第4話 移ろう者④
「お前、金曜どこ行くの?」
――これもアキラくんに会いに行く、約1ヶ月前のこと。ナナミに切符を押しつ……じゃなくて、譲ってもらった翌日のことだった。
仕事の休憩中、営業所の裏口の片隅で先輩――
ボクは荻原さんの無神経な質問に、無言で視線のみを送る。
「何? 三連休にして彼女と旅行?」
懲りずになおも問い続ける荻原さんのタバコの先端が、じわりと赤く燃えた。
希望休をもらうため、拠点長にしか伝えてなかったはずなのに――ボクは見せつけるようにため息をついて、大袈裟に眉を寄せた。
「……金曜日だけですって。同性の友達に会いに行くだけです」
「なぁんだ、つまんねぇの。オレが若い時は女のことしか考えてなかったけどな。言っとくけど、拠点長からオレに話して来たんだからな。勘違いすんなよ」
「最初から疑ってないです」
「嘘つけ、顔と態度に出てんぞ。わざとだろ」
言葉とは裏腹に笑うと、フーと長い煙を吐く荻原さん。ボクの意図を読んで丁寧に疑惑まで否定してくる。ボクも一息吐き、笑いを堪えた。
荻原さんは37才独身。無精髭を生やし、肩口まである栗色の髪を後ろにハーフアップでまとめている。
趣味は競馬とパチンコで、好物は酒とタバコっていう他人や世間に縛られない、自由奔放な人だった。
旅を終えてからナナミは児童指導員の任用資格をとるため、児童養護施設にパートで働くようになった。働く合間に保育士の資格取得のため通信教育での勉学も日々頑張っている。
ボクはそんなナナミを応援する生活費と勉強費を稼ぐため、平日週5で運送業――詳しくは自動販売機を運搬し設置する仕事をしていた。加えて夜には倉庫内作業のアルバイトをしている。こっちは昨日休みを言い出せなかったから、今夜出勤時にシフト調節を願い出るつもりだ。
いわゆるダブルワークだけど、ボクは体力に自信があったし体を動かすことが好きだから苦にならない。それでナナミの助けにもなるなら、一石二鳥だ。
……それに何かしていた方が、嫌な毒の事を考え込まずに済むからね。
自販機の運搬作業は2人1組でトラックに乗り運送をするのだけれど、荻原さんはその作業におけるボクの相方だった。
荻原さんは一回り年上だけど、気兼ねなく話せる。それはボクみたいな年下相手にも気さくでユルい人なのもあるけど、一番はその『ほっとけなさ』だと思う。
給料を一日で競馬やパチンコに溶かしたり、今月はお金がないから昼食を奢ってくれと後輩のボクに迷わず頭を下げたり、当てたお金で飲みに連れて行ってもらった時には、女の子に絡んでカッコつけて飲み過ぎて側溝や川に吐いたり、ひどい時にはトイレの個室に閉じこもってボクが介抱するはめになる……ボクでも呆れてしまうぐらいのかなり手のかかるおじさん……お兄さんだ。
出会った当初は大人でもこんなどうしようもなくダメな人がいるんだと衝撃を受けた。
大人ってみんな自立しているものだと思い込んでいたから。
だけど年齢を重ねたからといって、相応に精神が成熟するとは限らないことを、ボクは身を持って感じている。
こういったらなんだけど、荻原さんといるとボクの悩みなんてひどくちっぽけで、悩んでいるのが馬鹿みたいに思えた。
「お前の彼女、旅館泊まりたいって言わねーの。深夜のコンビニで一緒にいた胸のでかい……黒髪ショートの大人しそうな眼鏡の。マゾっぽいしバックとか好きそうだよな」
ニヤついて話し出した荻原さんの口から次々と出てくる下品な単語の羅列に、昨晩の記憶がふわりと蘇る。白い柔肌、跳ねる肢体、上気した顔……甘ったるい感覚が体を侵食する前に、ボクは淫らな記憶を振り払った。
「やめてください。あの人は彼女とか、そんな関係じゃないです」
「あー、セフレなんだっけ? いいよな、面倒な付き合いなしでヤりたい時だけ会えばいいし。相手に合わせて生活して自分のやりたいことを我慢するとか、オレには絶っ対にムリ」
