第5話 移ろう者⑤

 降車してもバス停付近に立ち止まったままのボクは、バスにも降りて来た乗客にも置いて行かれあっという間に1人になってしまった。

 

 腕時計で時刻を確認する。13時半過ぎだ。

 当然だけど駅や駅の近くとはうってかわって、周囲は人も車の姿もまばらで比較的静かだ。学生らしき若い人は何人か歩いている。――アキラくんは、いないよね?

 気を紛らわせようと目を閉じ深呼吸をして、目を開きもう一度辺りを見回す。

 ボクがいる場所は、一戸建てよりアパートやマンションなどの賃貸住宅がひしめいている。やはり大学が近いからなのだろうか。

 道路を越えた向かい側にはスーパーマーケットとドラッグストアがあって、道路を分岐点にまた様相が異なっている。

 

 これがアキラくんが暮らす学生街、坂の一さかのいち町。

 

 初めての土地――アキラくんが暮らす地域にボクは地に足が着いた気がせず、足踏みしたい衝動に駆られる。が、それはみっともないので必死にこらえる。

 代わりに帽子のツバを手に取り、深く被り直した。

 

 ナナミの話からマンションの住所や名前はざっくり聞いている。だけど最寄りのバスやバス停からの道のりなどは、前もってボクが調べた。

 ナナミはきっとアキラくんがボクを駅まで迎えにいくと思い込んでいる。自分がいつもそうだからだ。

 手軽な情報源のスマホも、今はナナミの元にあるから容易に検索できない。

 ……ボクの不甲斐なさのせいで、色々手間のかかることになっている。自分でも馬鹿馬鹿しいと思う。


 ――とりあえず行ってみよう。運試しはそこからだ。

 タブレットを口に放り込み、スプレーを服にかける。ボクは昨日確認したマップを頭に思い浮かべながら、鈍い感覚を取り戻した足を前に押し出した。


 *


 坂の一町は名の通り、勾配の多い町だった。

 大学が山手にあると聞いていたけど、山沿いに形成された町だからそうなるんだろう。

 バス停付近は平地だったけど、遠目に見える傾斜には一戸建ての住宅が連なっている。最近のものじゃない感じ。こっちは学生じゃなくて、昔からこの地に根づく地元の人達が住んでいるのだろうか。

 大学へはこの長い坂を登ることになるし、歩いて通学するのは大変だろうな……自転車とかどうしてるんだろう。通学はやっぱりみんなバスを使っているのかな。

 

 幸いにもアキラくんの住む場所はバス停からそんなに離れておらず、平地の大通り沿いで道も単純だったはず。事前にルート検索で調べたら徒歩で10分と出ていた。

 さっき道路の向こう側に見えたスーパーマーケットが目印の一つになる。道路を横断して、スーパーマーケットの脇を通るようにして直線を進んだ。

 直線の歩道の隣は、車通りの激しい大通り。

 短い距離を歩いただけでも、ファストフード店やラーメン屋など学生が好みそうな飲食店が数店舗確認できた。いい匂いがする……そういえば、お昼を食べていないんだった。

 空腹でお店に気を取られながらまっすぐ歩いていくと、1階に塾が併設されている鉄筋コンクリートのマンションがボクを待っていた。灰色の外観を見る限り、4階建てっぽい。そしてすぐ隣にはコンビニがある。

 さっき見たスーパーマーケットやドラッグストアといい、生活をする上での不便は全くなさそうだ。

 

 思った以上にすんなり着いた。いよいよだ。

 マンションの正面には、塾の入り口しかない。ボクは建物の横側に回って別の扉を見つけ、足を踏み入れる。

 踏み入れる直前、入り口に備え付けられている郵便受けが目に入った。205号室――アキラくんの部屋の郵便受けは、空だ。郵便物は溜めない性質らしい。

 

 足音が反響するのが嫌で、室内の階段をゆっくりと爪先から踵を落とし登る。

 ――悪い事をしているみたいだ。実際部外者だし、居心地は良くないけど。

 神経質になっていたからか、2階だけでも随分と時間がかかった感覚がある。すごく体力を消耗した。

 

 廊下を少し歩き、ボクはついに205号室の扉の前に立つ。

 インターホンを押さなきゃ。

 だけどボクは、すぐに行動に移せなかった。

 指が、ボタンに触れてるのにそれ以上動いてくれない。


 ここまで来たんだ。押さないと。押さなければ……運試しも始まりはしないのに。

 ボクですらボクを思い通りに操作できなくて、もどかしくて歯を食いしばる。

 

 何をやってるんだろう、情けない。どうしてこうなっちゃったんだ。

 それなら臆病で泣き虫でも、自分に素直に行動できていた子供の頃のボクの方が何百倍もマシじゃないか。


 自己嫌悪で身動きがとれなくなっていると、背後から足音が響いてくる。ボクは慌てて腕を下ろし音の方向へ首を回した。

 こんな挙動不審な場面を見られたら、不審者として冷たい目を向けられるかもしれない。下手したら通報とか……。

 ボクは息を呑んで平静を装い、人影を待ち階段を見つめていた。

 焦りを隠せないボクの前に現れたのは、1人の若い男性。ボクは瞬く間に彼に意識を持っていかれてしまった。


 ――運には確かに身を任せたけど、まさかこんな琴線に触れる巡り合わせを与えられるとは。


 視界がじわじわと顔から外側へ広がっていく。

 窓からの日差しに照らされ茶色に透ける毛先。

 焦茶に近い柔らかな黒髪が、触れるのも躊躇われるような儚さを放っていた。

 

「……カイト?」

 

 言葉を失ったボクに代わって、男性――アキラくんが歩み寄ってくる。

 ボクを覗き込み目を丸くする純真な反応は、幼い頃の光であった輝かしい姿を想起させた。

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