバレてないと思い込んでた。


「……起きてたんだ。起こしちゃってごめんね」

『それは全然いいわよ。答えは? ……なんかアタシに隠しゴトしてない?』

 ナナミの強気ながらも身を案じてくれる態度に、つい本当のことを自白してしまいそうになる。

 でもそれはきっと、ナナミを深く傷つけることになる。そしてナナミはボクのことを失望するだろう。それを思うと、怖くて言えなかった。

 ボクは目をつぶり自分の弱さを振り切ると、平常心を装い、ナナミに返した。

 

「……何もないよ。今日はアキラくんの家に泊まらせてもらうし、また明日家に帰ったらゆっくり話すね」

『……ん、そう。……わかった。今まで会えなかった分まで楽しんでくんのよ。アキラにもよろしくね』

「……うん、ありがとう。じゃあね……」

 ナナミとの電話が切れた途端、力が抜けて腕が垂れ下がる。

 

 取り返しのつかないことをしてしまった。

 ボクはアキラくんの優しさに甘えてしまった。密かに期待していたんだ。――誰にでも優しいあの人なら、ボクの全てを受け止めてくれるって。

 どんなに醜いボクでも、肯定してほしいと思ってしまった。そして欲に溺れるアキラくんを見て、もっと見たいと思ってしまった。最終的にはアキラくんの気持ちをないがしろにして自分の性欲にも負けて……。

 

 …………。ああ。

 なんだ。

 ボクもオンパちゃんと、同じだ。

 

 オンパちゃんもきっと、ボクに対してそう望んでしまったんだろう。思いやりを過信して、無意識に利用してしまったんだ。

 体だけで繋がることの危うさも虚しさも、昨日彼女に教えられたばかりだっていうのに、なんて愚かなんだろう。

 今更謝って済むとは思わないけど、突き放してごめんね、オンパちゃん。

 ボクらはやっぱりよく似ている。


 オンパちゃんのぐちゃぐちゃになった泣き顔を思い出しながら、重い腰を上げる。

 無言で立ち上がったボクに対して、アキラくんはヨロヨロと半身を起こし、やっと口を開いた。

「カイト……俺……」

「ごめん、アキラくん。ちょっと、外の空気を吸ってくる」

「え、でも……」

「……本当に勝手でごめんね。すぐ戻るから」

 アキラくんの言葉を聞くのが怖くて、間髪入れず壊れそうな心に嘘を重ねていく。二度と帰ってくる気などなかった。

 アキラくんはお酒なのかボクのせいなのかわからないけど、まだ思い通りに動けないみたいだ。

 

 その隙にボクはたこ焼き器の電源を切って、熱の出力を完全に止める。

 ボディバッグを背負って帽子を被り、一人闇夜へと逃亡した。

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