第9話 タコパ騒動④

 それからしばらく、和やかな時間が続いた。

 ボクは旅の話、アキラくんは受験の話……昔話に花が咲き、お酒も進む。ボクは3本目のお酒に、アキラくんも2本目に手をかけていた。

 こんなふうに誰かと面と向かって長い話をするのも、かなり久しぶりのような気がする。

 生地を全てひっくり返し数分待った後、初めて食べた手作りたこ焼きの味は、想像よりも遥かに美味しかった。

 お昼も食べられなくて、ボクのお腹がかなり空いていたのもあるだろう。緊張がほぐれたこの空間も、いい隠し味になったのかもしれない。

 焼いた分はあっという間に2人で食べ切ってしまった。

 

「できたぞー」

 再び生地を流し込み焼き上がった第2陣。

 ボクらは焼きたてのたこ焼きに、ソースと青のり、かつおぶしをトッピングし口に運んだ。

 中身はタコからウィンナーとチーズに変えた。こっちも文句なしのおいしさだ。

「これもおいしいね」

「だな、俺こっちの方が好きかも。次キムチ入れようぜ」

 アキラくんはさっき一個食べたと思ったら、もう次のたこ焼きを口に放り込んでいる。

 

 変わらない無垢な姿を眺めて、やっぱりボクはアキラくんが好きだと――大切な家族であるナナミと一緒に、明るい未来を歩んでほしいと再認識した。今なら心の底から祝福できる。

 ボクは食べる手を止め、改まって膝の上に手を置くとアキラくんに告げた。


「……アキラくん、これからもナナミのことよろしくね」

「ん? ……も、もちろん! 忙しい中会いに来てくれるナナミにも感謝してるけど、カイトもいつでも遊びに来てくれよ! ナナミと一緒でもいいからさ。じゃないと、また心配になるし……」

 アキラくんは慌てて口の中を空にすると、ボクと同じく膝に手を置いて丸くなっていた背中を正す。かと思えば、なぜか気まずそうに目を泳がせた。

 どうしたんだろう、ボクが疑問に思い始めたところでその不安を拭い去るように、アキラくんはボクに笑いかけてくれた。


「……実はさ、カイトが突然来てくれて嬉しかったんだけど、見た時ちょっと不安もあったんだ。……ナナミと別れてくれって言われたらどうしよって。最近カイト俺とあんまり話してくれなくなったから、嫌われたもんだと思ってたし」

「え……」

 

 アキラくんの告白に、今度はボクが取り乱す。

 よかれと思って距離をとっていたのに、とんでもない重荷を背負わせていたなんて。

 ボクは誤解を解こうと思わず身を乗り出す。


「嫌いになるはずがないよ! ボクはただ、その……仕事になかなか慣れなくて、余裕がなくて……」

 

 動揺して早口になったあげく、上手い言い訳も出てこない。

 

 これじゃ足りない――いや、違う。

 伝えるべき思いが、喉の奥にまだ引っかかっている。

 呼吸も整わぬまま、ボクは不恰好に喉を震わせた。


「ボクも、ほんとは……ずっと前から、こうして会いたかった。でも心の中がグチャグチャで……こんなみっともない姿を見せたくなかったんだ。今回だって、ナナミが背中を押してくれたから会いに来れた。……遅くなって、ごめんね」

 

 やっと言えた。

 アキラくんに深々と頭を下げる。

 長年閉じ込めていた幼い自分のわがままに、ようやく応えられた気がした。

 頭を下げ続ける意固地なボクを、アキラくんは軽快に笑い飛ばしてくれた。

「今こうして会えたんだからいいって。俺だってカイトがそうじゃないって確信してからぶっちゃけたんだから」

 自分をダメな例にあげるところに、アキラくんらしい優しさを感じる。アキラくんはカーディガンを脱ぎ、また口を開いた。

「……なんか、食べてたら暑くなってきた。せっかくだしいっぱい食おうぜ。まだ生地も具材もあるし。今日は楽しもう」

「うん……ありがとう……」

 アキラくんの言葉に、目頭が熱くなる。

 ボクは込み上げる感情を堪え、食事に戻った。

 竹串でたこ焼きを刺し、鉄板から皿に移す。トッピングをしてたこやきを口に運ぼうとしたその時、アキラくんは何気なくボクに別の話題を振った。


「――そうだ。カイトはオンパサンと付き合ってるんだろ? ナナミから聞いたぜ」

 アキラくんの発言に、一転して肩が強張る。

 ボクはたこやきから、アキラくんに視線を移していた。

「いつかは付き合うだろうなって思ってたよ。昔から気にかけてたもんな。いやあ、よかったよかった」

 不安定な竹串からたこ焼きが外れ、皿にぼとりと落ちる。アキラくんはそれでもボクの視線に気づかない。たこ焼きを食べる間にチラチラボクを見るけど、話をすることに夢中だ。