「いい加減にしてください。だから、ボクは先輩みたいに誰も彼でもいいわけじゃなくて……ボクはそんなつもりであの人を――」
「んなムキになるなよ。いいものやるから」
荻原さんはボクの苛立つ反応を面白がって煙を吐くと、アンダースローで何かを投げてきた。
荻原さんが放り投げた物を、空中で受け取る。手の内を開けると、丸い的に似た赤いロゴが印字された四角い箱――タバコが目に入った。しかも未開封の新品だ。
「金はいらねぇよ。俺は可哀想な奴の味方だからな」
ボクが何か言う前に、荻原さんが口を挟む。
「お前に辞められたら困るんだよ。楽できねぇし。お守り代わりにでも持ってろ」
ボクはらしくない荻原さんの気遣いに呆気に取られると同時に、勘繰って切り返していた。
「……お金、いくら貸して欲しいんですか」
「ちげぇわ。なんの裏もねぇ好意だよ。お前、少しはオレを信頼しろ」
「じゃあ、逆に万馬券当てたとか? それとも三連単?」
「ちげえって。黙れクソガキ」
荻原さんは疑り深いボクにいじけていた。だって日頃の行いがひどいから……でもこれ以上責めたらさらに拗ねてしまって面倒だから、言葉にするのはやめておくことにした。
ボクはため息にも似た笑い声を漏らし、荻原さんを恭しく見つめ返す。
「……ありがとうございます。荻原さん、たまにはかっこいいとこありますね。
わざとらしく付け加えると、荻原さんは満足そうに笑い、「可愛くねぇ」と二本目のタバコに口をつけていた。
*
特急の時といい、バスに乗っている間もボーッとして、余計な記憶が頭を巡る。
アキラくんに会う緊張感と見知らぬ土地にいる緊迫感で、調子が狂っているのかもしれない。
座席に腰を下ろしたまま、ジーンズの膨らんだポケットの感触を確かめる。
荻原さんが慰めにくれたタバコは、もらってからずっとこの日のために新品のまま取っておいていた。
さっき特急で1本吸ったから19本になっている。
荻原さんがいつも吸っている銘柄。有名なアメリカンタバコの一つだ。
タール強めの重みのある喫味で、いかにも愛煙家が好みそうな味。久々に吸ったら咳き込んでしまった。
癖のある味に加えて匂いもきついから、吸わない人やタバコが苦手な人からすれば尚更鼻につくだろう。だから、ここで吸うのはこれで最後にする。
バスから降りたら、念のためもう一度タブレットを噛んで消臭スプレーもしておこう……。
昔、荻原さんがタバコを吸っていたのを見て、荒んだ気持ちの捌け口になるかもしれないと、軽い気持ちで一本もらったことがある。
当時のボクはナナミやアキラくんのこととか……慣れない気持ちの変化に疲弊していた。何でもいいからすがれるものが欲しかった。
荻原さんは当時未成年だったボクにも注意することなく、すんなり頼みに応じてくれた。
そしてボクからしっかり多めにお金を巻き上げた後、初めてのタバコに盛大に咳き込んだボクを見て……大笑いした。
……荻原さんは、悪い大人だ。
ああはなりたくない。
でもボクには、その怠慢が心地良くて――都合が良かった。
だけどナナミとアキラくんには、タバコを吸っていることは知られたくないなと思う。
温和で純朴―― 2人のボクに対するイメージに、タバコは結びつかないからだ。ボクはそんな昔からのイメージを、崩したくなかった。
このためにわざわざタブレットと消臭スプレーを買ってまで必死で隠し通す自分が、滑稽で嗤ってしまう。
そこまでして守る過去のイメージに、なんの意味があるんだろう。
……わかりきった堂々巡りだ。
答えなど出るはずもなく、望んでもいないだろうに。
ボクは聞こえてきた目的地のアナウンスに従って、席を立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます