第9話 救済は償い・前編

「……俺のどこがおかしいって?」


 フェレナードは落ち着いた様子でインティスに聞き返した。


「一時期よりはマシになってきたと思ってたのに、最近また自分を大事にしなさすぎる」


 違和感の正体は明確に言葉になった。傍から見ると自棄になっているように見えるかもしれない。


「時間が限られてるから、できるだけ急ぎたいだけだ」


 インティスの指摘にも、彼は平然と言い返してきた。


「それにしたってほとんど寝てないだろ。そのうち体を壊すに決まってる。今は何ともなくても、王子が助かってから絶対……」


 言いながら、未来が見えるような気がした。


「もしかして……王子が助かれば、自分はどうなってもいいと思ってる?」


 フェレナードが答えずに目を逸らせた。それは紛れもなく肯定の意味だ。彼を睨むインティスの目つきがきつくなった。

 それを受けても、フェレナードは視線を合わせないまま冷静に返す。


「教育係なんて俺じゃなくても何とかなる。今の目的は王子を呪いから救うことだ。そのためなら無理もするよ」

「……それって前に聞いた、あんたがこの城に来た理由の償いってこと?」


 インティスは思い切って聞いた。フェレナードはこの城で王子の教育係をしているが、ここに来た本当の理由は限られた人間しか知らないことで、この世界に呼ばれた高校生たちも聞いていないはずだ。恐らく知らせることもないだろう。


「……もちろん。だから、俺に何かあっても無理に助けようとしなくていい」


 フェレナードの答えに、インティスは眉を顰めた。

 深夜に訪れたローザが帰った後、彼女をどう思っているのかフェレナードを問い詰めたのは四日前のことだ。

 彼がローザには応えられないと言ったのはそのままの意味であると同時に、そもそも彼自身が命を落としたり、それに近い状態になっている可能性も考えられていたのだ。

 その時、同じ一階の薬屋の正面入り口を開ける音が聞こえた。

 三階から二階へ戸締まりの確認をしている途中にフェレナードが来たので、一階を開けたままだったことをインティスは思い出した。

 自分たちの話し声に引き寄せられ、足音が中に入って来る。

 高校生たちは三階に割り当てた部屋に転移し、王子は二階の魔法陣に転移する。そうなると、一階から来るのはローザしかいない。現に四日前、彼女は同じように一階から訪ねて来た。

 そして思い出すのは、フェレナードからあの時言われた、彼女には応えられないからお前にも協力してもらう、という言葉。今がその時だと頭が察知する。溜息が出そうだった。


「……だったら、ローザはどうするの」


 来訪には気付かないふりをして、インティスがあえて大きめの声で話題を切り出すと、足音が止まった。

 フェレナードが目を細める。


「彼女には、もっと相応しい人が現れるはずだよ」

「……俺はその考えに賛成できない」

「お前の考えは聞いてない。彼女にはこれからも協力してもらう予定だ」


 薬屋に入って来ているはずの足音が動きを見せないので、フェレナードが更に続けた。


「教えた手前、実戦までは責任を持たないとね。だから文献調査は彼女にも声をかけたんだ。けど、そこまでだよ」

「でも……」

「それより、解読の続きをしたいんだ。そこのペンのインクと、ランプの油を取ってくれるかな」


 フェレナードに言われ、インティスが棚とテーブルからそれぞれ指示されたものを出す。

 物音を少し大きめに立てたので、薬屋にいるはずの足音がどうなったかはわからなかったが、インクと油が揃った時には気配はなくなっていた。どうやら静かに帰ったようだ。


「……こういうやり方はあまり好きじゃないな」


 念のため薬屋側に誰もいないのを確認するとインティスは入口の鍵を閉め、大きく息を吐いて椅子に座り直した。それを眺めていたフェレナードの口元は少し笑っていた。


「付き合わせて悪い。だが咄嗟に合わせてくれて助かったよ。彼女には、文献調査以上のことには巻き込みたくないからね」

「……疲れるよ……」

「悪かったって」


 最初はお互いに険悪な雰囲気だったものの、急に慣れないことをしたせいで脱力し、テーブルに突っ伏すインティスの肩を、フェレナードはすまなさそうにぽんぽんと叩いた。



    ◇



 さて、運命の土曜日がやって来た。今日は鶏との決戦の日だ。

 前回と同じメンバーで再度文献調査の墓へ向かう。

 魔法陣で飛んで久し振りに石畳を踏んだ時、優貴は不思議な違和感を覚えた。


「何だ?」


 何度か足踏みしてみたり、腕をぐるぐる回してみると、何だか体が軽い感じがした。

 剣を鞘ごと持ってみても前ほど重みに影響されなくなっているのは、腕立て伏せのおかげだろうか。それとも自分だけなのか。


「何やってんの」

「あ、いや……」


 ことみに不審な目で見られたので、自分以外がどう感じているかは聞けなかった。


「開けるぞ」


 インティスが周りに確認し、以前退却した扉を開けた。

 あれから作戦を練り直し、優貴と暁、インティスで鶏を攪乱しながら、ことみが炎で吹っ飛ばすことになっている。ローザは炎を出すことも回復することもできるのでピンチヒッターだ。

 作戦は見事に成功した。

 一番驚いたのは、前回全く反応できなかった鶏の羽攻撃に、優貴が対処できたことだ。前は瞬きするより早く飛んできたと思っていた羽にも、冷静に軌道の先を読めるようになっている。これは本人が一番驚いていた。


「特訓の成果?」

「わ、わかんない……」


 自覚が全くなかったので、インティスの質問に、そうです! と胸を張って答えられないのが悲しかった。


「羽を飛ばすっていう話を聞いたダグラスが、特訓に飛び道具を使ったからかもしれない」

「あ、なるほど……なのか?」


 インティスに言われて優貴は少し納得した。確かに特訓の中で、お手玉のような飛び道具を全部かわすまで日本に帰れないというのはあった。

 だが、それ以外にも理由がありそうな気がする。が、それが何かがわからない。

 ただ、飛ぶのは前より楽になったような感覚はある。


「体が軽くなったのかな……」

「え?」

「う、ううん、何でもない」


 極端に体重が減ったわけでも、いきなりこの世界の重力の設定が変わっているはずもないので、インティスに聞き返されると優貴は慌ててごまかした。

 その後、インティスの探るような視線に優貴は全く気付くことなく、無事にことみとローザが鶏の体表を爆破し、インティスが突き立てた剣で核を破壊することができた。


「……この墓に、どうして異世界人を連れて来たか気付いたかな」


 大分後になってから、彼らはその理由を知ることになる。

 インティスは喜ぶ高校生たちを眺めながら呟いたが、はしゃぐ彼らには届いていなかった。



    ◇



 次の部屋にも遺産を納めた箱はなさそうだったので、中に入るのは明日にして薬屋に戻ることにした。

 急いで文献を手に入れたとしても、まだフェレナードの手元にある文献の解読ができていない。焦って先走らないよう、一日ずつ態勢を整えながら進むことにしたのだ。

 いつものようにさっさと自分の部屋に戻る暁や、ラウンジでお喋りを続ける優貴とインティスにも触れず、ことみはローザを自分の部屋に招き入れた。

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