 話し方もなんだかフワフワして浮かれているように見える。アルコールが回ってきたのかもしれない。

 あの周りをよく見ているアキラくんが、こんなわかりやすい異変を見逃すなんて……。


「オンパちゃんは…………」

 とっさのことに取り繕うことも忘れ、思考が止まってしまう。焦ったボクは、自分の口元を手で覆い俯いた。すると体勢を変えた途端、視界がぐにゃりと歪む。

 あ、れ……頭が思うように、働かない。

 飲酒経験と大してアルコール度数の高くない酒に油断して、ハイペースに飲み過ぎた? 

 アキラくんの手前、無意識にかっこつけようとしてしまったのかもしれない……ボクも荻原さんのことを笑えないな。

 

 ――キミもアキラくんが好きなんでしょ?


 不覚にも、これ見よがしにボクを嘲る彼女の憎たらしい顔を思い出してしまう。

 アキラくんに会いにいくボクを弄び、いたずらに否定した彼女を。

 今も思い出すと、無神経さに怒りで体が震える。

  

「――カイト? ……カイト!」

 

 肩にボク以外の温度を感じる。

 錯綜する記憶から意識を取り戻すと、机を挟んで向こう側にいたはずのアキラくんが、いつのまにかボクの真隣にいた。


「大丈夫か? 気持ち悪い?」


 ボクの肩に手を置き、じっと心配そうに他でもないボクだけを見ている。

 思わぬ距離の近さに、ボクは彼しか目に入らなくなった。

 

 澄みきった鳶色の瞳。

 ジャストサイズのロンTから浮き彫りになる細身の体に、無防備な首元。

 

 昨晩の生々しい記憶とリンクして、ボクはそれらに釘づけになってしまう。

「……ちょっと休もうぜ。今、水持ってくるからな」

 アキラくんにはそんなボクがどう映ったのか、逃げるようにサッと視線を逸らす。鉄板焼きを保温に設定すると、ボクの返事を待たずに離れていこうとしていた。


 態度から伝わるのは、ボクに対する恐怖心。

 泥酔して目が据わっていたのか、それとも返事ができないと思われたか。

 踵を返し、台所へ去ろうとするアキラくんのうなじを注視する。なぜか目が離せなかった。

 

 なんでボクはアキラくんを舐めるように見てしまうんだろう。

 ボクにとってアキラくんはあくまで幼い頃の憧れで、性対象ではないはずだ。

 オンパちゃんだってボクとの関係を考えれば、馬鹿らしいことを言ってるってわかるはずなのに――。


 そんな葛藤の淵、初めてアキラくんの家に泊まった時のことを思い出した。アキラくんの家族に触れて、自分の家族を思い出し恋しくなった時のことを。

 でもそれは、ナナミにすら言えない記憶と罪があって――ボクは1人で家族を取り戻しに行かなきゃいけないところを、アキラくんに全てを打ち明け巻き込んで連れて行ったんだ。

 

 だからこれは、決して欲情なんかじゃない。あの時と同じなんだ。誰にも打ち明けられない『醜いボク』をアキラくんに受け止めてほしいだけ。

 二重人格も人殺しも認めてくれた優しいアキラくんなら、歪んだ承認欲求も受け止めてくれると信じて疑わないだけだ。

 ボクはそうやって不純な行為を正当化しようと無理矢理自分自身を言いくるめ、音もなく立ち上がる。

「……行かないで」

 警戒心の欠片もないアキラくんの背後から袖口をつかみ、自分の方へ強く引いた。

「えっ? わっ」

 アキラくんの驚いて振り返った顔を見たのが最後。 

 倒れる大きな物音とともに、ボクの中の積年の想いが弾けた。

 

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